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日々ふと思うことを徒然なるままに書き綴る個人的エッセイあるいは回想録。

自分の“力”を誇れるかどうかは、実力の程度とはあまり関係がなく、その人の“性格”や“育ってきた環境”による、というのが、自分の経験上の持論です。
 
なぜなら自分は、実際の能力の有無に関わらず、常に自分に対して自信のない子どもだったからです。
 
自分がそんな風に自信無く生きてきた理由は、親に褒められた経験があまり無いことにありました。
 
たとえばテストで良い点をとっても、絵画コンクールで入賞しても、読書感想文でクラスの代表に選ばれても、褒められたという記憶はありません。
 
そもそも両親が共働きで忙しく、子どもの学校生活をいちいち聞いてくれるような時間的余裕がなかったということも理由の一つではありますが、それ以上にうちの親の場合、たとえ子どもが自分自身の力で絵画コンクール入賞できるような腕を持っていようと、感性やセンスが合わなければ容赦なく“ダメ出し”し、むしろ嬉々として「お父さんが手伝ってやる」と、子どもの描いた絵に自分の好きな絵のタッチを“上書き”してくるような性格をしていた、ということに問題があったような気がします。
 
さらには自分の場合、本来なら体力に回すべきエネルギーを全て頭脳に吸い取られたとでも言うように身体が弱く、体育の成績はいつでもクラスの最底辺、1ヶ月に1度はダウンして学校を2~3日休む、という状態だったため、その辺りをいつも責められ、長所を褒められるどころではなかった、ということもあります。
 
それと、自分が得意としていた分野が主に勉強などのインドア方面で、学生時代当時、周囲の人気の的になれるようなジャンルではなかった、ということもあります。
 
逆に、クラス内どころか学年すら超えて周囲から一目置かれていたのがうちの兄弟で、彼は運動会では組別対抗リレーのアンカーに選ばれ、休み時間には鉄棒で大技を次々と決めて周りに人垣を作り、クラブ活動では竹からナイフ一本で耳かきや竹とんぼを作り上げたり、コマ回しやベーゴマの腕で周囲の尊敬を集め(←そういう”昔の遊び”をするクラブに入っていたのです。)、さらには笑いのセンスで人気を集めるという、典型的な“クラスの人気者”タイプで、自分は何かと自分自身と比べてコンプレックスに苛まれたりしていたものでした。
 
そんな環境から、いつしか自分は良い成績をとろうと、校内で表彰されたり何かに選ばれることがあろうと、「こんなことはべつに褒められるようなことじゃない」「自慢できるようなものじゃない」と思うようになっていました。
 
たとえどんな能力を持っていようと、本人がそこに価値を認めなければ、それは自信の根拠になどなりはしません

たとえ、はたから見れば妬ましく思えるような能力をもっていたとしても、本当に喜んで欲しい身近な人間がそれを評価してくれなければ、そこに価値を見出すことはできなかったりするのです。
 
そんな風に長い間、自分に価値を見出すことができずに苦しんでいる時期が、自分にはありました。
 
今思うと、おかしなことだと思います。
 
たとえ大切な人から認めてもらえずとも、そこにはちゃんと、ある種の能力が存在していたのに。
そしてその能力は、たぶん、自分の将来を切り拓くのに役立つような種類の力であったにも関わらず…。
 
そして世の中には逆に何の根拠も無いのに自信満々に堂々と生きているような人も沢山いるというのに。
 
たぶん、“自信の根拠”を他者(特に家族など、自分が心から肯定してもらいたいと思っている相手)に求めてしまっていたのが、いけなかったのではないかと思います。
 
「褒められたい」「認められたい」という欲求ばかりが大きくて、他者からの評価ばかりを求めて、自分の力を自分自身の目で冷静に、客観的に分析・評価することができていなかったのでしょう。
 
たとえ血のつながった親であっても、自分ならぬ他人である以上、価値観はそれぞれ違います。
自分が良いと思ったもの、褒めて欲しいものを、必ずしも認めてもらえるとは限りません。
 
それなのに「親(あるいは大切な誰か)に認めてもらえないから価値のないものなんだ」と自分で自分の能力を否定してしまうのは、ひどくもったいないことだったな、と我ながら思うのです。
 
今は大切な人に認めてもらえなかったとしても、もしかしたら、これから自分と同じような価値観を持つ”大切な誰か”に出会えて、その人は自分の能力を認めてくれるかも知れないのに…。
 
それに自信の有無は、その人の積極性にも影響を与えます。
 
自信に満ちた言動は(たとえその裏に実力が伴っていなかったとしても)見る人に何となく安心感信頼感を与えたりするものです。
 
自分に自信が無くて自己アピールも消極的な人間より、根拠の無い自信であっても自信満々に堂々と自分をPRできる人間の方が、他人に与える印象という点においては何かと有利だったりするように…。
 
そして自分に自信がないことは、行動力にも確実に影響してきます。
 
心の底では「正しい」と思うことでも、自分に自信がないので言えない・行動できない――あるいは会議やゼミなどの場で自分の考えを思うままに発言できず、無難な発言に留めてしまう――そして、自分のやりたいことが思うようにできない等々…。
 
自信の無さは、自分の経験上、確実に人生を蝕んできました。
 
正直、自分に自信を持つということは、学力やその他の能力をUPさせるよりも人生に必要な能力なのではないかと思うほどです。
 
親に褒められることが人生に良い方に作用するかどうかは、その人次第かも知れません。 
もしかしたら変に増長してダメな子に育ってしまうパターンもあるのかも知れません。
 
ただ、自分の場合には、もっと褒めて自信を与えて欲しかったな、と思うのです。
 
そうすれば、少なくとも就活であんなに面接に苦戦することもなかったような気がします。
 
もっとも、ただ何の根拠も無く常に自信満々でいれば良いのかと言うと、決してそうではなく、ちゃんと根拠があった上で自分を信じ、時には適度に自分を疑うことも大事だとは思っているのですが。
 
そして、その”根拠”は必ずしも実力や数値に表れるような”能力”ではなく、自分がそれまでどれだけのことを頑張ってきたのか、他の誰が知らずとも自分自身は知っているそれまでに積み上げてきた努力の過程を、密かに誇って自信にすれば良いと思うのですが。


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