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日々ふと思うことを徒然なるままに書き綴る個人的エッセイあるいは回想録。
前の記事で「言論封殺は良くない」「どんな意見もあって良い」ということを書きましたが…
 
こういうことを書くと「勘違い」する人も出て来そうだな…と、ちょっと心配になります…。
 
言論の自由」と言うと、なぜか「何を言ってもいいんだ」と気が大きくなりがちな人が多い気がするのですが…気のせいでしょうか?
 
確かに「何を言っても自由」ではあるのですが…
 
それは「自由と引き換えに、責任がついて回る」という意味での「自由」です。
 
そしてその「責任」は、発言者が「責任を負う・負わない」を選べるようなものではないのです。
 
たとえ発言者に責任を負う気が無かろうが「炎上」という形で勝手に「責任を取らざるを得なくなる」ものです。
 
令和の現在、世の中にはそんな風に「迂闊な発言で身を滅ぼした事例」が数多くあるというのに…
 
なぜ、それでも失言や無責任発言はなくならないのでしょう?
 

【もくじ】

「発言」にばかり夢中で「言い方」に気を遣わない人々

そもそも世の中「意見を言う」ことにばかり夢中になって「意見の出し方」「言い方」を考えない人が多くないでしょうか?
 
むしろ「正論なら何を言ってもいい」「そもそも『言論の自由』があるのだから、何を言ってもいい」と思っている人が多いような気がします。
 
ですが、コミュニケーションスキルが一定以上ある人間なら、気づいています。
 
どんな意見も「言い方次第」で、受け入れられるか、拒絶されるかが変わってくるということを…。
 
皆さん『北風と太陽』の寓話で既にお気づきでしょうが…人間、冷たく当たってくる人の言葉は素直に受け入れられない一方、優しくしてくれる人の言葉はスッと聞き入れてしまうものです。
 
あまりにも普遍的な人間の心理を突いたこの寓話…知らない人間はほとんどいないと思うのですが…
 
なのになぜか皆さん、それを現代の自分の生き方に“応用”できていないんですよね…。
 
SNSなどを見ていると、自分の意見を語る際、過剰に攻撃的な物言いをしたり、他者を嘲笑する人があまりに多いことに吃驚します。
 
そうして“反発を受けて当然”な“北風対応”をしておきながら、実際に自分の意見が拒絶されると怒り狂うんですよね…。
 
“他者の心理”あるいは“他人の目”をあまりにも意識できていないその言動を、ずっと不思議に思ってきたのですが…
 
ネット空間だと、リアルな人間の顔や目が見えないだけに、そういう意識が薄くなりがちなんですかね…??
 
あるいは自分の意見で別の誰かの意見を「論破」する快感に酔ってしまって「その後のこと(不興を買って意見が拒絶される)」が見えなくなってしまうのでしょうか?
 
…あるいはそもそも発言者は「発言すること」が目的になってしまい、その意見が周囲に受け入れられるかどうかなど、どうでも良くなってしまっているのかも知れません。
 
まして、その意見が他者を傷つけるかも知れないことなど、考えもしないのかも知れません。
 
…ですが、上でも述べた通り、自分の発言の「責任」はブーメランで自分に返って来ます。
 
それは発言の「中身」だけでなく「意見の出し方」「言い方」によっても発生するのです。
 
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アルゴリズムで精神的視野が狭くなりがちな現代人

最近のネット空間を見ていると「他者を気遣えない人が増えたな…」と感じるのですが…
 
その原因の1つが、アルゴリズムによる「フィルターバブル(フィルタリングバブル)」なのかも知れません。
 
令和の現代で「知らない」人はさすがにいないでしょうが…
 
インターネットの世界では「アルゴリズム」によって、ユーザーの見たい情報が「最適化」されていきます。
 
動画サイト等で一度「かわいい猫動画」を検索すると、それ以降やたらと猫動画がオススメに上がってくるように…
 
運営はユーザーの行動履歴から、表示する情報を「絞り込んで」くるのです。
 
(自分などはそれを「余計なお世話」と思い、なるべく小まめに履歴削除をしているのですが…最近は削除しても効果がなくなってきていて、そのせいでサイトを一定期間離れるとか、よくありますからね…。「狭い情報」に縛られたくない人間にとってはアルゴリズムなんて邪魔なだけなのですが…それが分からない人間の方が多いのでしょうね…。)
 
絞り込まれた狭いジャンルの情報ばかりが表示されると、ユーザーは「この世界にそのジャンルの情報しか無い」ように錯覚してしまいかねません。
 
本当は世の中には、もっと膨大な情報があるのに「フィルターを通された情報」だけしか目にすることができず、そのフィルターで囲まれた泡のような空間だけを「世界の全て」と思い込んでしまう…
 
それが現代の社会問題のひとつ「フィルターバブル」なのです。
 
この罠に嵌まると、やたらとオススメに上がって来る自分だけのニッチな趣味を「全世界的に流行っている」と勘違いしてしまったり…
 
逆に「実は自分の知らない所で大規模に流行っている」ものでも、全くオススメに上がって来ないと「結局流行らなかったんだ」と勘違いしてしまったりしかねません。
 
(つまりは「現実を読み誤る」可能性が高いので、自分は「アルゴリズムで情報が絞り込まれないサイト」を必ず1つ2つは確保しておくのですが…。)
 
