日々ふと思うことを徒然なるままに書き綴る個人的エッセイあるいは回想録。
自分には、未だに忘れられない光景があります。
中学時代、散々嫌がらせをされてきた“天敵”に、無理矢理手をつかまれ学校の廊下を引きずられていく光景。
周りには何人も同級生たちがいたのに、誰一人、助けてくれず、声をかけてさえくれなかった光景。
…もしかしたら、自分が「助けて」と声を上げていれば、少しは状況が変わっていたのかも知れません。
が、当時はそんな風に“嫌がらせされている”姿を他人に見られること自体、恥ずかしいと思っていましたし、まして周りに助けを求めることなんてできませんでした。
結局この頃は同級生の誰かどころか先生でさえ助けてはくれず、自分で状況を変えていくしかなかったわけですが…
(関連記事>ハブられ状態脱出の実例~中学生の時~)
この時を境に、自分の中には「人間不信」が芽生えてしまいました。
仲の良い友達ができたって、一番助けて欲しい時に助けてくれない、それどころか裏切って心を傷つけてきたりする――だったら、友人を作る意味とは何なのだろう…
あからさまに窮地に陥っている人間がいるのに、誰も手を差し伸べてくれない――こんな冷たい人間ばかりの世界で、他人を求める意味はあるのだろうか…
そんな想いが渦巻いて、しばらくの間は、新たに人間関係を築くこと自体が嫌になりました。
(ちなみに嫌がらせをしてきた“天敵”自体が、実は小学校時代の友人だったという、さらなるトラウマがあったりします。)
けれど、学校という空間で「友達を作らず」「ひとりでいる」というのは、とても難しく、キツいことです。
修学旅行の班決め、給食で一緒に食事するグループ、体育の授業でのペア…学校では二人以上の団体行動を要求してくる場面がしょっちゅうあります。
そこで友人がいない「余りもの」状態だと、たとえ人数合わせでどこかのグループに入れてもらえたとしても、とても気まずく、いたたまれない想いをします。
中学2年で天敵を拒絶し、結果クラス内で孤立し、3年になってからも、元々親しい人間が1人もいないクラスで新たに友人を作らなかった自分は、そんな“いたたまれない”想いを年中していました。
(部活では普通に友人がいましたが、誰一人として同じ組にはならなかったのです…。)
それでも自分は、“信じられない友人”を嫌々作るより、その“いたたまれなさ”に耐える方がよほどマシだと思っていたのです。
(どうしてそこまでして友人を作るのが嫌だったのかは、“天敵”の件と絡めて後々書いていくかも知れません。)
中学を卒業し、高校に入ってからも、自分の「友達作りたくない病」は変わらず、親しい友人を新たに作ることなく、中学時代の友人(部活で仲の良かった友人)とばかり、つるんでいました。
しかし、高校では断然クラスの中での“過ごしやすさ”が違っていました。
なぜなら自分の進学した高校は、成績順にクラス分けがされるような進学校で、朝と帰りには毎日小テストがあり、生徒は休み時間でも参考書を開いているような人間がほとんどだったからです。
学校の旅行の部屋割やグループ分けなども、氏名の順に学校側が決めることが多く、特別に仲の良い友人を作らなくてもやっていけましたし、ひとりでいても“浮く”ことがなかったのです。
クラスメイトたちも、普段はあまり喋ったりしていなくても、球技大会や体育祭、文化祭などの行事では皆で団結して協力し合うという雰囲気があり、「必要な時だけ団体行動をして、その他の時にはひとりでいてもいい」という空気が、とても居心地が良かったのです。
結局、高校の三年間、親しい友人という存在は特にいませんでしたが、その三年間が自分にとっては必要な“心の休養期間”だったのではないか――今になってみると、そう思えます。
きっとあの頃、人間不信のピーク状態のままで無理矢理友人を作ったとしても、ますます人間不信をこじらせ、心が疲弊するばかりだったのではないかと思うのです。
無理に友人を作る必要もなく、不登校になることもなく“普通に学校に行けた”三年間は、自分にとって“とてもラク”で、心が休まる期間でした。
その三年間で自分は好きな読書にのめり込み、知識の幅と自分の世界を広げていきました。
そして高校を卒業し大学に入る頃には、「知っている人の誰もいない学校だし、この機会にボチボチ友達でも作っていこうか」という気分になれていたのです。
「友達がいない」「ハブられている」「ひとりぼっち」という状態は、不登校につながりかねない辛い状況です。
しかし、それは単に「寂しい」「ひとりが嫌」というだけでなく、「周囲の目が気になる」「周りから浮いているのが怖い」「変な目で見られたり、かわいそうな目で見られたくない」という面もあるのではないでしょうか。
「ひとり」でいる人間が、必ずしも仲間や友人を求めているわけではありません。
中には、心にひどい傷を負い過ぎて「今は誰とも関わりたくない」「そっとしておいて欲しい」という人もいるのではないでしょうか。
(それで放置するのが良いのか、むしろ積極的に関わっていった方が良いのかは、個人個人でケースが違ってくるのでしょうが…。)
個人的には、学校という空間が、もっと「ひとりでいても大丈夫」な場になれば、学校にいるのが苦痛という人が減るのではないかと思います。
「ひとりでいてもおかしくない」「ひとりでいるのは普通のこと」だったら、嫌いな友達と無理につき合う必要もなく、ハブられてもそこまで絶望する必要はなく、虐めに耐えてまでグループ内に居場所を求める必要もありません。
「友達がいないとダメ」「無理にでもグループを組まなければならない」という学校の暗黙のシステムが、余計に人間関係を歪にしているような…そんな気がするのです。
(まぁ、全てが全て個人主義になってしまったら、それはそれで新たな問題が発生していくのかも知れませんが…。)
中学時代、散々嫌がらせをされてきた“天敵”に、無理矢理手をつかまれ学校の廊下を引きずられていく光景。
周りには何人も同級生たちがいたのに、誰一人、助けてくれず、声をかけてさえくれなかった光景。
…もしかしたら、自分が「助けて」と声を上げていれば、少しは状況が変わっていたのかも知れません。
が、当時はそんな風に“嫌がらせされている”姿を他人に見られること自体、恥ずかしいと思っていましたし、まして周りに助けを求めることなんてできませんでした。
