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日々ふと思うことを徒然なるままに書き綴る個人的エッセイあるいは回想録。
自分が常日頃から心がけていることの一つに「信ぴょう性の高いものでも、何%かは疑う余地を残しておく」ことと、逆に「信じ難いものであっても、何%かは信じる余地を残しておく」ということがあります。
 
それは自分自身も含めて「人間の真実を見抜く目なんて全くアテにはならない」と思っているから、でもあるのですが…。
 
たとえば今では一笑に付される「天動説」や中世の迷信だって、当時は「当たり前の常識」「疑いようのない真実」くらいのレベルで多くの人間に信じられてきた事柄です。
 
それと同じように、今この時代で当たり前に信じられていること、常識だと思われていることが、いつかの未来にアッサリ覆されることは充分にあり得ることだと思うのです。
 
そもそも人類は、自分たちが生きるこの世界についてさえ100%全部を知っているわけではありません。
 
「天才的頭脳を持つ科学者・数学者だって、この世界の謎を全て解き明かせたわけではないというのに、自分のようなごく普通の一般人が、どれほどの真実を知ることができるのだろう」――自分は常日頃、そんな風に思っています。
 
なので、ある日突然「それまで信じてきた常識がコロッと変わってしまう」ことがあっても柔軟に対応できるように、その変化を受け入れる心の余裕を常に持っておきたいと思うのです。
 
あるいは「皆が安全だと信じ込んでしまっている、実は危険な何か」に、真っ先に「あやしい」と気づいて安全策がとれるように…。
 
権威のある人や多数派が「正しい」と言えばそれを信じて流されてしまうというのは、特に日本人には多い傾向なのかも知れませんが、「安全だ」と言い続けられてきたものが実は危険だったという実例が過去にいろいろある以上、鵜呑みにせずに何%かは疑う余地を残しておいた方が自分自身のためだと思うのです。
 
逆に、皆が「間違いだ」と思ってスルーしているものの中にも、人生の役に立つ「真実」があったりするかも知れません。
 
なので、全てを信じるのでなく全てを疑うのでもなく、常に「半信半疑」……あるいは「九信一疑」「一信九疑」等でも良いかも知れませんが……とにかく、白か黒かをスパッと決めてしまいたくはないのです。
 
人によっては「どっちつかず」だとか「日和見主義」と馬鹿にされてしまうスタンスかも知れませんが……結局はこのスタンスが一番、効率的で安全性の高い生き方だという気がするのです。

