日々ふと思うことを徒然なるままに書き綴る個人的エッセイあるいは回想録。
世の中「頭が良いはず」なのに、なぜか「おかしな方向」へ行ってしまう人って、いますよね?
元から「頭が悪い」ならともかく、高学歴だったり高スペックだったりするにも関わらず、「そうはならんやろ」という「やらかし」や「問題発言」で身の破滅を招いてしまうタイプの人が…。
そういう人々を見るたびに「本当の頭の良さって何なんだろう…?」と疑問に思うのですが…
最近、ふと思いついたことがあります。
それは「『自分にとって“不都合”な意見を受け入れられるか否か』が“知性の分かれ目”なのではないか?」ということです。
自分と「真逆」の意見、自分の主張に「反対」する意見を、とことん拒絶し、あまつさえ「攻撃」する人って、いますよね?
自分は昔から、ソレに疑問を抱いていました。
なぜなら自分にとって大切なのは「自分の意見が通るかどうか」ではなく「何が一番“最良”の答えか」だったからです。
だって、多数決で勝利して自分の意見が通ったとして、それが“最悪”の間違いだった場合、賛成していた人はもちろん、反対していた人まで全員道連れにしての「破滅コース」じゃないですか。
自分にとっての優先事項は、常に「自分がこの世界で生き残っていくこと」でした。
そのためには「自分を生き残らせてくれる答え」こそが必要で、たとえそれが「自分の」意見でなくても構わないのです。
たとえばサバイバルな状況下で、サバイバル知識が全く無い「自分」と、サバイバル知識に長けた「他人」がいたとして――そこで「自分の意見が通らないと気が済まない」なんてワガママを言っていられますか?
…思うに「異論を絶対に認められない人」って、人生において、判断ひとつが生死を分けるような「ギリギリの極限状態」に置かれたことがないのではないでしょうか(いや、そもそもそこに置かれたことのある人の方が少なそうですけど…)?
「自分の選択が間違っていたら、そこで人生ゲームオーバー」という切迫感を味わったことのない、「平和」過ぎる意識の持ち主なのではないでしょうか?
人生に危機感を持っている人間は、一つの結論だけで「安心」したりはしません。
それが「間違っていないか」を常に警戒し、反論含め数多くの意見を集めて「比較検討」します。
さらに「比較」する際には「主観的」な感情で判断を下すのでなく、「客観的」な情報で正否を見極めます。
感情的に「好ましい・好ましくない」で判断するのは、平和惚けした人間のすること。
常に緊張感を持って生きている人間に、感情で判断するという選択肢は(趣味の買い物の選択etcでもない限り)そもそも存在しないのです。
…ひょっとすると、日本は平穏な時代が長かったため、危機感の無い人間が多く育ってしまったのかも知れません。
ですが「これから」の時代は、危機感無くフラフラ生きていられるほど安穏とした時代ではないかも知れないのです。
過去記事で、自分は常に「半信半疑」のスタンスで生きている、と書きましたが…
「どんなに信じたい意見でも、最低1%は疑いの余地を持つ」「どんなに否定したい意見でも、最低1%は信じる余地を持つ」――これって「思考の機動力」を保つために必要な考えだと思うのです。
100%肯定または100%否定で思考が固まってしまうと、いざそれが間違っていた時、すぐには動けません。
それともう1つ、自分が心がけていることがあります。
それは「異論を“おもしろい”と思える心を保つ」ことです。
人が自分の意見とは違う「異論」を攻撃しがちなのは、それを「おもしろくない」「憎らしい」と思うからではないでしょうか?
そしてそう思うのは、その異論が自分の意見を「否定」しているように感じるからなのではないでしょうか?
ですが異論は必ずしも、自分の意見を「否定」するものではありません。
それを「弱点の指摘」と捉えるなら、それは「弱点克服のヒント」になります。
それが「思いもしなかった別角度からの意見」であるなら「それを取り入れれば、自分の意見はさらに深みを増す」ということです。
異論は使い方次第で、自分の意見をパワーアップさせるものになるのです。
それを思えば、異論を知るのって「おもしろい」と思いませんか?
…逆に言えば、それを「おもしろい」と思えないのは、その人に異論を上手く取り入れられるだけの「知恵」が無いからなのでしょうね…。
自分は、異論を端から否定するのは「愚か者」だと、子どもの頃から思っていました。
討論番組で他者の意見を遮って自分の意見を押し通そうとする「識者」を「みっともないな」という目で見てきました。
なので、そんな「愚か者」に自分からなりに行く気は無いのです。
まして「愚か者」だと、人生の破滅リスクが上がってしまいますので…。
元から「頭が悪い」ならともかく、高学歴だったり高スペックだったりするにも関わらず、「そうはならんやろ」という「やらかし」や「問題発言」で身の破滅を招いてしまうタイプの人が…。
そういう人々を見るたびに「本当の頭の良さって何なんだろう…?」と疑問に思うのですが…
最近、ふと思いついたことがあります。
それは「『自分にとって“不都合”な意見を受け入れられるか否か』が“知性の分かれ目”なのではないか?」ということです。
自分と「真逆」の意見、自分の主張に「反対」する意見を、とことん拒絶し、あまつさえ「攻撃」する人って、いますよね?
