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日々ふと思うことを徒然なるままに書き綴る個人的エッセイあるいは回想録。
自分は元々早生まれな上、丸1ヶ月近い早産で生まれた未熟児で、同じ学年の子どもたちより常に体格で劣っていました。
(「前へならえ」では、ほぼ毎年「腰に手をあてる」役だったくらいに…。)
 
おまけに運動音痴で体力も無く、ぱっと見“ひ弱”そうで“おとなしい”性格に見られていたため、虐め(いじめ)のターゲットにされやすいタイプではありました。
 
もっとも自分の場合、物心ついた時から妙に“知恵の回る”子どもだったため、己の立ち位置をよく把握しており、その小さな体格を逆に利用して“グループの中のマスコット・キャラ”“(数か月だけ)年下キャラ”を演じることで、「イジられはしても虐められはしない」という地位を確保している……つもりでした。
 
“つもり”というのは、自分も何分まだ小学生で、“知恵が回る”と言っても“ツメが甘かった”ため、気づいていない思考の死角があったということです。
――それはすなわち「イジりもエスカレートすれば簡単に虐めに変わる」という事実でした。
 
そんなこんなで、小学生時代の自分は何度か虐めを受けてきました。
 
最初のうちは家族にそのことを訴えたりもしましたが、考え方がまるで“旧時代”で「やられたらやり返すんだよ」という何の解決にもならないアドバイスしかくれない家族に、「この人たちに言っても無駄だ」とすぐに見切りをつけました。
 
(うちの家族の場合はそんな風でしたが、世の中には真剣に話を聞いてくれる頼りがいのある家族もいると思いますので、相談する前からあきらめる必要は無いと思います。重要なのは相談する相手の性格と知識と能力です。)
 
かと言って絶望の淵に沈むかと思えば全くそうではなく、自分は「家族に頼らずにこの状況を何とかする方法」を一人で考え始めました。
それこそ、虐められている真っ最中も、一人だんまりを決め込みながら、頭の中ではコツコツ冷静に解決法を練っていました。
 
結局その解決法は、担任の先生に自分の置かれている状況を訴えるというものだったのですが…
 
虐め加害者もいる教室内で先生に言うのは、リスクが高過ぎますし、職員室へ行って…というのも、なかなかハードルの高い行為でした。
それに口で説明する方法だと、緊張して上手く伝えられない可能性や、肝心なことを言い漏らしてしまう可能性もあります。
 
なので、小学4年生当時の自分がとった方法は「学習ノートを使う」というものでした。
 
自分の通っていた小学校では、児童それぞれが家で好きな教科を選んで勉強し、その内容をノートにまとめて先生に提出する“自習用”のノートがありました。
(後で赤ペンで担任の先生のコメントが付いて返ってくるのです。)
 
そのノートに自分は、自分がされている虐めの内容を客観的事実(いつ・どこで・誰に・何をされたのか)と主観的感想(その時、自分がどう感じたか)を交えて図解入りで詳細にまとめ、普段学習ノートを提出するのと全く同じように、しれっと提出したのです。
 
その直後、学級会でこのノートの内容が、被害者の名前と加害者の名前を匿名(黒塗り)にした上で取り上げられ、それが功を奏したのか、その後、その子たちからの虐めはなくなりました。
(相手がそれで反省していたのかどうかは分かりませんが、「こいつ、虐めるとリベンジしてくるぞ」ということを相手の頭にインプットするだけでも、ある程度の虐め抑制効果があったのではないかと思います。)
 
もっとも、コレは“たまたま上手くいったケース”というだけで、全ての虐めに通用する方法だとは思っていません。
こういった方法で虐めが止まるかどうかは、虐めの程度や内容、虐め加害者の性格にもよるでしょうし、担任の先生の力量や性格も関係してくるかも知れません。
 
それに、今にして思うと、さすがに小学4年生だけあって、自分のやり方もツメが甘かったと思います。
今の自分がやるなら、ノート1冊だけではなく、万が一担任の先生に握りつぶされた場合に備えて、予備のノートをもっと作っておきますし、できるなら文章だけではなく、物的証拠写真(画像データ)も(虐め加害者にバレないように慎重に)収集・確保しておきます。
 
何げに最近はそういう“証拠集め”を、お年玉などを使ってプロ(興信所など)に依頼するケースもあるようですね。
(数年前にTV番組でそういう話を聞きました。うろ覚え情報ではありますが。)


<関連記事>
ハブられ状態脱出の実例~中学生の時~
小学校時代の虐め(いじめ)を経て思うこと

 

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小学生の頃、大人になるのが嫌で仕方のない時期がありました。
 
当時“大人”は“子ども”とは全く違う存在に見えていて、しかも子どもの心を全く理解しない生き物に思えて、そんなものになりたくないと強く思っていました。
 
でも、時の流れは止めようがなく、身体も年齢も勝手に大人に近づいていく……ならば、どうすれば良いのか。
 
自分が出した結論は「せめて、子どものままの今の心を忘れずに生きていこう」ということでした。
 
小学生の自分が、何を見て、どう感じてきたのか。
何を考えて生きていたのか――その心の在り方を、そのまま“保存”していこうと考えたのです。
 
人間は、大切な思い出すら時の流れの中で曖昧になって忘れていってしまうものです。
それを忘れないようにするためには“工夫”が要ります。
 
自分が子ども心を忘れないためにとった手段――まずひとつは、とにかく記憶を反芻(反復)することでした。
特に忘れたくないと思った想いや記憶を、繰り返し脳内に蘇らせるという作業を、折に触れ何度も行ってきました。
 