結局この頃は同級生の誰かどころか先生でさえ助けてはくれず、自分で状況を変えていくしかなかったわけですが…
(関連記事>ハブられ状態脱出の実例~中学生の時~)
この時を境に、自分の中には「人間不信」が芽生えてしまいました。
仲の良い友達ができたって、一番助けて欲しい時に助けてくれない、それどころか裏切って心を傷つけてきたりする――だったら、友人を作る意味とは何なのだろう…
あからさまに窮地に陥っている人間がいるのに、誰も手を差し伸べてくれない――こんな冷たい人間ばかりの世界で、他人を求める意味はあるのだろうか…
そんな想いが渦巻いて、しばらくの間は、新たに人間関係を築くこと自体が嫌になりました。
(ちなみに嫌がらせをしてきた“天敵”自体が、実は小学校時代の友人だったという、さらなるトラウマがあったりします。)
けれど、学校という空間で「友達を作らず」「ひとりでいる」というのは、とても難しく、キツいことです。
修学旅行の班決め、給食で一緒に食事するグループ、体育の授業でのペア…学校では二人以上の団体行動を要求してくる場面がしょっちゅうあります。
そこで友人がいない「余りもの」状態だと、たとえ人数合わせでどこかのグループに入れてもらえたとしても、とても気まずく、いたたまれない想いをします。
中学2年で天敵を拒絶し、結果クラス内で孤立し、3年になってからも、元々親しい人間が1人もいないクラスで新たに友人を作らなかった自分は、そんな“いたたまれない”想いを年中していました。
(部活では普通に友人がいましたが、誰一人として同じ組にはならなかったのです…。)
それでも自分は、“信じられない友人”を嫌々作るより、その“いたたまれなさ”に耐える方がよほどマシだと思っていたのです。
(どうしてそこまでして友人を作るのが嫌だったのかは、“天敵”の件と絡めて後々書いていくかも知れません。)
中学を卒業し、高校に入ってからも、自分の「友達作りたくない病」は変わらず、親しい友人を新たに作ることなく、中学時代の友人(部活で仲の良かった友人)とばかり、つるんでいました。
しかし、高校では断然クラスの中での“過ごしやすさ”が違っていました。
なぜなら自分の進学した高校は、成績順にクラス分けがされるような進学校で、朝と帰りには毎日小テストがあり、生徒は休み時間でも参考書を開いているような人間がほとんどだったからです。
学校の旅行の部屋割やグループ分けなども、氏名の順に学校側が決めることが多く、特別に仲の良い友人を作らなくてもやっていけましたし、ひとりでいても“浮く”ことがなかったのです。
クラスメイトたちも、普段はあまり喋ったりしていなくても、球技大会や体育祭、文化祭などの行事では皆で団結して協力し合うという雰囲気があり、「必要な時だけ団体行動をして、その他の時にはひとりでいてもいい」という空気が、とても居心地が良かったのです。
結局、高校の三年間、親しい友人という存在は特にいませんでしたが、その三年間が自分にとっては必要な“心の休養期間”だったのではないか――今になってみると、そう思えます。
きっとあの頃、人間不信のピーク状態のままで無理矢理友人を作ったとしても、ますます人間不信をこじらせ、心が疲弊するばかりだったのではないかと思うのです。
無理に友人を作る必要もなく、不登校になることもなく“普通に学校に行けた”三年間は、自分にとって“とてもラク”で、心が休まる期間でした。
その三年間で自分は好きな読書にのめり込み、知識の幅と自分の世界を広げていきました。
そして高校を卒業し大学に入る頃には、「知っている人の誰もいない学校だし、この機会にボチボチ友達でも作っていこうか」という気分になれていたのです。
「友達がいない」「ハブられている」「ひとりぼっち」という状態は、不登校につながりかねない辛い状況です。
しかし、それは単に「寂しい」「ひとりが嫌」というだけでなく、「周囲の目が気になる」「周りから浮いているのが怖い」「変な目で見られたり、かわいそうな目で見られたくない」という面もあるのではないでしょうか。
「ひとり」でいる人間が、必ずしも仲間や友人を求めているわけではありません。
中には、心にひどい傷を負い過ぎて「今は誰とも関わりたくない」「そっとしておいて欲しい」という人もいるのではないでしょうか。
(それで放置するのが良いのか、むしろ積極的に関わっていった方が良いのかは、個人個人でケースが違ってくるのでしょうが…。)
個人的には、学校という空間が、もっと「ひとりでいても大丈夫」な場になれば、学校にいるのが苦痛という人が減るのではないかと思います。
「ひとりでいてもおかしくない」「ひとりでいるのは普通のこと」だったら、嫌いな友達と無理につき合う必要もなく、ハブられてもそこまで絶望する必要はなく、虐めに耐えてまでグループ内に居場所を求める必要もありません。
「友達がいないとダメ」「無理にでもグループを組まなければならない」という学校の暗黙のシステムが、余計に人間関係を歪にしているような…そんな気がするのです。
(まぁ、全てが全て個人主義になってしまったら、それはそれで新たな問題が発生していくのかも知れませんが…。)
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中一だったか中二だったかの夏、部活内でハブられたことがあります。
当時の自分には虐め(いじめ)紛いの嫌がらせをしてくる“天敵”が一人いて、その孤立状態もその天敵の仕業でした。
夏休み中の部活で、学校へはその部活のためだけに行っているのに、誰一人として口をきいてくれず、部活時間をずっと無言で過ごすという苦痛。
しかも、夏休み前までは普通にしゃべっていて、“仲の良い友達”とさえ思っていた相手からも無視されるという、思春期真っただ中の中学生にとっては、かなりキツイ状況でした。
しかし当時から既にある程度人間心理に通じていた自分は、ただ絶望に打ちひしがれるということはありませんでした。
この孤立状態は、一人の人間によって意図的に作り出されたもの。
おそらくは、部活内の全ての人間がそれに賛同しているわけではなく、その“首謀者”が恐くて「ムリヤリ従わされている」人間もいるはず――そう考えたのです。
なので自分は学校の帰り道で“仲の良い友達”と思っていた相手を待ち伏せし、“ハブられる前と全く変わらない態度”で話しかけました。