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以前から思っていたことがあります。
 
「その人を好きか嫌いか」と「その人に、この問題を解決する能力があるか」は全く別の問題だと。
 
抱えていた問題を、心から信頼する人間に相談したとして、その人がその問題を解決してくれるとは限らない、と。
 
本当に「問題の解決」を望むのであれば、「その問題を解決できる能力を持った人」を頼らなければ意味が無いのだと。
 
自分は小学校時代の虐め問題を、一旦は家族に相談したものの、その後の対応を見てすぐに家族を頼ることをやめました。
 
それは家族のことが嫌いだったからではありません。
 
「信頼していたかどうか」ということになると、「家族としての信頼」はそれなりにあったものの、「この問題を解決できるという信頼」は持っていませんでした。
 
「この人たちを頼っても、この問題は解決しないだろう」と冷静に判断し、問題を解決できる最適な手段を自分で選択したのです。
 
それはドライ過ぎる選択だったかも知れません。
 
ですが、学校が世界の全てと言っても良かった小学校時代において、自分に対する虐めを「なくす」ことが、その時の自分にとって最優先事項だったのです。
 
能力の無い人間にいつまでも頼り続けることは、問題を長引かせるだけでなく、かえって危険を招くこともあります。
 
相談に乗ってもらった相手が「善かれ」と思ってしたことが、かえって問題をややこしくし、相談者を追いつめる…そんなことはザラにあります。
 
しかも、相手はあくまでも善意で行っているので、余計に相談者が苦しむことになるのです。
 
「信頼して相談したのに、結局助けてもらえなかった」という台詞は、きっと、相手に「助ける能力」があった時だけ通用する台詞なのだと思います。
 
「誰かを助ける能力」は、残念ながら、誰にでも備わっているものではありません。
 
それには知識(時には問題に応じた専門知識)や行動力、コミュニケーション能力や調整力など、様々なスキルが必要となるものなのです。
 
けれど、これは「人柄は良いけど能力は無い人」が「必要ない」という話ではありません。
 
「信頼できる人」「人柄の良い人」は、「問題を解決」してはくれなくても、「話を聞いてくれる」ことはできます。
 
現実に問題が解決していなくても、誰かに話を聞いてもらい、気持ちを分かってもらうことで「心が楽になる」ことはあります。
 
「現実に問題を解決したいのか」「誰かに話を聞いてもらって心が楽になりたいのか」その区別・線引きをしっかりしておけば良い話なのです。
 
そこを一緒くたにして、能力の無い相手に「この人に相談すれば、もう安心」と思ってしまうのは危険です。
 
本当にその問題を解決したいなら、「信頼できる人に話を聞いてもらって心をラクにする」のとはまた別に、専門家を頼ったり能力を持った相手を探す…それが、ベストな選択だと思うのです。
 

<関連記事>
いざと言う時に他人頼みだと普通に命が危ないと思うんだ
虐め(いじめ)対処の実例~小学生の時~

個人的に普段から心がけている「怒りで身を滅ぼさない」ための心得その3です。
 
あくまで“自分用”に考えてきた独自の心得ですし、“誰にでも・どんな怒りにでも”通用するものではないと思いますが、参考程度にご覧ください。
 
(項目が多くて長くなりそうなので、何回かに分けて書いています。)
世界や他人に過剰に期待・依存しない
怒りの原因のひとつに「自分の思い通りにいかなかった」「期待を裏切られた」といったことが挙げられると思います。
 
周囲や社会に期待すれば期待した分だけ、その期待が裏切られれば、マイナスの感情が膨れ上がります。
 
しかし、その期待は果たして「何か根拠のある」ものだったのでしょうか?
 
相手の能力限界も考えずに「過剰な期待」をしてはいなかったでしょうか?
 
少し考えれば分かることかと思いますが、誰だって「できないことはできない」のです。
 
英語を習ったことも無い人間に「通訳をやれ」と言っても無理なように、あるいはパソコンが苦手で30分で400字詰め原稿用紙1枚分の文字入力しかできない人間に「1時間以内に30枚分の入力を終えろ」と言っても無理なように…。
 
世の中を見渡してみると、相手のスペックを確認もせずに無茶な要求をし、結果、思い通りの成果が得られずに怒っている人間のなんと多いことかと思います。
 
中には「できないなら努力して“できるように”なるべきだ」という方もいることでしょう。
 
ですが努力は必ずしも報われるものではありませんし、報われたとしても一朝一夕に実現するものではありません
 
「できない」人間に、それでもなお結果を求め続けることは現実的ではありませんし、エネルギーの無駄だと思いませんか?
 
世の中、何でもパーフェクトにこなせる完璧人間などそうそういるものではありませんし、むしろ自分の周りがそんな完璧超人だらけだったら、自分の能力の低さが身に染みて嫌な思いをするのではないでしょうか。
 
完璧な人間がそうそういない以上、この世の中が理不尽思い通りにいかないのは、むしろ「当たり前」のことなのです。
 
完璧でも何でもない未熟な人間たちが、頻繁に失敗や間違いを繰り返しながら動かしているのがこの世の中、ということなのですから…。
 
世の中や周囲の人間に過剰な期待をして「裏切られた」と怒る前に、この世の中や現代に生きる人間が「どういうものなのか」をちゃんと把握しておくべきなのではないでしょうか。
 