この現象は、当然のことながら人間の「意見」「言論」にも影響を与えて来ます。
 
自分と同じ趣味、同じ意見の情報ばかりがアルゴリズムで表示され、真逆の趣味や意見は表示されない…
 
それは、発言者の気を大きくし、自分と真逆の立場の人々を見えなくしてしまいます。
 
そもそも、そうして同意見の人々ばかりが集まり、意見がエスカレートしていくこと自体、「エコーチェンバー」と呼ばれ、社会問題の1つと見なされているのですが…。
 
現代の多くの人々は、そうして自分の意見や意識が知らず知らずのうちに「狭められてしまっている」ことにすら気づいていないのかも知れません…。
 
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アテンション・エコノミー下では「過激な発言」ほど好まれる

令和の現代、やたらと発言が「過激」「攻撃的」になりがちな背景には「アテンション・エコノミー(目立ったもの勝ちな経済)」と呼ばれる社会構造が潜んでいるのかも知れません。
 
SNSなどは特にそうですが…現代社会では何かと「数字」がモノを言います。
 
フォロワー数、閲覧数、インプレッションetc…。
 
数字がそのままその人の「能力」とみなされ、数字の大きい人が「インフルエンサー」としてもてはやされます。
 
そしてその「数字」は、実は「クオリティー」とは関係無く上がることも多いのです。
 
「炎上商法」という言葉をご存知の方は多いと思いますが…
 
世の中、わざと「お騒がせ」発言や行動を起こし、注目を集めることで数字を稼ぐ人もいるのです。
 
地道にコツコツ質を上げる人が数字を伸ばせずにいる中、炎上で数字を稼ぎ、ちゃっかりインフルエンサーになっている人がいる…この状況で「真面目に頑張るのが馬鹿らしい」と感じている人も多いのではないでしょうか?
 
「報われないかも知れない努力を地道にやるより、イチかバチかで過激なモノを出した方がいい」…そんな風に感じる人が増えたせいで、今のネット空間はあんなことになってしまったのではないでしょうか?
 
過激発言で自分を売りたい人々は、それで傷つく人々のことなど考えません。
 
むしろ、それで「賛否両論」な論戦が起きれば「注目度が上がり得をする」とさえ考えているかも知れません。
 
…つまりのところ、過激発言を世に増やしてしまうのは、それにいちいち反応する世間の人々なんですよね…。
 
「許せない」と思う心無い発言、攻撃性の高い発言は、スルーするのが一番有効なのですが…
 
(どうしても反論したいなら、リポストや関連付けは絶対しない方向で発言するのが良いでしょう。)
 
昨今、アルゴリズムでそういう「注目度の高い発言」が勝手に表示されてしまう(表示数が上がってしまう)のが、なんとも言い難くイラッとしますね…。
 
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万人に通じる意見も、誰も傷つけない意見も無い

世の中を見ていると、どうにも皆さん「絶対的な正解が世の中に存在する」という前提で物を言っているように思えるのですが…
 
この多様性の時代にそれを考えるのは、相当無理が無いですか?
 
この世の中に「万人に通じる意見」などありません。
 
なので意見は「立場の違う人に反対される」ことを前提に発言した方がラクなのです。
 
過去記事にも書いていますが、意見は「言って終わり」なものではありません。
 
むしろ自分の意見を言った後、他者の意見に耳を傾け、妥協点を探っていくことの方が重要なのです。
 
さらに言えば、皆さん「他人を傷つける意見」に過剰反応しがちな気がするのですが…
 
「他人を傷つける」のがいけないことなのは前提としても…「この世の誰も傷つけない意見」も、そうそうこの世にありません。
 
そもそも「他人を傷つけない」ということ自体、一定以上のEQやコミュニケーションスキルが必要な難易度の高いものですし…
 
「この世の全ての人に配慮したパーフェクトな意見」を言える人がいたとしても、「その人に引け目を感じて傷ついてしまう」ということだってあるのです。
 
他人を傷つける発言に対し「人間として終わってる」と怒り狂うのは「誰も傷つけない人間なんていない」「自分もまた、知らないうちに誰かを傷つけているかも知れない」という事実に目が向いていない証拠です。
 
そもそも怒り狂って相手を叩いたところで『北風と太陽』で良い結果には結びつかないものです。
 
「他人を傷つける発言」に傷ついたなら、するべきことは逆に「他人を傷つけない発言」の手本を示すことです。
 
実際問題、ストレートに叩かれるより、「人間としての格の違い」を見せつけられた方が、よほど精神にダメージを与えられると思うのですが…皆さんどうも、やり方が“素直”ですよね…。
 
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SNSをはじめとするネットの世界では、連日、何かしら「賛否両論」のバトルが勃発しています。
 
「皆が自由に意見を言い合う」ことって、普通は「良いこと」のはずなのですが…
 
ネットを見ていると、とてもそんな風には思えません。
 
どうにも「言い合い」が「議論」にならず「言葉の暴力の応酬」「バトるだけバトって終わり」になっている気がしてならないのです。
 
これでは見ていて気持ち良くないですし、SNS疲れする人が増えて当然ですよね…。
 
しかも、様々な意見は出るものの、時が経てば皆の興味も別の話題に移り、忘れ去られてしまいます。
 
皆の心を傷つけてまで意見を言い合ったわりに、何の建設的な結果も得られず「うやむや」になって終わり…
 
そして「うやむや」なままで「何も変わっていない」せいで、そのうちまた似たような過ちを繰り返すことさえあります。
 
…どうしてこうなってしまうのでしょう?
 
そして、ネットの世界のこの「ギスギス」を、どうにか解消する方法は無いものなのでしょうか?
 