自分は昔から、ソレに疑問を抱いていました。
なぜなら自分にとって大切なのは「自分の意見が通るかどうか」ではなく「何が一番“最良”の答えか」だったからです。
だって、多数決で勝利して自分の意見が通ったとして、それが“最悪”の間違いだった場合、賛成していた人はもちろん、反対していた人まで全員道連れにしての「破滅コース」じゃないですか。
自分にとっての優先事項は、常に「自分がこの世界で生き残っていくこと」でした。
そのためには「自分を生き残らせてくれる答え」こそが必要で、たとえそれが「自分の」意見でなくても構わないのです。
たとえばサバイバルな状況下で、サバイバル知識が全く無い「自分」と、サバイバル知識に長けた「他人」がいたとして――そこで「自分の意見が通らないと気が済まない」なんてワガママを言っていられますか?
…思うに「異論を絶対に認められない人」って、人生において、判断ひとつが生死を分けるような「ギリギリの極限状態」に置かれたことがないのではないでしょうか(いや、そもそもそこに置かれたことのある人の方が少なそうですけど…)?
「自分の選択が間違っていたら、そこで人生ゲームオーバー」という切迫感を味わったことのない、「平和」過ぎる意識の持ち主なのではないでしょうか?
人生に危機感を持っている人間は、一つの結論だけで「安心」したりはしません。
それが「間違っていないか」を常に警戒し、反論含め数多くの意見を集めて「比較検討」します。
さらに「比較」する際には「主観的」な感情で判断を下すのでなく、「客観的」な情報で正否を見極めます。
感情的に「好ましい・好ましくない」で判断するのは、平和惚けした人間のすること。
常に緊張感を持って生きている人間に、感情で判断するという選択肢は(趣味の買い物の選択etcでもない限り)そもそも存在しないのです。
…ひょっとすると、日本は平穏な時代が長かったため、危機感の無い人間が多く育ってしまったのかも知れません。
ですが「これから」の時代は、危機感無くフラフラ生きていられるほど安穏とした時代ではないかも知れないのです。
過去記事で、自分は常に「半信半疑」のスタンスで生きている、と書きましたが…
「どんなに信じたい意見でも、最低1%は疑いの余地を持つ」「どんなに否定したい意見でも、最低1%は信じる余地を持つ」――これって「思考の機動力」を保つために必要な考えだと思うのです。
100%肯定または100%否定で思考が固まってしまうと、いざそれが間違っていた時、すぐには動けません。
それともう1つ、自分が心がけていることがあります。
それは「異論を“おもしろい”と思える心を保つ」ことです。
人が自分の意見とは違う「異論」を攻撃しがちなのは、それを「おもしろくない」「憎らしい」と思うからではないでしょうか?
そしてそう思うのは、その異論が自分の意見を「否定」しているように感じるからなのではないでしょうか?
ですが異論は必ずしも、自分の意見を「否定」するものではありません。
それを「弱点の指摘」と捉えるなら、それは「弱点克服のヒント」になります。
それが「思いもしなかった別角度からの意見」であるなら「それを取り入れれば、自分の意見はさらに深みを増す」ということです。
異論は使い方次第で、自分の意見をパワーアップさせるものになるのです。
それを思えば、異論を知るのって「おもしろい」と思いませんか?
…逆に言えば、それを「おもしろい」と思えないのは、その人に異論を上手く取り入れられるだけの「知恵」が無いからなのでしょうね…。
自分は、異論を端から否定するのは「愚か者」だと、子どもの頃から思っていました。
討論番組で他者の意見を遮って自分の意見を押し通そうとする「識者」を「みっともないな」という目で見てきました。
なので、そんな「愚か者」に自分からなりに行く気は無いのです。
まして「愚か者」だと、人生の破滅リスクが上がってしまいますので…。
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管理人プロフィール
- 【HN(ハンドル・ネーム)】
- 津籠睦月(つごもりむつき)
- 【職業】
- 社会人(毎日PCを使う仕事。残業も休日出勤も普通にあります。)
- 【趣味】
- 小説・HP制作、読書、猫と遊ぶこと。
- 【好きな小説ジャンル】
- ファンタジー、冒険、恋愛、青春、推理、濃い人間ドラマの展開するモノ。
- 【備考】
- 漢検2級(準1以上は未受験)。国語の最高偏差値80(高2時点)。
ブログ更新&チェックについて。
このブログは管理人に時間の余裕がある時にちょこっとずつ更新していく予定ですので、更新やチェックの頻度はおそらく数週間に1回~下手をすると1ヶ月以上の間が空いてしまう可能性も…。
もし更新が滞ったても「あぁ、仕事が忙し過ぎて時間が無いんだな」と気長にお待ちいただければ幸いです。
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