「こういう世の中であって欲しい」「こういうことをして欲しい」と頭の中でどれだけ願ったところで、そんな願いをすぐに叶えてくれる“魔法使い”は存在しません。
 
もしも本気で叶えたい希望があるなら、夢や理想に目をくもらせて世の中を過大評価したりせずに、現実を直視し、「問題点」を洗い出し、その問題を解決する方法を考察→実行していかなければいけません。
 
そもそも周囲に「期待」するということは、自分がそれだけ周囲の能力を「上」だと見積もっている、ということです。
 
口では怒って相手を罵倒するくせに、実は無意識に相手を過大評価している……だとしたら、よく分からない矛盾が生じている気がします。
 
怒らずに問題解決する能力を身につけよう
自分は他の人に比べて怒りの沸点が高い(滅多に怒らない)方だと思うのですが、その理由を考えてみた時、思い当たるものが1つあります。
 
それは自分が「怒りという感情を爆発させる」ことより、「怒りの原因となった“問題”を解決する」方を優先しているからです。
 
「怒り」というものには当然、原因や理由が存在します。
 
けれど、その原因や理由に対して「怒った」ところで、果たして問題は解決するでしょうか?
 
感情を爆発させれば、怒りの原因となった相手がこちらの言い分を聞いてくれるでしょうか?
 
それとも周りにいる誰かが問題解決のために動いてくれるでしょうか?
 
もちろん現実には、それで事態が動くケースも無いわけではありません
 
しかし100%それで解決するかと言えば答えはNOですし、自分の社会的評価が下がるリスクもあります。
 
それに、相手や状況によっては、逆に事態が自分が望まない方向へ動いてしまう危険もあります。
 
そんな諸々の事情を考えると、どうしても「どんな能力を持っているかも分からない他人に期待するより、自分で解決策を練った方が手っ取り早くて安心だな」と思ってしまうのです。
 
怒りには「爆発させることによって溜め込んだストレスを一度スッキリさせる」という効能もあるのかも知れません。
 
でも一時的に感情がスッキリしたところで、問題が解決していなければ新たなストレスが発生しかねません。
 
自分は目先の感情より実利を優先するシビアなタイプの人間ですので、怒りを感じるよりも先に「これを解決するにはどうしたらいいだろう」ということに頭が行ってしまい「怒っている暇もエネルギーも無い」のです。
 
そもそも怒りに心を囚われてしまうと、目がくもり、思考が鈍って、真っ当な解決策が思いつけなくなります。
 
冷静にものを考えられていれば思いつけたはずの解決策を、怒りによって時間とエネルギーを無駄に消費していたせいで見出せなかったとしたら、それは人生においてマイナスでしかない気がしてならないのです。
 
もちろん、問題を解決するには、それ相応の能力が要ります。
 
そもそも「何が問題なのか」を見つける視点さえ、ある程度脳を鍛えていなければ得られないものかと思います。
 
ですが「周囲に完璧な人間なんてそうそういない、あてにならない世の中」で生き抜いていこうとするなら、問題解決能力を磨くことは必須だと思うのです。
 
どんなに文明が進歩しても、この世が理不尽で弱肉強食な世の中であることに変わりはありません。
 
以前このブログの記事にも書きましたが「いざという時に周囲をアテにしないで自分で解決できる」ようにしておかなければ、あっさり命さえ失いかねないと思うのです。
 
関連記事>いざと言う時に他人頼みだと普通に命が危ないと思うんだ


関連記事>怒りの感情のコントロール方法(その1)(その2)
個人的に普段から心がけている「怒りに身を滅ぼさない」ための心得その2です。
 
あくまで“自分用”に考えてきた独自の心得ですし、“誰にでも・どんな怒りにでも”通用するものではないと思いますが、参考程度にご覧ください。
 
(項目が多くて長くなりそうなので、何回かに分けて書いています。)
 
「怒りっぽい人は嫌われる」ことを意識しよう
 
立場を逆にして考えれば分かることですが、すぐに怒る人間が身近にいると、面倒くさかったり、嫌だったりしますよね?
 