他者の意見を拒否する人々(自分の意見しか認めない)
 
過去記事に書いた全肯定しか認めない人々とも重なる話なのですが…
 
ネットの中には「自分の意見しか認めない」「他者の意見には耳も貸さない」人々がいます。
 
「自分の意見」を他者にも押しつけ「全世界がそれを認めなければ許さない」…そんな態度の人々がいます。
 
これではそもそも「議論のテーブルについている」とは言えません。
 
他者の意見を聞ける「覚悟」の無い人間に「議論」はできないのです。
 
「議論」とは「いくつか出た意見のうち、1つを採択して終わり」というものではありません。
 
本来は、並べられた意見の「良いところ」は採用し「悪いところ」は補い合って「意見を調整し、アップデートしていく場」のはずなのです。
 
「相手を言い負かしたら勝ち」というものでもなければ、味方を増やして「多数決で圧し潰せば勝ち」というものでもありません。
 
まして「自分の意見を言いたいだけ言って終わり」の場ではないのです。
 
…そもそも世の人々は「自分の意見を通したい」と思いこそすれ「議論をしたい」なんて思ってもいないのかも知れません。
 
でも、「自分の意見を言うだけ言って終わり」「他の意見なんて聞く気も無い」では、あまりにフェアではありませんよね?
 
それはもう「議論」ではなく、ただの「ワガママな自己主張」なのです。
 
どんな意見もあって良い(○○な奴は喋るなの間違い)
 
この種のバトルでよく散見されるのが「知識の無い奴は喋るな」「初心者は黙ってろ」「思考の歪んだ奴は一生黙ってろ」といった感じの「言論封殺」です。
 
…確かに「見当違い」な意見を持ち込んで場を掻き回す人間は「有益な議論だけしていたい」人々にとって「邪魔」なものでしょう。
 
ですが、たとえ「見当違い」で「邪魔」なものでも、意見は意見なのです。
 
それを「知識が無いから」「初心者だから」と封じてしまうのは、結局は「言論の自由の侵害」と同義なのです。
 
こういう場合の「知識の有る人間」「経験値の多い人間」「思考が健全な人間」の為すべきことは「一旦意見を聞いた上で、間違いを訂正し、歪みを正すこと」です。
 
つまり「言わせるだけ言わせてから、反論する」のが正しいやり方なのです。
 
…それをしない(できない)のは、その手順が「面倒くさい」あるいは「無駄な時間に思えてしまう」せいなんでしょうね…。
 
あるいは昨今は、こちらが「正しい知識で反論」しても、相手側が「聞く耳を持たずに反発してくる」…しかも過剰に反撃してこちらを叩いてくる可能性があるから…というのもあるかも知れません。
 
(それと、昨今は「間違った意見」であってもバズれば広まり、信じてしまう人が増えるので、その「間違った意見」を最初から言わせないようにしたい…というのもあるのかも知れません。)
 
それでも、ある種の人々に対して「意見を言うな」というのは、いずれ自分たちの側にもブーメランで返って来かねない「言論の自由のリスク因子」なのです。
 
それに「物を知らないからこそ出せる意見」というものも、世の中にはあります。
 
先入観や固定観念に縛られないからこそ出てくる「自由な発想」が、凝り固まった議論に風穴を開ける可能性だってあるのです。
 
その可能性を失わせないためにも「言論の自由」は誰にでも開かれていなければならないのです。
 
大事なのは「聞く耳」と、自論にこだわらない「思考力」
 
「聞く耳を持たない人々」が議論を成り立たせなくするなら、その解決策は簡単です。
 
つまり皆が「聞く耳」を持てれば良いのです。
 
そもそも「聞く耳を持たない人々」が、なぜ聞く耳を持てなくなるのか…
 
それはおそらく「自論にこだわり過ぎる」せいなのではないでしょうか?
 
「自分の意見に反対する声は、気分が悪くなるので聞きたくない」あるいは「自論を脅かす意見は、不安になるので聞きたくない」…
 
意図的にしろ無意識にしろ、そんな「拒絶」が「聞く耳」を失わせてしまっているのではないでしょうか?
 
…ですが、思うにたぶん、ここが「知性の分かれ目」なんですよね…。
 
何故なら、本当に賢い人間は「自分の意見が採用されること」にこだわらないからです。
 
だって、周りの声を一切拒絶して自分の意見を貫き通したところで…
 
その意見が「間違っていた」なら、周り中を皆巻き込んで「破滅」するだけじゃないですか。
 
本当に賢い人間は「自分の意見を通す」ことよりもまず「自分が意見を間違わないこと(間違っていたなら素早く修正すること)」を優先させるのです。
 
どんなに知能の高い人間も、ピースのそろっていないパズルでは答えを間違えることがあります。
 
だから賢い人間は、常に「足りない」ことを恐れ、情報を求めます。
 
自分の持っていない視点を、他の誰かが見つけてはいないかと、むしろ異論を漁るのです。
 
異論を「一旦受け止めた上で矛盾点を指摘する」ならともかく…
 
「頭ごなしに拒絶する」のは、そもそも思慮の足りていない人間のすることです。
 
そこに気づかず意固地に異論を拒絶している時点で、見る人には「あぁ…その程度の人間なんだな…」というのが分かってしまうのですが…
 
恥ずかしげもなくその「足りなさ」を見せつけている人間が多いのを見ると…
 
そこに気づけている人間って、意外と多くないということなのでしょうか…?
 
「頭が良い」と思われている人の中にも「そういう人」がいることを、常々不思議に思ってきたのですが…
 
ひょっとしたらこれって、IQではなくEQの領域の話なのかも知れませんね…。
 
そもそも議論が「うやむや」に終わってしまうのも、皆が皆「自論」にばかりこだわって「妥協点」すら見出せていないせいです。
 
「自論」を棄てて思考が自由に開かれれば、他の道も見えてくるはずなのですが…。
 
自論にこだわって、それを「疑うこともできない」のって、結局、思考を狭める「足枷」でしかないんですよね…。
 
そんなことで思考力を低下させ、その分「愚かな人間」になってしまうのは、とても「もったいない」ことだと思うのですが…
 
皆さん「自論」にこだわるわりに、自分の「賢さ・愚かさ」に関しては、あまりこだわりが無いのでしょうか?



