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日々ふと思うことを徒然なるままに書き綴る個人的エッセイあるいは回想録。
自分には、未だに忘れられない光景があります。
 
中学時代、散々嫌がらせをされてきた“天敵”に、無理矢理手をつかまれ学校の廊下を引きずられていく光景。
 
周りには何人も同級生たちがいたのに、誰一人、助けてくれず、声をかけてさえくれなかった光景。
 
…もしかしたら、自分が「助けて」と声を上げていれば、少しは状況が変わっていたのかも知れません。
 
が、当時はそんな風に“嫌がらせされている”姿を他人に見られること自体、恥ずかしいと思っていましたし、まして周りに助けを求めることなんてできませんでした。
 
結局この頃は同級生の誰かどころか先生でさえ助けてはくれず、自分で状況を変えていくしかなかったわけですが…

(関連記事>ハブられ状態脱出の実例~中学生の時~
 
この時を境に、自分の中には「人間不信」が芽生えてしまいました。
 
仲の良い友達ができたって、一番助けて欲しい時に助けてくれない、それどころか裏切って心を傷つけてきたりする――だったら、友人を作る意味とは何なのだろう…
 
あからさまに窮地に陥っている人間がいるのに、誰も手を差し伸べてくれない――こんな冷たい人間ばかりの世界で、他人を求める意味はあるのだろうか…
 
そんな想いが渦巻いて、しばらくの間は、新たに人間関係を築くこと自体が嫌になりました。
 
(ちなみに嫌がらせをしてきた“天敵”自体が、実は小学校時代の友人だったという、さらなるトラウマがあったりします。)
 
けれど、学校という空間で「友達を作らず」「ひとりでいる」というのは、とても難しく、キツいことです。
 
修学旅行の班決め、給食で一緒に食事するグループ、体育の授業でのペア…学校では二人以上の団体行動を要求してくる場面がしょっちゅうあります。
 
そこで友人がいない「余りもの」状態だと、たとえ人数合わせでどこかのグループに入れてもらえたとしても、とても気まずく、いたたまれない想いをします。
 
中学2年で天敵を拒絶し、結果クラス内で孤立し、3年になってからも、元々親しい人間が1人もいないクラスで新たに友人を作らなかった自分は、そんな“いたたまれない”想いを年中していました。
 
(部活では普通に友人がいましたが、誰一人として同じ組にはならなかったのです…。)
 
それでも自分は、“信じられない友人”を嫌々作るより、その“いたたまれなさ”に耐える方がよほどマシだと思っていたのです。

(どうしてそこまでして友人を作るのが嫌だったのかは、“天敵”の件と絡めて後々書いていくかも知れません。)
 
中学を卒業し、高校に入ってからも、自分の「友達作りたくない病」は変わらず、親しい友人を新たに作ることなく、中学時代の友人(部活で仲の良かった友人)とばかり、つるんでいました。
 
しかし、高校では断然クラスの中での“過ごしやすさ”が違っていました。
 
なぜなら自分の進学した高校は、成績順にクラス分けがされるような進学校で、朝と帰りには毎日小テストがあり、生徒は休み時間でも参考書を開いているような人間がほとんどだったからです。
 
学校の旅行の部屋割やグループ分けなども、氏名の順に学校側が決めることが多く、特別に仲の良い友人を作らなくてもやっていけましたし、ひとりでいても“浮く”ことがなかったのです。
 
クラスメイトたちも、普段はあまり喋ったりしていなくても、球技大会や体育祭、文化祭などの行事では皆で団結して協力し合うという雰囲気があり、「必要な時だけ団体行動をして、その他の時にはひとりでいてもいい」という空気が、とても居心地が良かったのです。
 
結局、高校の三年間、親しい友人という存在は特にいませんでしたが、その三年間が自分にとっては必要な“心の休養期間”だったのではないか――今になってみると、そう思えます。
 
きっとあの頃、人間不信のピーク状態のままで無理矢理友人を作ったとしても、ますます人間不信をこじらせ、心が疲弊するばかりだったのではないかと思うのです。
 
無理に友人を作る必要もなく、不登校になることもなく“普通に学校に行けた”三年間は、自分にとって“とてもラク”で、心が休まる期間でした。
 
その三年間で自分は好きな読書にのめり込み、知識の幅と自分の世界を広げていきました。
 
そして高校を卒業し大学に入る頃には、「知っている人の誰もいない学校だし、この機会にボチボチ友達でも作っていこうか」という気分になれていたのです。
 
「友達がいない」「ハブられている」「ひとりぼっち」という状態は、不登校につながりかねない辛い状況です。
 
しかし、それは単に「寂しい」「ひとりが嫌」というだけでなく、「周囲の目が気になる」「周りから浮いているのが怖い」「変な目で見られたり、かわいそうな目で見られたくない」という面もあるのではないでしょうか。
 
「ひとり」でいる人間が、必ずしも仲間や友人を求めているわけではありません。
 
中には、心にひどい傷を負い過ぎて「今は誰とも関わりたくない」「そっとしておいて欲しい」という人もいるのではないでしょうか。
 
(それで放置するのが良いのか、むしろ積極的に関わっていった方が良いのかは、個人個人でケースが違ってくるのでしょうが…。)
 
個人的には、学校という空間が、もっと「ひとりでいても大丈夫」な場になれば、学校にいるのが苦痛という人が減るのではないかと思います。
 
「ひとりでいてもおかしくない」「ひとりでいるのは普通のこと」だったら、嫌いな友達と無理につき合う必要もなく、ハブられてもそこまで絶望する必要はなく、虐めに耐えてまでグループ内に居場所を求める必要もありません。
 
「友達がいないとダメ」「無理にでもグループを組まなければならない」という学校の暗黙のシステムが、余計に人間関係にしているような…そんな気がするのです。
 
(まぁ、全てが全て個人主義になってしまったら、それはそれで新たな問題が発生していくのかも知れませんが…。)
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津籠睦月(つごもりむつき)
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【好きな小説ジャンル】
ファンタジー、冒険、恋愛、青春、推理、濃い人間ドラマの展開するモノ。
【備考】
漢検2級(準1以上は未受験)。国語の最高偏差値80(高2時点)。
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