ちょっとしたことですぐに怒る人間を、わざわざ相手にしたいとは思わないですよね?
 
まして、怒りに任せて暴言を吐いたり乱暴なことをしたりする人間は、怖くて危険なので、近づきたいとさえ思わないのではないでしょうか。
 
そんな風に「怒りっぽい人間」は他人に嫌われ、避けられることになりやすいのです。
 
他人に対して怒りをぶつけると、その分だけ周囲から嫌われ、孤立に陥り、社会的にも不利になるリスクが高まります。
 
たとえその怒りに正当な理由があったとしても、人間には他人の心の中をのぞく能力はありませんから、周りの人間にそんな“動機”が見えるはずもありません。
 
ただ「怒って乱暴なことをしている」という“結果”が見えるだけです。
 
怒って何かに当たりたくなった時、そんな“他人の目”を意識してみれば、少しは気持ちが変わるのではないでしょうか。
 
あるいは、怒りに任せて行動する自分を、“自分を見つめる自分の目”で冷静に見つめ直してみてはいかがでしょうか。
 
「こんなことをしていたんじゃ、周囲に怖がられる」「嫌われる」――そのことを意識するだけでも、感情の爆発をある程度抑えることができるのではないでしょうか。
 
そしてそれは自分を孤立のリスクから遠ざけ、自分で自分の将来を守ることにつながるのです。
 
ただ、普段から人目を気にし過ぎて被害妄想に陥りがちな方には、この方法はあまりオススメできないかも知れません…。
 
「周りに嫌われているかも知れない」という過剰な自意識が、余計に神経を尖らせ、怒りを増幅させてしまうかも知れませんので…。
 
「お互い様」の意識を持つ
 
他人のミスや失敗にイラつき怒りを覚えた時、「自分も過去に似たようなミスをしたことがあるのにそれを棚に上げている」ということがありませんか?
 
あるいは“同じような”失敗はなかったとしても、何らかの形で他人に迷惑をかけた経験はありませんか?
 
社会の中にいる以上、人間は何らかの形で他人の手をわずらわせるものだと思います。
 
しかし、自分が相手にかけた迷惑や手間は意識していないのに、他人からかけられた迷惑や手間はよく目について気にさわる――そんなタイプの人間が「怒りっぽさ」を生んでいるのではないでしょうか。
 
他人に対してイラッとした時、過去に自分が犯した失敗や、他人にかけた迷惑をふと思い出して「ああ、お互い様だな」と思うことができたなら、怒りを抑えることができるのではないでしょうか。
 
「ささいなミスや失敗さえ許さない」という不寛容さが社会に蔓延すれば、それは「いつかの将来に自分が犯すミスや失敗も一切許されない」ということになります。
 
それは自分で自分の首を締める行為でしかありません。
 
相手のミスや失敗に対し寛容であるということは、今目の前にいる相手のためだけではなく、将来の自分のためにもなることなのです。
 
幸せに対する感受性を高める
 
社会をざっと見て個人的に感じたことですが、怒りっぽいタイプの人間の中には「自分が世の中で報われていない」「自分の人生は不幸だ」と思っている人間が多いような気がします。
 
幸せになれない、報われない世の中自体に怒りを感じ、それがその社会に属するひとりひとりの人間にも向いてしまっている…そんな気がするのです。
 
そんな時にふと思うのが「報われるって、具体的にどういうことを言うのだろう」「世の中、幸せの基準が上がり過ぎていないだろうか」ということです。
 
今の世の中は情報にあふれていますので「上の生活」を知る機会も多いと思います。
 
贅沢な衣食住、他人からの「いいね」がたくさんもらえる人生……。
 
そんな“良い人生”を送っている他人と自分を比べて、「自分だって頑張ってるのに、どうして報われないんだろう」と思っている人も多いのではないかと思います。
 
ただ…果たしてその人は、本当に“報われていない”のでしょうか?
 