<関連記事>
 
「自分と違う意見」を「おもしろい異論」と思えない人の危機感の無さ

つい先ごろ、X(旧Twitter)で「X上の画像を自他問わずAI編集できる機能」が実装され、物議を醸していますが…
 
これ、実はXユーザーだけの問題ではないんですよね。
 
それどころか、全世界・全人類がAIフェイクの被害者となり得る、あまりにも無責任な機能実装なのですが…
 
これ、気づかずにやっているとしたら経営者としての想像力が無さ過ぎますし、分かった上でやっているとしたら企業としてのタチが悪過ぎるのですが…
 
皆さん、ひょっとして、まだこのことには気づいていないのでしょうか?
 

本人がXユーザーでなくとも、Xユーザーに画像UPされてしまえば「終わり」

 
こういった「悪用されかねない機能」が実装された場合、よく言われるのが「嫌ならそのSNSを出て行けばいいじゃないか」ですが…
 
今回の機能実装の場合、Xを退会したからと言ってリスクがなくなるわけではありません
 
なぜなら、本人がXユーザーでなかったとしても、Xの現役ユーザーに無断・無許可で画像投稿されてしまえば「終わり」だからです。
 
たとえば時々「有名人がネットに勝手にプライベート写真を載せられた」という炎上事案、ありますよね?
 
勝手に盗撮された上、それをX上でAIフェイク加工されてしまうとしたら…あまりにもあんまり過ぎやしませんか?
 
(そもそも有名人なら、ニュースメディアの記事で顔写真が載っている可能性も高いですし…。)
 
もちろん被害者は有名人に限りません。
 
ママ友に勝手に子どもの写真を投稿された…という事例も聞いた(読んだ)ことがありますし…
 
たまたまそこに写り込んでしまっただけの一般人だって、被害者になり得るのです。
 
それに、展示会などで撮った他者のアート作品、本の表紙や、お気に入りの小物etc…
 
X上に投稿されたあらゆるモノが、AIフェイクのリスクに晒されます。
 
それも、当事者のあずかり知らぬところで、いつの間にかフェイク画像を作られかねないのです。 

その他にも…Xにはよく、アニメの感想がその場面のスクショ画像と共に投稿されていたりします。
 
そもそもそのスクショ画像投稿自体が無断・無許可で著作権的にアウトな可能性大なのですが…
 
これまでは「SNSで盛り上がってくれる分には構わない」ということで、著作権者に「黙認」されてきたところがあるのではないでしょうか?
 
実写作品やアニメのスクショを使った「大喜利」や、画像つき「ネットミーム」などもそんな感じで「本来ならアウトだけど目をつぶってもらえていた」部分があるのではないでしょうか?
 
…ですが、そんな版権画像がAIで改変可能だとなったら、どうでしょう?
 
「もうスクショ画像はUPするな」あるいは「Xに投稿するのだけはやめてくれ」という感じで、規制が厳しくなってしまう可能性もあると思いませんか?  

法令違反の責任はユーザーに丸投げな企業姿勢

 
言うまでもない話なのですが、生成AIを間に挟もうと何だろうと、著作権侵害は著作権侵害で、肖像権侵害は肖像権侵害です。
 
…が、昨今はその種の法令違反の責任を、ユーザー側だけに負わせようとするAI事業者も多いのです。
 
法律についての知識も無ければ、プラットフォームの利用規定やガイドラインもロクに読み込まない…そんな利用者は、数多いと思われます。
 
(利用規定やガイドラインって、大概細かい文字がビッッッシリで、読むのが嫌になるものばかりですからね…。いつの間にか改訂されていて、その変更内容を追えていないパターンもありますし…。)
 
そういう利用者がプラットフォームに新たな機能を見つけたら「これ、使っても良いんだ」「これで何でもやって良いんだ」という誤解をしかねません。
 
…ですが、例えばそれで著作権侵害が起きたとしても、それは「利用者の責任」「我々は一切責任を負いません」というのが、企業側の姿勢です。
 
(Xは来年1月に利用規定を改定しますが、そこにそういう姿勢が明示される(ユーザーが責任を負うことがより明確に反映される)予定のようです。)
 
Xについてもそうですが、動画生成AI「Sora」を有するオープンAI社も著作権侵害に対してはそんな姿勢なんですよね…。
 
オープンAIはそもそも、ユーザーの法令違反どころか、著作権保護さえ著作権者に丸投げしようとして批判を浴びた過去があります。
 
Sora2がリリースされた際、著作権がオプトアウト方式という「著作権者が拒否の申し立てをしない限り、著作物をAIで自由に使われてしまう」というシステムが問題となりました。
 
恐ろしいことにコレ、Sora2の利用者だけの話ではないのです。
 
全世界の著作物が、拒否申請しない限り「勝手にAI生成動画に使われてしまう」という話だったのです。
 
(中にはSora2の存在自体「気づいていない」著作権者もいるでしょうに…。)
 
実際、Sora2ではポケ○ンやドラゴンボー○などの日本のコンテンツも勝手に生成され、各所から批判が出ました。
 
(そんなこともあり、現在はオプトイン方式に変更されたとか…。)
 
海外のAI事業者はそんな感じで「これで批判が出ないとでも思ってたのか?」くらいなシステムや機能を平気で出して来ることが多々あります。
 
日本に住んでいる我々は「企業が出してくれているからには使って良いものなのだろう」「サービスとして世に出ているものなのだから合法で安全なのだろう」と勝手に思い込んでしまっている所があるのではないでしょうか?
 