部活中に無視されたことを責めるでもなく、むしろそのことは一切持ち出さず、以前と同じように好きなマンガの話をしたり、日常の中の他愛もない面白話をして、明るく笑い合いながら一緒に帰りました。
部活中には“天敵”が恐くて話しかけてくれない相手も、その天敵の目の届かない場所で二人きりになれたなら、今まで通り、普通に話してくれるはず……自分はそう推察し、そしてその考えは当たっていたのです。
相手がハブりに加担したことを何も思わないわけではありませんでしたが、それを責めたり怒ったりして関係が壊れてしまうことの方を、自分は恐れました。
そもそも「力の強い人間に逆らえず、友達さえ裏切ってしまう」という人間の弱さを、自分は当時から既にうっすら理解していたので、他の人間ほどにはソレに怒りを覚えなかった、というのもあります。
こうして自分は、部活の中ではハブられているものの、帰り道では友達と一緒という“完全には孤立していない”状態をキープできたのです。
同じようにして一人ずつ、天敵の目の届かないところで“攻略”していった結果、二学期に入るといつの間にか、孤立状態は解消していました。
(攻略の際は1対1というのも結構ポイントなのかな、と思います。ハブりに加担していることに“罪悪感”を持っている相手なら、他の人間の目が無い1対1状態に持ち込めば、わりとしゃべってくれるようになります。…ハブり首謀者の力があまりに強くて“呪縛”が強いと、ちょっと難しいかも分かりませんが。)
むしろ、気づけば逆に、こちらを窮地に陥れたその天敵の方が、周りから孤立しているという状態になっていました。
(これは意図的にやったことではないので、どうしてそうなったのかビミョウによく分かっていないのですが…。)
ハブりというものにもいろいろあり、それぞれ微妙に条件が違っているでしょうから、全てにこの解決法が効くかどうかは分かりません。
ただ、ハブりに加担している人間の中にも、簡単に(?)心を覆せる人がいるのだということを、覚えておくと便利かも知れません。
虐めに加担する人間の誰もが、本気で心の底からこちらを憎いと思って攻撃あるいは無視してくるわけではありません。
力の強い人間に巻き込まれただけだったり、周りから流されただけだったり、(おそらくは)相手をいたぶることで得られる一時の快感や優越感に溺れて正常な判断や思考ができなくなってしまっているだけだったり…
(まぁ、虐めを受ける側からしたら、どんな理由にせよ「ヒドい」ことに変わりはないのですが。)
そんな虐めを受けた時に、きっと一番マズいのは、「悪いのは自分だ」「自分はこんな酷い扱いを受けるほどに価値の無い人間なんだ」と思ってしまうことです。
大した理由も憎しみさえもなく、軽い気持ちでこちらを虐めてくる人間だっているのに、そんなことで死にたい気持ちになるなんて、そんなの自分自身が可哀想過ぎると思いませんか。
世の中には「虐められる側にも問題がある」なんて考えを持つ人間も、まだそれなりにいるのかも分かりませんが、人間が他人に対して抱く感情や評価など、そもそも個人的で相対的なもので、絶対的な評価などではありえません。
「あいつは虐められても仕方のない人間だ」と思う、その根拠自体、一部の人間の自分勝手な好き嫌いによるものかも知れないのに、そんな風に安易に“虐めを正当化”してしまうのは、自分で自分の未来を「生きづらく」しているようなものだと思います。
(そんなセリフを吐いた本人含め“誰だって”虐めの被害者になり得るのがこの世界の現実ですし、子どもの世界のみならず、大人の世界にだってパワハラや〇〇ハラなる「虐め」が横行しているわけですし…。)
そもそも、もし本当に相手に問題があったとしても、その“問題”に虐めで対処しようというのは、やはり問題があり過ぎる気がするのですが…。
<関連記事>
・虐め(いじめ)対処の実例~小学生の時~
・小学校時代の虐め(いじめ)を経て思うこと
当時の自分には虐め(いじめ)紛いの嫌がらせをしてくる“天敵”が一人いて、その孤立状態もその天敵の仕業でした。
夏休み中の部活で、学校へはその部活のためだけに行っているのに、誰一人として口をきいてくれず、部活時間をずっと無言で過ごすという苦痛。
しかも、夏休み前までは普通にしゃべっていて、“仲の良い友達”とさえ思っていた相手からも無視されるという、思春期真っただ中の中学生にとっては、かなりキツイ状況でした。
しかし当時から既にある程度人間心理に通じていた自分は、ただ絶望に打ちひしがれるということはありませんでした。
この孤立状態は、一人の人間によって意図的に作り出されたもの。
おそらくは、部活内の全ての人間がそれに賛同しているわけではなく、その“首謀者”が恐くて「ムリヤリ従わされている」人間もいるはず――そう考えたのです。
なので自分は学校の帰り道で“仲の良い友達”と思っていた相手を待ち伏せし、“ハブられる前と全く変わらない態度”で話しかけました。
部活中に無視されたことを責めるでもなく、むしろそのことは一切持ち出さず、以前と同じように好きなマンガの話をしたり、日常の中の他愛もない面白話をして、明るく笑い合いながら一緒に帰りました。
部活中には“天敵”が恐くて話しかけてくれない相手も、その天敵の目の届かない場所で二人きりになれたなら、今まで通り、普通に話してくれるはず……自分はそう推察し、そしてその考えは当たっていたのです。
相手がハブりに加担したことを何も思わないわけではありませんでしたが、それを責めたり怒ったりして関係が壊れてしまうことの方を、自分は恐れました。
そもそも「力の強い人間に逆らえず、友達さえ裏切ってしまう」という人間の弱さを、自分は当時から既にうっすら理解していたので、他の人間ほどにはソレに怒りを覚えなかった、というのもあります。
こうして自分は、部活の中ではハブられているものの、帰り道では友達と一緒という“完全には孤立していない”状態をキープできたのです。
同じようにして一人ずつ、天敵の目の届かないところで“攻略”していった結果、二学期に入るといつの間にか、孤立状態は解消していました。
(攻略の際は1対1というのも結構ポイントなのかな、と思います。ハブりに加担していることに“罪悪感”を持っている相手なら、他の人間の目が無い1対1状態に持ち込めば、わりとしゃべってくれるようになります。…ハブり首謀者の力があまりに強くて“呪縛”が強いと、ちょっと難しいかも分かりませんが。)