うらやましがっているその人生は、本当にうらやましがるほど価値のある良いものなのでしょうか?
 
自分は、お金のたくさんある暮らしを本気でうらやましいと思ったことは、ほとんどありません。
 
「こんな暮らしができたらなー」と夢想することはあっても、想像力があり過ぎるせいか、大概は“想像するだけ”で満足してしまいますし、実際にその生活を送った場合のデメリットやリスク(「維持費がかかるんだろうなー」とか「固定資産税いくら取られるんだろうなー」とか「防犯対策をしっかりしないと危険だよなー」等々…)まで同時に想像してしまうので、そもそもあまり「うらやましい」という気が起きないのかも知れません。
 
それに自分の好きなものは大概「お金で買えないものばかり」――逆に言えば「お金がなくても手に入るものばかり」なので、そんな「自分の好きなもの」「自分にとっての幸せ」を集めるのに夢中になってしまい、他人の生活をうらやましがっている暇がないのです。
 
たとえば、どんなにお金を持っていても、偶然虹に出逢える確率を上げることはできません。
 
夕暮れ時の空が金色に光っているのを見て「綺麗だなー」と感動することに、お金は必要ありません。
 
どんな高級な毛皮に身を包むより、うちの猫の背中に顔をうずめてモフモフする方が幸せだと思っています。
 
それに、今こうして生きて普通に生活できているということが、どれほど幸せなのかということを知っています。
 
自分が「報われていない」「幸せじゃない」と感じている人の中には、そんな身近にある当たり前でささやかな幸せたちを見失ってしまっている人が多いのではないかと思うのです。
 
人の欲には限りがなく、上を望めばきりがありません。
 
きっとどんなにお金を持っていても、それよりさらにもっと上の生活を夢見て「自分は報われていない」と思っている人はいるのではないでしょうか。
 
自分を幸せにできるかどうかは、どんな財産を持っているかではなく「幸せを感じ取る感受性」にかかっていると、自分は思います。
 
どんなに貧しくても、不運な環境にあっても、心の持ち方ひとつで幸せになることはできます。
 
そしてそんな風に日々幸せを感じて生きることができたなら、他人に対して怒りを持つことも少なくなるような気がするのです。
 
関連記事>「幸せは心の持ちよう」の具体例|“ささやかな幸せ”を貯蓄する


関連記事>怒りの感情のコントロール方法(その1)(その3)
革命や変革が怒りの爆発によって起こるように、「怒り」は時に世界を変えるエネルギーを生む、人類にとって不可欠な感情ではあります。
 
でも、それはたまにしか起こらないレアなケース。
 
普通の日常生活の中での「怒り」は大概の場合、人間関係を壊してしまったり、トラブルの発端となったり、厄介事の原因になってしまっているのではないでしょうか。
 
怒りは人生を悪い方向に転がしてしまいかねない、危険な感情でもあります。
 
自分の人生をうっかり破滅させたくないのであれば「怒りに我を忘れないように」感情のコントロールを考えていく必要があると思います。
 
以下に書いているのは、自分が普段から心がけている「怒りで身を滅ぼさない」ための心得です。
 
あくまで“自分用”に考えてきた独自の心得ですし、“誰にでも・どんな怒りにでも”通用するものではないと思いますが、参考程度にご覧ください。
 
(項目が多くて長くなりそうなので、何回かに分けて書いていこうと思います。)
 