ですが海外の企業は日本の企業とは考え方がまるで違います。
 
「使って良いのだろう」と勝手に思い込んで安易に使うと痛い目を見ます。
 
(オンラインカジノなども、そんな感じで「使って良いと思っていた」「違法だとは知らなかった」で逮捕されてしまった例も多いと聞きますし…。)
 
なので、ちゃんと知識を学んで自分で自分を守らなければなりません。
 
つまりは、法令違反しないための著作権法の学習なども、ユーザーの側が負わなければならないということなのです。
 
(これが「タダより高いものはない」なんでしょうね…。だから、そこら辺の意識がしっかりしていて「三方よし」な精神を守ってくれる日本企業がAIで覇権を獲ってくれないかと思ってしまうのです…。まぁ最近は国内企業だからと言って安心しきれない部分もありますが…。)
 
性善説前提のシステムなんて、もう無理なのでは?

 
上の項目を読んでもお分かりかと思いますが…
 
事業者は「我々は機能をリリースしただけ。悪用されても、悪用する人間が悪いだけ」というスタンスです。
 
まるで悪用する人間など「ほとんどいない」とでも言いたげな姿勢ですが…
 
過去の事例を見れば、SNSの悪用事例なんて、AIが浸透する前から既に山ほどあるんですよね…。
 
大災害が起きた際に災害に関するフェイクニュースが流れたり、被災者を装って助けを求める投稿があったり…
 
X上でもかなりありましたし、問題にもなりましたので、運営が把握していないとは思えないのですが…
 
それでも事業者は「悪用されたらとんでもないことになる機能」を平気で世に出すのでしょうか?
 
今の世の中を見ていると「性善説」…すなわち「人は元々善だから、悪いことなんてしない」を前提としたシステムなんて、もう無理があるように見えます。
 
…というよりそもそもコレは、性善説を隠れ蓑にした企業側の責任放棄なのではないでしょうか?
 
自分は一応、大学で法律を学んできた人間ですので「権利と義務は表裏一体」という考えを持っています。
 
企業として利益を得ておきながら、そのサービスによって生み出される実害は「我関せず」というのは、許されるものなのでしょうか?
 
サービスを提供するなら、そのサービスが「世にもたらすもの」について、ある程度の責任や義務を負うのは「当たり前」なのではないでしょうか?
 
…むしろ世の人々は、もっとそこの部分(責任を丸投げされている件)を怒って良いと思うのですが…。
 
ちなみに、この手の議論でよく言われるのが「包丁だって良いことにも悪いことにも使える」ですが…
 
日本では6cmを超える長さの刃物って、銃刀法違反でそうそう持ち歩けないんですよね。
 
猟銃なども免許や保管方法が厳しく法令で決められています。
 
そういう「危ないモノが危ない目的に使われないように」というルールって、ちゃんと考えられて整備されているのです(それでも防げない事件はありますが…)。
 
…ですが、AIはまだ技術的に新し過ぎて法律も規制も間に合っていません。
 
今のAI事業者たちのやり口って、そういう「ルールが間に合っていない」ことを逆手に取った「暴走」なんですよね…。
 
こんな事業者ばかりが覇権を争い合っているAI業界って、本当に何だか嫌になるんですが…。
 
AI改変機能がある限り「X上の画像はとりあえず全て疑ってかかる」が原則になる

 
上でも書いたSora2では、あまりにもリアルなフェイク動画が作れてしまうことも問題となっています。
 
一応ロゴは出るのですが、ずっと出続けるわけでも、そこまで目立つわけでもなく、加工で消されてしまっている例すらあります。
 
そもそもSora自体を知らない人にとっては、そのロゴだけでAIだと気づくこともできないため、いろいろと問題なのです。
 
そんなこともあって、近頃はAIでのフェイク動画/画像に嫌悪感や拒否感を持つ人も増えている印象があります。
 
…それはそうですよね。
 
本物だと思って信じていたら「実は存在しなかった」って…普通に「騙された」と、ネガティブ感情を抱く案件じゃないですか。
 
個人的なことを言わせてもらえば、自分は「リアルに存在する猫」を愛でたいのであって、どんなに可愛く利口な猫でも「存在しない猫」を愛でさせられたくはないのです。
 
存在しない猫を一瞬でも「わ~、可愛いネコチャン♪」などと思ってしまった日には、その感情の行き場がなくなり、どうにもならないモヤモヤばかりが残ってしまうのです。
 
(最初から存在しないと分かりきっている「あきらかCGな猫」や「アニメやイラストな猫」は当然、話が別です。)
 
…で、話を戻してXの件ですが…
 
Xの件の新機能は、そんなAI画像を、お手軽に作れてUPできてしまう機能です。
 
(しかも、自分の画像だけでなく、他人の画像も使えてしまう点がタチが悪すぎるのです。)
 
つまりは今後、X上には相当数のAIフェイク画像が溢れてしまう可能性がある、ということです。
 
AIフェイクは悪用だろうと悪用ではなかろうと、見る人を混乱させる可能性が高いシロモノです。
 
うっかりそれを「本物」だと信じてしまうと、痛い目に遭いかねないのです。
 
(AIで「盛りに盛った」人物画像や商品画像を「リアル」と勘違いした後、本物を見てガッカリ…というパターンは出てくるでしょうし…。上でも書いたように「勝手にUPされた有名人の画像」も加工できてしまうとなると、既に問題となっているような「有名人を使った詐欺広告」も簡単に作れてしまうわけです。)
 
今後、X上に上がっている画像はとりあえず、一旦全て疑ってかからなければならないのかも知れません。
 
…これも事業者がユーザーに押しつけている「責任」なのかも知れませんね。
 
正直、こんな企業姿勢という時点で、見限る理由が山ほどあるのですが…
 
そろそろ本気でX離れを考えてみる時期なのでしょうか…?
 