むしろ、気づけば逆に、こちらを窮地に陥れたその天敵の方が、周りから孤立しているという状態になっていました。
(これは意図的にやったことではないので、どうしてそうなったのかビミョウによく分かっていないのですが…。)
ハブりというものにもいろいろあり、それぞれ微妙に条件が違っているでしょうから、全てにこの解決法が効くかどうかは分かりません。
ただ、ハブりに加担している人間の中にも、簡単に(?)心を覆せる人がいるのだということを、覚えておくと便利かも知れません。
虐めに加担する人間の誰もが、本気で心の底からこちらを憎いと思って攻撃あるいは無視してくるわけではありません。
力の強い人間に巻き込まれただけだったり、周りから流されただけだったり、(おそらくは)相手をいたぶることで得られる一時の快感や優越感に溺れて正常な判断や思考ができなくなってしまっているだけだったり…
(まぁ、虐めを受ける側からしたら、どんな理由にせよ「ヒドい」ことに変わりはないのですが。)
そんな虐めを受けた時に、きっと一番マズいのは、「悪いのは自分だ」「自分はこんな酷い扱いを受けるほどに価値の無い人間なんだ」と思ってしまうことです。
大した理由も憎しみさえもなく、軽い気持ちでこちらを虐めてくる人間だっているのに、そんなことで死にたい気持ちになるなんて、そんなの自分自身が可哀想過ぎると思いませんか。
世の中には「虐められる側にも問題がある」なんて考えを持つ人間も、まだそれなりにいるのかも分かりませんが、人間が他人に対して抱く感情や評価など、そもそも個人的で相対的なもので、絶対的な評価などではありえません。
「あいつは虐められても仕方のない人間だ」と思う、その根拠自体、一部の人間の自分勝手な好き嫌いによるものかも知れないのに、そんな風に安易に“虐めを正当化”してしまうのは、自分で自分の未来を「生きづらく」しているようなものだと思います。
(そんなセリフを吐いた本人含め“誰だって”虐めの被害者になり得るのがこの世界の現実ですし、子どもの世界のみならず、大人の世界にだってパワハラや〇〇ハラなる「虐め」が横行しているわけですし…。)
そもそも、もし本当に相手に問題があったとしても、その“問題”に虐めで対処しようというのは、やはり問題があり過ぎる気がするのですが…。
<関連記事>
・虐め(いじめ)対処の実例~小学生の時~
・小学校時代の虐め(いじめ)を経て思うこと
幼い頃、家に「地球」という名の、子供向けの本がありました。
地球の誕生から恐竜の時代、生物の進化や、深い海の底では水圧で物がペシャンコになること等々、この“地球”に関する様々な知識が書かれた本でした。
母は時々、夜寝る前にこの本を読んでくれたのですが…正直、自分はこの本が大嫌いでした。
たぶんそれは、かなり個人的な感情で、自分の独特過ぎる感性ゆえのことなのでしょうが…
自分はこの本が読まれるたびに、“宇宙の誕生からその消滅、果てはこの宇宙が消滅してさえ更に延々と続いていく終わりなき時間の流れ”について思いをめぐらせてしまい、底無しの穴に永遠に落ち続けていくような言いようのない恐怖を味わっていたのです。
しかし、まだ小学校にも上がらぬ当時の自分にその恐怖を言い表せるボキャブラリーは存在せず(と言うか、未だに万人に通じる言葉で説明できる自信はありませんが…)「恐いから、その本読むのやめて」と言ったところで親兄弟には全く通用しませんでした。
(そしてむしろ恐怖に怯える様を面白がられ、必死に耳をふさぐ自分の前でわざとその本を読まれるという、精神的拷問に近いことを繰り返されていたわけですが…ひょっとするとこの経験は後に精神のタフさという形で人格形成に影響を及ぼしているのかも知れません。)
この頃の自分は、とにかくひたすら「永遠」というものに対して恐怖心を抱いていました。
楽しい遊びも、ずっと続けていれば、いずれは飽きるもの――そんな風に、生きる喜びや楽しさに満足しきって、もはや生きることに飽きてしまったとしても、それでも終われずに強制的に生が続いていく…しかも、果てなど無く“永遠”に…それは、どれほどの精神的苦痛なのだろう…そんな風に当時の自分は怯えていたのです。
そして、そんな風に「永遠の生を生きる」ことと、「終わりのある生を生きる」こととは一体「どちらがマシ」なのだろうかと考えました。
「いつか終わりが来る生」ということは、いずれ自分自身が消滅するということで…それはそれで想像を絶する、途方もなく恐ろしいことです。
ですが、結局当時(保育園児時代)の自分は、永遠に対する恐怖には抗えず、「いずれ終わりのある生」の方が「まだ幾分かマシ」だという結論を出したのです。
(まぁ、そもそも選びようもないことではあるのですが…。)
ただ「やっぱり自分が終わってしまうのは恐いことだから、せめて限られた人生を一日でも長く、生きられる限り精一杯生きよう」――それが、自分の生や死に対する思考の出発点でした。
「いずれは必ず訪れる死」について考えることは、人生を見つめる上で大切なこととされています。
けれど、それを考えようとすると恐怖に駆られて、真っ当に思考することができない――そんな人は多いのではないかと思います。
自分も、それを恐怖せずに考えることはできませんし、いずれ来るそれを「受け入れた」などとはとても言えません。
ただ、ある種「仕方のないもの」というように「受け止めて」はいるのかも知れません。
「初めからそういう風に定められていたから仕方ない」のではなく、「“永遠”か“限りある生”か」という究極の二者択一において、自分自身で「限りある生の方がマシ」と結論づけたのだから仕方がない、と。
そしてその限りある生を「受け止めて」いるがゆえに、そんな自分の命や人生がとても尊く大切なものに思え、さらには同じように他者の命や人生についても大切に思えるようになったのかも知れません。
死を思うのが恐いなら、その対極にある永遠の生についても考えれば、自然と死へも目が向く――自分の実体験を振り返ればそういう結論に至るのですが…ただ、これはあくまで独特な感性と思考を持つ自分だから辿り着いた結論かも知れないので、万人に通用するとは言い難いのが難点ですね…。