 
自分の怒りやイラつきを“自覚”する
 
誰にだって気分の上がり下がりがあります。
 
特に理由があるわけでもないのに気分が悪い、心がざわつく時だってあると思います。
大切なのは、そんな時に自分自身の状態を“自覚”しておくことです。
 
「あぁ、今日は何だか、ささいなことでイラつく日だな」「自分、怒りっぽくなってるな」ということに、ちゃんと自分で気づいておくことです。
 
その、ちょっとした自覚の差が、怒りに駆られて何かをしそうになった時のストッパーになってくれることがあります。
 
「この人が悪いわけじゃない。嫌なことが重なって怒りっぽくなってるからだ」「前に他の人に同じことされた時には怒らなかったのに、今日は怒るなんて不公平じゃないか」―そんな風に、自分自身の心の声が歯止めとなって、怒りをやわらげてくれることがあります。
 
怒り方の“ルール”を決めておく
 
怒りにまかせて取り返しのつかない失敗をしてしまうタイプの人は、そもそも「怒り方のルール」を決めていないのではないでしょうか?
 
人間誰しも、怒りに心を支配されてしまう可能性はあります。
 
そしてそんな風に怒りに支配された時、頭はまともに働きません
 
怒りにエネルギーを奪われている分、思考は普段とは比べ物にならないほど鈍くなり、いつもなら当たり前に気づくようなことに気づけないので、うっかり言ってはいけないことを口にしてしまったり、相手を取り返しもつかないほど傷つけてしまったりするものです。
 
ならば、冷静に頭が働く平常時に、あらかじめ怒り方のルールを決めておいてしまえば良いのです。
 
怒りに鈍った頭でも、既にあるルールを実行するだけなら難しくありません。
 
たとえば自分の場合「怒っても“生物”には絶対にあたらない」「罵倒であっても、命を軽視する発言はしない」というルールを決めています。
 
怒りにまかせて生物に暴力をふるっては取り返しがつきません。
 
なので、どうしても当たり散らしたくなったら「無機物」もしくは「概念」や「システム」に怒りをぶつけるようにしています。
 
それも、なるべく手を出すのではなく口を出す方向で怒りを発散させるようにしています(そもそも形の無い概念に手は出せないですけどね…)。
 
さらには、ただ罵詈雑言をぶつけるのではなく、どこがどんな風に駄目なのか、その駄目な部分を改善するにはどうすればいいのか具体的に文句をぶつけるようにしています(あくまでひとりごとですが)。
 
たとえば「なんって分かりづらいサイトなんだ!?これを作った人間はユーザー目線を全く意識していないのか!?」から始まり「ここにこういう文言を書いておけば分かりやすいのに!」「ワンクリックで目的のページへ跳べるようにしておけば余計な手間がなくてカンタンなのに!」という風に文句を連ねていくわけですが…
 
こういうやり方をすると、その「こうすればいいのに!」という文句が、そのうち自分でサイトを制作する際に活かせたりと、自分自身に“応用”できるので非常に建設的オススメです。
 
「命を軽視した発言をしない」の方は、自分が「世にも奇妙な物〇」的な思考回路の持ち主というのも関係していると思いますが…
 
たとえば「相手に『しね』と言ってしまった後、本当に相手が何らかの理由で命を落としてしまったらどうしよう」ということを想像してしまうので、基本的にそういうことは言いたくないのです。
 
それに、軽い気持ちであろうが、売り言葉に買い言葉であろうが、酒に酔っての言動であろうが、“誰かから死を望む発言をされた”という事実は、なかなか忘れられないものだと思うのです。
 
それが家族や友人など身近な人物であればあるほど、余計に…。 
(少なくとも自分は忘れられないタイプなので。)
 
なので、自分自身、ふとしたきっかけでうっかりそんな言葉を発してしまわないよう、普段から生死に関わる言葉には気をつけているのです。



関連記事>怒りの感情のコントロール方法(その2)(その3)
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社会人(毎日PCを使う仕事。残業も休日出勤も普通にあります。)
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小説・HP制作、読書、猫と遊ぶこと。
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ファンタジー、冒険、恋愛、青春、推理、濃い人間ドラマの展開するモノ。
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