このまま行くと、AIの進化は確実に止まる――自分がそう危惧しているのには、理由があります。
 
それは、多くのAI事業者が利用者を「囲い込む」ことに夢中になり、AIの「外」に人を送り出していないからです。
 
…と、ここまで言っても、多くの人々は「それで何故AIの進化が止まるのか」ピンと来ないことでしょう。
 
下手をするとAIを運営する「事業者」ですら、そこへの想像が働いていないのかも知れません。
 
…だって、そこの想像力が真っ当に働くなら、こんなあからさまな「自滅行動(消極的な自殺行為)」を取っているはずがありませんので…。 
どんなにAI精度が進化しても、学ぶべき情報が無ければ意味が無い

どうにも皆さん「AI」と言うと「半導体」ですとか「データセンター」ですとか「AIモデル」ですとか、ハード面やシステム面の進化や精度ばかり気にしているようですが…
 
そもそもAIって「情報」を「深層学習」することによって進化しているものですよね?
 
AIそのものの精度をどれほど上げたところで、学ぶべき「情報」が存在しないなら、まるで意味が無いはずなのですが…
 
なぜか昨今のAI事業者たちは、その情報源を「減滅させる」方向に動いています。
 
皆さんもご存知の通り、昨今の大手AI事業者は「ネット上の情報」を学習させることでAIの開発コストを抑えているのですが…
 
そうやって出来上がったAIは、情報源から得た情報を「要約」して出しはするものの、情報源へのリンクを出さなかったり、出しても目立たせなかったりして、利用者をAIの「外」へ出さないように「囲い込んで」います。
 
(なお、AI事業者は情報源への正当な対価を支払っていないことでも度々問題(訴訟)になっています。某検索サイトGのAIモードがEUから競争法違反の疑いで調査されていたり…。)
 
実際、国内での某検索サイトG経由のサイト訪問は、ここ2年で33%も減少しています。
 
実はこれ、AI学習の「情報源の崩壊」の一歩手前な状況なのですが…
 
このまま行くと数年後にはAIの学習すべき情報が枯渇するか、あったとしても相当に質の低いものばかりになり、AIの存在意義自体が危ぶまれることになりかねないのですが…
 
皆さん、本気でこの状況の意味するものに気づいていないのでしょうか???
 
サイトやブログは訪問者あってのもの

日本には質の高い情報を提供してくれるサイトやブログがたくさんあります。
 
それは決して「大手」のマスコミや企業のものばかりでなく、中小企業や個人のものでさえ、きめ細やかな「お役立ち情報」を出してくれています。
 
実際自分も、冠婚葬祭の折、ブライダル事業者や葬儀社のサイトにどれだけ助けてもらったか知れません。
 
でも、この種の「お役立ち情報」…べつに「ボランティア」で提供されているわけではないのです。
 
もちろん「世の役に立とう」という意識はあるでしょうが、その最大の目的は「その情報によって人を呼ぶこと」。
 
サイトやブログに人を集めることが目的なのです。
 
たとえ受注につながらない遠い地方からの閲覧だとしても、訪問者数が増えれば評価が上がり、検索上位表示される可能性が上がります。
 
そうやって利用者と情報提供者のWin-Winの相互利益関係で回っていたのが、今までのネットの世界だったのです。
 
ですがAIの登場は、この関係性を崩します。
 
皆が皆AI回答やAI要約だけで満足して、サイトやブログに行かなくなってしまったら…
 
わざわざ時間と手間をかけてネットに情報提供しても、何の意味もなくなってしまいますよね?
 
ビジネス系サイトのみならず、個人の趣味のサイトも同様です。
 
HPやブログ、動画サイトなどで様々な趣味のノウハウを紹介してくれている方は多いですが…
 
どれもこれも「見てくれる人がいるから続けていられる」のではないでしょうか?
 
苦労して記事や動画をまとめてUPしても、見てくれる人もなく、反応も無い…そんな状況が続けば、心が折れてやめてしまう人も多く出て来るのではないでしょうか?
 
(さらには自分のUPした「人のためになる情報」をAIに「横取り」されて、得られるはずだった「反応」も「報い」も全て持って行かれていると知ってしまったら、絶望以外の何ものでもありませんよね?)
 
AIがユーザーを囲い込んでネットへの流入を阻めば阻むほど、ネットは不活性化し、有益な情報がどんどん消えていきます。
 
いわばAI事業者がやっていることは「立派なダムを作って水を貯めたけれど、水源を枯らそうとしている」行為なわけですが…
 
…本当に何故、こんな自滅行動に走っているのでしょう?
 
そもそもAIユーザーの何割かは「ネットで集客するためのコンテンツをAIで作りたい」という人々でしょうが…

AIで優れたコンテンツを作れたところで、そのコンテンツへの集客自体をAIによって阻まれてしまうなら、何の意味もないですよね?
むしろ、ただ無駄にAIに時間(あるいは利用料も)を取られただけになってしまいますよね?

広告主に「AIモードができてもサイトへのトラフィックは減りませんから大丈夫ですよ」的なことを言っておきながら、実際ガッツリ流入を減らしている某検索サイトといい、どうしてAI事業者って、そういうことをするんでしょうね?
 