地球の誕生から恐竜の時代、生物の進化や、深い海の底では水圧で物がペシャンコになること等々、この“地球”に関する様々な知識が書かれた本でした。
母は時々、夜寝る前にこの本を読んでくれたのですが…正直、自分はこの本が大嫌いでした。
たぶんそれは、かなり個人的な感情で、自分の独特過ぎる感性ゆえのことなのでしょうが…
自分はこの本が読まれるたびに、“宇宙の誕生からその消滅、果てはこの宇宙が消滅してさえ更に延々と続いていく終わりなき時間の流れ”について思いをめぐらせてしまい、底無しの穴に永遠に落ち続けていくような言いようのない恐怖を味わっていたのです。
しかし、まだ小学校にも上がらぬ当時の自分にその恐怖を言い表せるボキャブラリーは存在せず(と言うか、未だに万人に通じる言葉で説明できる自信はありませんが…)「恐いから、その本読むのやめて」と言ったところで親兄弟には全く通用しませんでした。
(そしてむしろ恐怖に怯える様を面白がられ、必死に耳をふさぐ自分の前でわざとその本を読まれるという、精神的拷問に近いことを繰り返されていたわけですが…ひょっとするとこの経験は後に精神のタフさという形で人格形成に影響を及ぼしているのかも知れません。)
この頃の自分は、とにかくひたすら「永遠」というものに対して恐怖心を抱いていました。
楽しい遊びも、ずっと続けていれば、いずれは飽きるもの――そんな風に、生きる喜びや楽しさに満足しきって、もはや生きることに飽きてしまったとしても、それでも終われずに強制的に生が続いていく…しかも、果てなど無く“永遠”に…それは、どれほどの精神的苦痛なのだろう…そんな風に当時の自分は怯えていたのです。
そして、そんな風に「永遠の生を生きる」ことと、「終わりのある生を生きる」こととは一体「どちらがマシ」なのだろうかと考えました。
「いつか終わりが来る生」ということは、いずれ自分自身が消滅するということで…それはそれで想像を絶する、途方もなく恐ろしいことです。
ですが、結局当時(保育園児時代)の自分は、永遠に対する恐怖には抗えず、「いずれ終わりのある生」の方が「まだ幾分かマシ」だという結論を出したのです。
(まぁ、そもそも選びようもないことではあるのですが…。)
ただ「やっぱり自分が終わってしまうのは恐いことだから、せめて限られた人生を一日でも長く、生きられる限り精一杯生きよう」――それが、自分の生や死に対する思考の出発点でした。
「いずれは必ず訪れる死」について考えることは、人生を見つめる上で大切なこととされています。
けれど、それを考えようとすると恐怖に駆られて、真っ当に思考することができない――そんな人は多いのではないかと思います。
自分も、それを恐怖せずに考えることはできませんし、いずれ来るそれを「受け入れた」などとはとても言えません。
ただ、ある種「仕方のないもの」というように「受け止めて」はいるのかも知れません。
「初めからそういう風に定められていたから仕方ない」のではなく、「“永遠”か“限りある生”か」という究極の二者択一において、自分自身で「限りある生の方がマシ」と結論づけたのだから仕方がない、と。
そしてその限りある生を「受け止めて」いるがゆえに、そんな自分の命や人生がとても尊く大切なものに思え、さらには同じように他者の命や人生についても大切に思えるようになったのかも知れません。
死を思うのが恐いなら、その対極にある永遠の生についても考えれば、自然と死へも目が向く――自分の実体験を振り返ればそういう結論に至るのですが…ただ、これはあくまで独特な感性と思考を持つ自分だから辿り着いた結論かも知れないので、万人に通用するとは言い難いのが難点ですね…。
まだ小学校にも上がらないくらいの幼児時代、流れるプールに沈みかけたことがあります。
それは町内会の「こども会」で連れて行ってもらったプールでのことでした。
たぶん、大勢の子どもに対し、引率する大人の人数が少なかったか何かで、自分と、もう一人の幼なじみの男の子だけ、他の皆と離れてふたりきりになった時間帯がありました。
経緯はさすがに忘れましたが、最初は子ども用の浅いプールにいたはずが、いつの間にか自分たちは流れるプールのそばにいて、しかも自分はそのうちに一人で、浮き輪も無しに流れるプールの中に入って行ってしまったのです。
当然足がつくわけもなく、自分はすぐに危険に気づき、必死にプールの縁にしがみついていました。
幼心にも「今、手を離したら死ぬ」という思いが頭を過りました。
その後のことは正直あまり記憶に無いのですが、自分が今こうして生きていることを考えれば、たぶん誰か大人の人が気づいて引き上げてくれたのでしょう。
自分にとっては強烈に脳に刻みつけられた記憶なのですが、親たちに聞いても知らないと言われます。
でも、その命の危機に関する部分だけでなく、初めてのコインロッカーの使い方が分からず(←たぶん誰も教えてくれなかったか、その時も近くに引率の大人がいなかった)、周りの人の見よう見まねでコインを入れたまでは良かったものの、カギを引き抜かずにそのままにしてしまったため、後でロッカーの場所が分からなくなって、ちょっとした騒動になったという細かいエピソードまで覚えていますので、少なくとも夢や妄想ということではなかったと思います。
(ひょっとすると、自分が溺れかけたということ自体、自分も含め誰も親に話さなかったのかも知れません。)
この時のことを思い出すたびに思うことが「子どもの判断力・思考力は大人のソレとは全く違う」という事実です。
大人からすると「何で足がつくはずもない大人用のプールに入って行くんだ?」と思うことでしょう。
でも、まだ保育園児で、今まで保育園の浅いプールか家庭用のビニールプールにしか入ったことがなく、大人用の深いプールですら初めて見る自分に、プールの深さに対する警戒心はありませんでした。
その時の自分に見えていたのは、流れるプールの中で楽しそうにはしゃぐ人たちの姿だけ。
何の危機感も抱かず楽しそうに笑う彼らの姿から「このプールには何の危険も無い」「このプールは楽しいところだ」「自分が入っても大丈夫だ」という、間違った推論を導いてしまったのです。
中には「頭のデキの悪い子だったから、そんなことしたんだろう」と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、後に(高校生時点で)塾にも通わず特別な勉強もせず通常運行で国語の偏差値80を叩きだすことになる自分でさえ、この体たらくなのです。