真っ当な事業者は「持続可能性」を求める

もしかしたらAI事業者は「AIに必要な情報は既に得た。あとは用済みだ」とでも言うつもりなのかも知れませんが…
 
それだとAI開発当時のネット情報を永遠に擦り続けるばかりで、時代に合わせたバージョンアップもできません。
 
(世の常識やマナーは時代によって変化していくものです。新しい情報が得られなければ、AI回答は古い情報のままで「いつの時代の話?」ということになってしまいます。)
 
あるいはAI事業者は「どれだけ水源を荒らそうと、どこからか水は湧き出るものさ」と楽天的な考えでいるのかも知れませんが…
 
その「水」が「以前と同じ質」とは限りません。
 
むしろ「AI生成コンテンツ」ばかり増えて「既にAIが知っている情報」をAIが「再学習」するという、新たなフェーズの「AI狂牛病(モデル自食症:Model Autophagy Disorder)」が発生するだけかも知れません。
 
今ならまだ、確実に質が高いと分かっている情報源を、確実に守ることができるのに…
 
わざわざそれを潰して、質がどうかも分からない、湧き出るかも分からない「次」に期待するなんて、あまりにも非合理的です。
 
…この非合理的な企業姿勢を見てふと思ったのが「もしかして、海外に寿命の長い企業が少ないのは、そういうことだったのか?」ということでした。
 
たとえば日本の企業は、山から木を伐採した分、また新たな苗木を植えて森を育てたりしますよね?
 
木を伐るだけ伐ってそこで「おしまい」ではなく、この先もずっとそれを続けられるよう、持続可能なサイクルを作っているのです。
 
海外のビジネス事情には詳しくありませんが、そういう考えを持っている企業って、海外では少ないのでしょうか?
  
目先の利益を取るだけ取って、数年後の自分たちの首を自分で締めて破滅しても「時代の流れが悪かった」で終わりなのでしょうか?
 
その数年後の破滅を回避するために「今」できることがあるのに…
 
そこに想像を働かせ行動しようという意識を、まるで持っていないのでしょうか?
 
AIとネット文化が「共存」する道は普通にある

AIの進化を止めず、ネット文化の衰退も防ぐ…その方法は、普通に存在します。
 
言うまでもないことですが…AIがむしろ積極的に、ネットの各サイト・ブログへの人の流出を推し進めれば良いのです。
 
いわば、これまでの検索サイトの「上位互換」になれば良いわけですが…
 
これが出来ていないのって、AI事業者が「そんなことをしたらAIの利用時間が減るじゃないか!」「AIに人が戻って来なくなったらどうする!?」と過剰に身構えてしまっているからなのでしょうか?
 
…それでAIの進化が止まって使い物にならなくなったら本末転倒なのですが…
 
人ってそこまでして、他者に利益を持たせたがらないものなんですかね??
 
自分だけが利益を独占して、結果それで首が回らなくなっても良いのでしょうか??
 
むしろ、AIとネットの各サイト・ブログとの間にWin-Winな相互利益関係が生まれれば、どちらも共に寿命を延ばしていけるはずなのですが…。
 
AI事業者が閉ざそうとしているものは、もしかしたらAIの未来のみならず、人類そのものの未来なのかも知れませんよね…。
 
ちなみに、AI事業者によるコンテンツの無断学習&利用問題については、最近ニュース記事で見たKDDIとGoogle Cloudの戦略提携の話が、個人的に気になっています。
予め許諾を得たコンテンツを生成AIへ提供し、それをユーザーが使えば収益が分配される仕組みを想定しているようですが…。
記事の内容だけでは、その仕組みで「どこまで」のコンテンツ提供者をカバーできるのかは分かりませんでしたが…。

「AI生成物」と「そうでないもの」を見分けるために、AI生成物には特定の「印(マーク)」を付けるべき…
 
今さらここで言わずとも、既に有識者によって散々言われてきたことなのですが…
 
なぜそれが必要なのか、少し考えれば分かりますよね?
 
…そうしないと、フェイクをうっかり信じてしまう人が多発して、世の中が大混乱するからです。
 
生成AIの精度が向上すれば、もはやAI生成画像(動画)と「そうでないもの(オリジナル)」を区別するのは不可能とさえ言われていますが…
 
それ、普通に困りますよね?
 
日常で当たり前に目にする画像や動画を、いちいち「これは本物、これは実在しないフェイク」と判断していかなければならないって…
 
普通に「生活が困難になる」レベルじゃないですか。
 
しかもフェイクは「熊が出た」「政治家がこんな発言をした」という、生命の危機に関するものや、政治判断を左右するものにまで及んでいます。
 
(あるいは「この動物は人が平気で触れるほど安全な生き物」という誤解を生んでしまう「間接的に人の命を脅かす」動画など。)
 
昨今「本物と見分けがつかないフィッシングサイト」や「より巧妙な迷惑メール」が急増しているのも、生成AIの精度向上と無関係とは思えません。
 
(ロマンス詐欺や「なりすまし」にもAIのディープフェイクが使われたりしていますし…。)
 
AIで造られたものが「本物と区別できない状態」は、社会の混乱犯罪を招くのです。
 
さらに言えば、大人でも混乱するこの状況…
 
まだ現実とフィクションの区別もつかない幼い子どもには、なおさら「悪影響」を及ぼすリスクがあります。
 
(実際、スペインの大学では動物動画のフェイクが子どもに及ぼす影響の研究が行われています。)
 
…これ、一定以上の知能がある方なら、誰でも気づくことかと思うのですが(さらに言えば、既に世の中がこの状態で、気づかない人がいるとも思えないのですが)…
 
何故AI事業者は、未だにAI生成物に「そうと分かる印」を入れないのでしょう?
 