子どもの判断力・思考力を甘く見てはいけません。
(まぁ、自分の場合は“天然”という要素が、多少の頭の良さ程度は台無しにしてしまっている可能性がなきにしもあらずではあるのですが……。)
そもそも判断力や思考力というものは、その元となる知識や記憶があって初めて真っ当な答えを導き出せるものです。
子どもは生きてきた年数が少ない分、その知識や記憶が大人に比べて圧倒的に足りていません。
そんな子どもに対し「大人と同じ判断をせよ」ということ自体、実はとてつもなく無茶で無謀なことなのです。
たとえば、火にかかったヤカンに無防備に触れてヤケドをする子どもがいます。
大人は「なんでそんな熱いものに素手で触るの!」「ヤケドをするに決まってるでしょ!」と怒るかも知れません。
でも、ひょっとするとその子には「火にかかったヤカンは熱いものだ」「熱いものに触るとヤケドをするのだ」という知識自体が、まだ無いのかも知れません。
そして、沸騰してピーピー音を鳴らすヤカンや、そこから噴き出す白い湯気が不思議で、面白くて、つい触ってみたくなってしまったのかも知れません。
多くの大人は忘れてしまっているのかも知れませんが、人間誰しも、最初は知らないことだらけです。
大人なら当然知っている危険なアレコレについても、子どもは知りません。
中には本能的に察知して危険を回避できるタイプの子もいるのかも分かりませんが、そんな子どもが全体の何%くらいを占めているのかなど、たぶん誰も知りませんので、そこはあまり期待しない方が良いでしょう。
今の世の中、周囲を見渡すと「子どもは知識が少ないから、判断力も低い」というその事実を把握できていないまま、子どもに無理な「正解」を求め、無闇に叱る大人が多いように見受けられます。
叱るだけでは子どもの判断力は伸びません。
たぶん、判断力の元となる“知識”を、ちゃんと、子どもにも分かりやすい言葉で教えてあげなければいけないのです。
子どもだけでなく、大人についても言えることですが、人間の判断力・思考力の源となる知識・記憶は個人個人で違っています。
だからどんなに自分が「ここではこういう風に判断するに決まってる」と思っていても、別の誰かはその場面で、思いもよらない判断をすることがあります。
それは持っている知識・記憶が一人一人違っている以上、ある意味仕方のないことなのです。
なので、世の中、自分の判断力・思考力だけを基準にして他人の行動――特に子どもの行動を予測するものではありません。
「他人(子ども)は時に思いもよらない行動を起こすものだ」ということを、常に頭の隅に置いておけば、ある程度のリスクは回避できるのではないでしょうか。
遊んでいる時の事故で死ぬ子どものことを、一部の特殊な事例、滅多に起こらないこと、あるいは単に運が悪かった、などと捉えている大人の方はまだまだ多いかも知れません。
でも、たぶんそれは、知識が無いがゆえのちょっとした判断ミス、経験が無いがゆえに危険を甘く見てしまうことなどにより、簡単に起きてしまう、どんな子にも起こり得る事例なのです。
そのことをちゃんと踏まえて、あらかじめ子どもたちに、ちゃんとそういった危険についての知識を分かりやすく教えることができるなら、もっと事故は減らせるのかも知れません。
ただ、その“分かりやすく”“子どもの頭にしっかりと刻まれるような形で”教えるということ自体、なかなかに難易度の高いことなのかも知れませんが……。
それは町内会の「こども会」で連れて行ってもらったプールでのことでした。
たぶん、大勢の子どもに対し、引率する大人の人数が少なかったか何かで、自分と、もう一人の幼なじみの男の子だけ、他の皆と離れてふたりきりになった時間帯がありました。
経緯はさすがに忘れましたが、最初は子ども用の浅いプールにいたはずが、いつの間にか自分たちは流れるプールのそばにいて、しかも自分はそのうちに一人で、浮き輪も無しに流れるプールの中に入って行ってしまったのです。
当然足がつくわけもなく、自分はすぐに危険に気づき、必死にプールの縁にしがみついていました。
幼心にも「今、手を離したら死ぬ」という思いが頭を過りました。
その後のことは正直あまり記憶に無いのですが、自分が今こうして生きていることを考えれば、たぶん誰か大人の人が気づいて引き上げてくれたのでしょう。
自分にとっては強烈に脳に刻みつけられた記憶なのですが、親たちに聞いても知らないと言われます。
でも、その命の危機に関する部分だけでなく、初めてのコインロッカーの使い方が分からず(←たぶん誰も教えてくれなかったか、その時も近くに引率の大人がいなかった)、周りの人の見よう見まねでコインを入れたまでは良かったものの、カギを引き抜かずにそのままにしてしまったため、後でロッカーの場所が分からなくなって、ちょっとした騒動になったという細かいエピソードまで覚えていますので、少なくとも夢や妄想ということではなかったと思います。
(ひょっとすると、自分が溺れかけたということ自体、自分も含め誰も親に話さなかったのかも知れません。)
この時のことを思い出すたびに思うことが「子どもの判断力・思考力は大人のソレとは全く違う」という事実です。
大人からすると「何で足がつくはずもない大人用のプールに入って行くんだ?」と思うことでしょう。
でも、まだ保育園児で、今まで保育園の浅いプールか家庭用のビニールプールにしか入ったことがなく、大人用の深いプールですら初めて見る自分に、プールの深さに対する警戒心はありませんでした。
その時の自分に見えていたのは、流れるプールの中で楽しそうにはしゃぐ人たちの姿だけ。
何の危機感も抱かず楽しそうに笑う彼らの姿から「このプールには何の危険も無い」「このプールは楽しいところだ」「自分が入っても大丈夫だ」という、間違った推論を導いてしまったのです。
中には「頭のデキの悪い子だったから、そんなことしたんだろう」と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、後に(高校生時点で)塾にも通わず特別な勉強もせず通常運行で国語の偏差値80を叩きだすことになる自分でさえ、この体たらくなのです。
子どもの判断力・思考力を甘く見てはいけません。