「たとえ入れたところで、その印を加工で消されてしまえばそれまでだ」という考えもあるかと思いますが…
 
その「加工して消さなければ使えない」という「一手間」が加わるだけでも、悪戯や犯罪の何%かは低減させられるはずなのです。
 
犯罪予防のポイントの1つは、相手に「面倒くさい」と思わせることですので。「生成AIに頼めば、その印も一瞬で消されてしまう」という懸念もありますが、AI事業者なら「どんなプロンプトを与えられても消せない印」をAIに仕込むことも可能なのでは?)
 
実を言うと、最近出た某O社の生成動画アプリ「Sora(2)」では、生成した動画にロゴが埋め込まれるようになりました。
 
最初にネットニュースの記事でこれを読んだ時は個人的に「やっとか…」と思い、多少はAI事業者を「見直す」気になったのですが…………
 
正直、AI事業者は安全問題やプライバシー問題や著作権問題等々、何かと後手に回っていて「何かあって余所から文句を言われないと動かない」イメージがあります。
なので、個人的には信頼性など微塵も感じたことはありません。
そこら辺の意識が「ちゃんとした」安心安全な国内企業が出て来て覇権を取ってくれないものかと、常日頃から思っているくらいです。
…そもそも海外産のAIに依存すること自体、いろいろリスクがありますし…。

このロゴの出方、思ったのと違っていました。
 
てっきり画面のどこかに「ずっと」ロゴが出ているものだとばかり思っていたのですが…
 
このロゴ、一定時間で消えてしまう上、半透明なので動画によっては目立ちません。
 
最初から出ているわけでもありませんし、サムネイルにもロゴが載っていないことがあります。
 
…そもそも出ているロゴが「Sora」というアプリの名前だけなんですよ…。
 
自分も実際にリリースされるまでは「アプリの名が入っていれば大丈夫だろう」と思っていたのですが、認識が低過ぎました…。
 
YouTubeなどのコメント欄を読んで初めて気づいたことなのですが…
 
「アプリの名」で「AIか否か」を区別できるのは「そのアプリを認知している人だけ」なのです。
 
AIにそれなりの興味を持って情報収集している人間なら「Sora?ああ、あのAI動画が作れるやつか」となるでしょうが…
 
そうでもない一般の人々にとって、その名はまだそれほど認知度の高いものではないのです。
 
なので、ロゴを入れるとしたら「AI Movie ○○」「AI Picture ○○」のように、アプリ名とともに「AIであることが分かる文言」を入れるべきだったのでしょう。
 
(ついでに言うと、どうせ一定時間でロゴが変化するなら、ロゴの表示場所が何秒かごとに変わる(そしてずっとどこかしらに出続けている)とかだと、加工で印を消すのが面倒くさくなって良いのでは?)
 
…ただ、まぁ……入れるようになっただけでもだいぶ「マシ」ではあるので、そこは大いに評価したい所ですが…
 
他の「何もしていない」AI事業者は、フェイクが世の中を害するこの状況を、どう思っているのでしょう?
 
「印を入れる」の他にも「AIならではの特徴づけをする」など、対策の立てようはいくらでもあるはずです。
 
なのに、利益を得るだけ得ておいて、社会に生まれる損失は見て見ぬフリをする…それって、許されることなのでしょうか?
 
「悪用する側が悪い」という理屈はあるとしても、事業者がその悪用に何の「予防策」も打たない理由にはならないじゃないですか。
 
この問題を思うたびに「あれ?PL法ってアメリカ発祥じゃなかったんだっけ?アメリカって『それを作った者にはそれなりの責任がある』っていう考えの国じゃなかったんだっけ?」と不思議に思うのですが…
 
(現在AI事業者の有名どころは、大体アメリカの企業なんですよね…。)
  
…まぁ、アメリカも最近いろいろ変わってきていますからね…。
 
利益は巻き上げられるだけ巻き上げておいて、まき散らされる混乱は「知らんぷり」っていうのが、最近のスタンスなんですかね…??
 
さらに不思議なのは、この事態に対して一般企業および一般の人々がほとんど声を上げていないことなのですが…
 
(AI生成の詐欺メールや偽サイト、フェイク情報によるデマで迷惑している企業さんも相当数いらっしゃるでしょうに…。)
 
皆さん、この事態を放置しているAI事業者に対して、何も思うところは無いのでしょうか?
 
自分は正直、不信感を持っていますし「社会的責任に対する意識が低いのでは?」と思っています。
 
…あるいは低いのは、「自社サービスが世の中に与える影響」に対する「想像力」の方なのかも知れませんが…
 
どちらにせよ、こんな姿勢の事業者にAI業界の覇権を取ってもらいたくはありません。
 
ユーザーには利用するAIを選択する自由があります。
 
あるいは「選択する余地も無い」ほど無責任なAI事業者しかいなかったとしても…
 
そこに対して声を上げ、改善を求める(改善されない限りは利用しない)自由があります。
 
そしてそれは、未来に対する「選択」でもあるのです。
 
フェイク含むAIの「悪用」に対し何の対策も取らない事業者と、ちゃんと取り組む事業者…
 
「どちらを選ぶかで、人類の未来は変わってくる」と言っても過言ではないのです。
 
皆さん、無料だとか利便性だとか、そんな部分ばかりでAIを選んでいるかも知れませんが…
 
ぶっちゃけ、そんなものより「もっと重要なもの」があるのです。
 
目先の安さや便利さと引き換えに、平穏に暮らせるはずだった未来を永遠に喪う(AI犯罪だらけの未来を生んでしまう)とか…割に合わないにもほどがあるじゃないですか。
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