(まぁ、自分の場合は“天然”という要素が、多少の頭の良さ程度は台無しにしてしまっている可能性がなきにしもあらずではあるのですが……。)
そもそも判断力や思考力というものは、その元となる知識や記憶があって初めて真っ当な答えを導き出せるものです。
子どもは生きてきた年数が少ない分、その知識や記憶が大人に比べて圧倒的に足りていません。
そんな子どもに対し「大人と同じ判断をせよ」ということ自体、実はとてつもなく無茶で無謀なことなのです。
たとえば、火にかかったヤカンに無防備に触れてヤケドをする子どもがいます。
大人は「なんでそんな熱いものに素手で触るの!」「ヤケドをするに決まってるでしょ!」と怒るかも知れません。
でも、ひょっとするとその子には「火にかかったヤカンは熱いものだ」「熱いものに触るとヤケドをするのだ」という知識自体が、まだ無いのかも知れません。
そして、沸騰してピーピー音を鳴らすヤカンや、そこから噴き出す白い湯気が不思議で、面白くて、つい触ってみたくなってしまったのかも知れません。
多くの大人は忘れてしまっているのかも知れませんが、人間誰しも、最初は知らないことだらけです。
大人なら当然知っている危険なアレコレについても、子どもは知りません。
中には本能的に察知して危険を回避できるタイプの子もいるのかも分かりませんが、そんな子どもが全体の何%くらいを占めているのかなど、たぶん誰も知りませんので、そこはあまり期待しない方が良いでしょう。
今の世の中、周囲を見渡すと「子どもは知識が少ないから、判断力も低い」というその事実を把握できていないまま、子どもに無理な「正解」を求め、無闇に叱る大人が多いように見受けられます。
叱るだけでは子どもの判断力は伸びません。
たぶん、判断力の元となる“知識”を、ちゃんと、子どもにも分かりやすい言葉で教えてあげなければいけないのです。
子どもだけでなく、大人についても言えることですが、人間の判断力・思考力の源となる知識・記憶は個人個人で違っています。
だからどんなに自分が「ここではこういう風に判断するに決まってる」と思っていても、別の誰かはその場面で、思いもよらない判断をすることがあります。
それは持っている知識・記憶が一人一人違っている以上、ある意味仕方のないことなのです。
なので、世の中、自分の判断力・思考力だけを基準にして他人の行動――特に子どもの行動を予測するものではありません。
「他人(子ども)は時に思いもよらない行動を起こすものだ」ということを、常に頭の隅に置いておけば、ある程度のリスクは回避できるのではないでしょうか。
遊んでいる時の事故で死ぬ子どものことを、一部の特殊な事例、滅多に起こらないこと、あるいは単に運が悪かった、などと捉えている大人の方はまだまだ多いかも知れません。
でも、たぶんそれは、知識が無いがゆえのちょっとした判断ミス、経験が無いがゆえに危険を甘く見てしまうことなどにより、簡単に起きてしまう、どんな子にも起こり得る事例なのです。
そのことをちゃんと踏まえて、あらかじめ子どもたちに、ちゃんとそういった危険についての知識を分かりやすく教えることができるなら、もっと事故は減らせるのかも知れません。
ただ、その“分かりやすく”“子どもの頭にしっかりと刻まれるような形で”教えるということ自体、なかなかに難易度の高いことなのかも知れませんが……。
小学生の頃、自転車に乗っていて、踏切の中に取り残されたことがあります。
「踏切を横断する時は直前で一時停止し、向こう側に車1台分の空きスペースができてから横断する」という、自動車教習でなら必ず習う交通ルールを、当時知るべくもなかった小学生の自分は、空きスペースも何も考えず、前の自転車に続いてすぐ踏切に進入してしまったため、踏切の信号音が鳴りだしても、混雑していた道で前にも後ろにも進むことができず、遮断機の間に閉じ込められてしまったのでした。
自分はその時、まずは後ろ側に下がろうとしました。
(たぶん、後ろ側の遮断機の方が近かったのだと思います。)
しかし、そこには小学生くらいの知らない子たちが、自転車で集団になって固まっていて、こちらが明らかに踏切に閉じ込められかけて必死に後ろに下がろうとしているのに、道を開けたり下がろうとしてくれるどころか、一切動いてくれませんでした。
そうこうしているうちにも遮断機はどんどん降りていき…
自分は後ろの自転車集団の子たちの態度から「これは行けそうもない」と判断すると、前の遮断機へ目を向けました。
遮断機の“向こう側”は普通に車が流れていますので、さっきまでは前方を塞いでいた自転車も、いつの間にかいなくなってスペースが空いていました。
なので自分はとっさに自分の自転車をナナメに倒し、遮断機の下を潜り抜けて踏切の向こう側へ脱出しました。
忘れもしない、自分が幼少期に生命の危険をほんのり感じた幾つかの出来事のうちの一つです。
この経験を経て、身に染みて感じたことが一つあります。
それは「自分が生命の危機に瀕して助けを求めても、その時その場にいる人間に“人を助ける能力と意思”があるとは限らない」という事実です。
実際、自分が踏切に閉じ込められたあの時、助けてくれようとする人も、声をかけてくれる人もいませんでした。
遮断機の後ろにいた小学生の集団は、こちらが必死に下がろうとしているにも関わらず、動いてすらくれませんでした。
もっとも、あの時、自分もパニックになっていて、ただ無言で必死に自転車を後ろに下げようとしていただけなので、「どいて!」の一言でも言えていれば何かが違ったのかも知れません。
ただ、その言葉を発していたとしても、あの時のあの小学生集団に、あの混雑した道で、“声をかけあって一人一人が少しずつ後ろに下がっていき、自転車1台分のスペースを何とか空ける”ということが可能だったかどうか…それは正直、分かりません。
結局あの時、自分を助けたのは自分自身のとっさの判断力だけでした。
もしもあの時、それすら働かなかったとしたら…そして、それでも誰一人助けてくれていなかったとしたら…ひょっとして自分は、今こうして生きていられなかったかも知れません。
事故にしろ災害にしろ、生命の危機を伴うようなピンチに陥る可能性は、誰にでもあります。
そんな時、無意識に「周りに助けを求めればいい」「誰かが助けてくれる」と思っていないでしょうか?
でも、考えてみてください。
“誰かを助ける”ためには、それなりの思考力・判断力・行動力・体力・その他諸々の能力(そして「助けよう」という意思)が必要で、その時偶然その場に居合わせた人に、それが備わっているとは限らないのです。
(あるいは、あまりにひどい事故や災害の時には、皆が皆、自分自身が助かるのに必死で、他人を助けている余裕がない可能性もあります。)
誰かに助けを求めること自体は、きっと間違ってはいません。
どんなに頑張っても自分の能力だけではどうにもならないことはありますし、そんな時に他人の力を借りるのは仕方のないことだと思います。
ただ「ピンチになっても誰かに助けてもらえばいいや」と何も考えずボンヤリと生きていて、いざピンチになった時、たまたま周りにいるのが、そんな”助ける力の無い”人たちだったら…。あるいは、そもそも周りに誰もいなかったとしたら…。
そう考えると“いざと言う時”最後の最後に本当に頼りになるのは、結局は自分自身の力なのかも知れません。
ですから、いつか来るかも知れない、そんな“いざという時”のために、常日頃から知識を蓄え、判断力を養っておくに越したことはありません。
現代社会では「いざという時のサバイバル術」を普通にテレビで特集してくれることもありますし、インターネットという便利なものもあります。
何より、その手の「いざという時のための知識」に出会った時、「自分には関係ないからいいや」とスルーするのでなく、頭の隅の方にでも何となく記憶しておくことが重要だと思うのです。
「あの時のあの知識、ちゃんと覚えておけば良かった」と、“いざという時”になってから後悔したところで、どうにもならないのですから…。
ちなみに、小学生だった当時の自分は知らなかった、踏切内に閉じ込められて出られない場合の対処法ですが…
まずは、踏切脇にある緊急用のボタン(非常ボタン?…正式名称はよく分かりません…。)を探して押してください。
(と言うか、よく使う踏切なら、緊急ボタンの位置(や有無)を予めチェックしておいた方が良いと思います。)
緊急ボタンが無い場合は、なるべく安全な場所に移動し、上着などの大きめの布(無ければ手)を大きく振るなど、できる限り運転士の方に気付かれやすいように行動してください。
ちなみにこの種の緊急用ボタンは、踏切だけでなく、駅のホームにも設置してあることがあります。
(駅のホームから人や物が落下して、近くに駅員さんがいない時用かと思われます。)
あと念のため書いておきますが、もちろんこれらの緊急ボタンは非常時以外には決して押してはいけません。
電車の運行に支障が出ますし、威力業務妨害で逮捕される例もあるらしいですから。
「踏切を横断する時は直前で一時停止し、向こう側に車1台分の空きスペースができてから横断する」という、自動車教習でなら必ず習う交通ルールを、当時知るべくもなかった小学生の自分は、空きスペースも何も考えず、前の自転車に続いてすぐ踏切に進入してしまったため、踏切の信号音が鳴りだしても、混雑していた道で前にも後ろにも進むことができず、遮断機の間に閉じ込められてしまったのでした。
自分はその時、まずは後ろ側に下がろうとしました。
(たぶん、後ろ側の遮断機の方が近かったのだと思います。)
しかし、そこには小学生くらいの知らない子たちが、自転車で集団になって固まっていて、こちらが明らかに踏切に閉じ込められかけて必死に後ろに下がろうとしているのに、道を開けたり下がろうとしてくれるどころか、一切動いてくれませんでした。
そうこうしているうちにも遮断機はどんどん降りていき…
自分は後ろの自転車集団の子たちの態度から「これは行けそうもない」と判断すると、前の遮断機へ目を向けました。
遮断機の“向こう側”は普通に車が流れていますので、さっきまでは前方を塞いでいた自転車も、いつの間にかいなくなってスペースが空いていました。
なので自分はとっさに自分の自転車をナナメに倒し、遮断機の下を潜り抜けて踏切の向こう側へ脱出しました。
忘れもしない、自分が幼少期に生命の危険をほんのり感じた幾つかの出来事のうちの一つです。
この経験を経て、身に染みて感じたことが一つあります。
それは「自分が生命の危機に瀕して助けを求めても、その時その場にいる人間に“人を助ける能力と意思”があるとは限らない」という事実です。
実際、自分が踏切に閉じ込められたあの時、助けてくれようとする人も、声をかけてくれる人もいませんでした。
遮断機の後ろにいた小学生の集団は、こちらが必死に下がろうとしているにも関わらず、動いてすらくれませんでした。
もっとも、あの時、自分もパニックになっていて、ただ無言で必死に自転車を後ろに下げようとしていただけなので、「どいて!」の一言でも言えていれば何かが違ったのかも知れません。
ただ、その言葉を発していたとしても、あの時のあの小学生集団に、あの混雑した道で、“声をかけあって一人一人が少しずつ後ろに下がっていき、自転車1台分のスペースを何とか空ける”ということが可能だったかどうか…それは正直、分かりません。
結局あの時、自分を助けたのは自分自身のとっさの判断力だけでした。
もしもあの時、それすら働かなかったとしたら…そして、それでも誰一人助けてくれていなかったとしたら…ひょっとして自分は、今こうして生きていられなかったかも知れません。
事故にしろ災害にしろ、生命の危機を伴うようなピンチに陥る可能性は、誰にでもあります。
そんな時、無意識に「周りに助けを求めればいい」「誰かが助けてくれる」と思っていないでしょうか?
でも、考えてみてください。
“誰かを助ける”ためには、それなりの思考力・判断力・行動力・体力・その他諸々の能力(そして「助けよう」という意思)が必要で、その時偶然その場に居合わせた人に、それが備わっているとは限らないのです。
(あるいは、あまりにひどい事故や災害の時には、皆が皆、自分自身が助かるのに必死で、他人を助けている余裕がない可能性もあります。)
誰かに助けを求めること自体は、きっと間違ってはいません。
どんなに頑張っても自分の能力だけではどうにもならないことはありますし、そんな時に他人の力を借りるのは仕方のないことだと思います。
ただ「ピンチになっても誰かに助けてもらえばいいや」と何も考えずボンヤリと生きていて、いざピンチになった時、たまたま周りにいるのが、そんな”助ける力の無い”人たちだったら…。あるいは、そもそも周りに誰もいなかったとしたら…。
そう考えると“いざと言う時”最後の最後に本当に頼りになるのは、結局は自分自身の力なのかも知れません。
ですから、いつか来るかも知れない、そんな“いざという時”のために、常日頃から知識を蓄え、判断力を養っておくに越したことはありません。
現代社会では「いざという時のサバイバル術」を普通にテレビで特集してくれることもありますし、インターネットという便利なものもあります。
何より、その手の「いざという時のための知識」に出会った時、「自分には関係ないからいいや」とスルーするのでなく、頭の隅の方にでも何となく記憶しておくことが重要だと思うのです。
「あの時のあの知識、ちゃんと覚えておけば良かった」と、“いざという時”になってから後悔したところで、どうにもならないのですから…。
ちなみに、小学生だった当時の自分は知らなかった、踏切内に閉じ込められて出られない場合の対処法ですが…
まずは、踏切脇にある緊急用のボタン(非常ボタン?…正式名称はよく分かりません…。)を探して押してください。
(と言うか、よく使う踏切なら、緊急ボタンの位置(や有無)を予めチェックしておいた方が良いと思います。)
緊急ボタンが無い場合は、なるべく安全な場所に移動し、上着などの大きめの布(無ければ手)を大きく振るなど、できる限り運転士の方に気付かれやすいように行動してください。
ちなみにこの種の緊急用ボタンは、踏切だけでなく、駅のホームにも設置してあることがあります。
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- 漢検2級(準1以上は未受験)。国語の最高偏差値80(高2時点)。
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