…と言っても、義務的に、無理をしてやっていたわけではありません。
自分の生活範囲の中で“ここを通った時にはこの記憶を思い出す”という地点を何箇所か決めておいて、そこを通りかかった時にうすらぼんやりと過去の記憶を蘇らせるという、“習慣”というか“クセ”のような感じで行っていました。
 
それともうひとつは、記憶を引き出すトリガー(引きがね)となる“物”を残しておくことです。
 
思い出の品や写真でも良いのですが、一番有効だったのは自分で書き残した文章――日記でした。
 
日記は「毎日つけるもの」として義務化すると、なかなか続けられず書くこと自体をやめてしまったりするものですが、「忘れたくないことがあった時にだけ書き残しておく」と決めて書く分には、後々に「この時こんなことがあったんだっけ」「この時こんなことを思ったんだっけ」と思い出すための重要アイテムとして役立ちます。
 
とは言え、高校・大学と進学し、生活範囲が変われば“記憶を反芻する地点”を通ること自体が少なくなり、徐々に記憶は劣化していったように思います。
 
日記も、あまりにも過去のものになると「本当に自分の書いた文章なんだろうか」と思うほど忘れてしまっているページもあったりします。
 
正直、今も心の中に小学校時代の自分がそのまま棲んでいるのかと問われれば「完全に同じ存在ではなく、ちょっと別物に変わってしまっているかも知れない」と、そう答えざるをえないでしょう。
 
けれど、それでも時々、ふっと小学生の自分の視線を感じることがあります。
 
それは“現在の自分”の言動を監視していて、時折「それでいいの?」「それだと、あの頃、嫌っていた“汚い大人”と一緒になってしまうよ」と心の中で囁きかけてくるのです。
 
自分は完璧な人間ではありませんし、できないこと、妥協してしまっていることも多々あります。
でも、それでも、胸の中にいる“小学生の自分”を失望させない自分でありたいと、今でも思っています。
 
幼いがゆえに真っ直ぐだった“小学生当時の自分”の想いは、時にどんな他人の言葉よりも鋭く厳しく胸に突き刺さります。
しかも“過去の自分”とは言え“自分自身”には変わりがないので、否定しようとすれば、その否定がそのまま自分自身にブーメランで返ってくるという逃げ場の無い苦しみです。
 
でも、それでも自分は心の中に居る小学生の自分の心を棄ててしまいたくはないのです。
 
小学生の頃は、あんなになりたくなかった“汚い大人”に、気付けばあっさりなってしまっていて、それを恥にも思わずにいるとしたら、その方が何だか“救われない”気がしてならないので…。

普段、薄々感じていることがあります。
 
――これだけ十人十色に様々なタイプの人間がいる中で、“全員に当てはまる真理”なんて存在しない気がするのに、わざわざ「正しい」だとか「間違っている」だとかを決める必要があるのだろうか、と。
 
「このタイプの人に対しては合っているけど、別のタイプの人々には当てはまらない」「こういう条件なら正解だけど、条件が変われば不正解」――それで良いのではないかと思うのです。
 
どんなに大勢の人に支持される意見でも、“当てはまらなかった”人たちにとっては支持できないものなのだから、その人たちから否定されるのは当然の話です。
 
万人に当てはまる真理が無い以上、どんなに正しそうな理論だって、どんなに高尚な言葉だって、どこかの誰かから否定されるのは当たり前の話なのです。
 
否定されたからと言って凹むようなことでも、肯定されたからと言って得意気になるようなことでもありません。
 
それはあくまで“ひとつの意見”という、それ以上でもそれ以下でもなく、絶対の真理でも無ければ、無価値なヨタ話でも無いのです。
 
……と言う風に、自分は日々うっすら思ってきたのですが、世の中の多くの人は、どうもそうは思っていないように見えます。
 
何だか世の中、“自分の意見が肯定され、より多くの人間から賛同される”ことばかりを望み、そのことに躍起になっている人で溢れているように見えるのです。
 
あるいは、“自分とタイプや立場の異なる誰か”の意見を“否定すること”に夢中になっているように見受けられます。
 
自分には、それがどうにも無意味な“陣取りゲーム”のように見えて仕方が無いのですが……。
 
まぁ、自分の人生を何に費やすかは個々の自由でしょうし、たとえ一個人の眼から見て無意味な陣取りゲームに見えても、本人たちがそれに本気で熱中していて人生を懸けたいのだと言うなら、それでもいいのではないかとは思います。
 
ただ、そんな陣取りゲームにヒート・アップするあまり、無闇やたらに“他人を傷つける言動をとる”のはいただけない、と思うのです。
 
過度な攻撃姿勢は何だか「他人の意見を否定しなければ自分の意見を信じられない」という怯えの果ての、ヒステリックな先制攻撃にも見えてしまいます。
 
そもそも「否定したい」のだとしても、それでわざわざ“攻撃的な”言葉を使う必要は無いと思うのですが…。
 
日本語には相手を傷つけないよう配慮して、やんわり婉曲に間違いを指摘するやり方だってあったはずです。
 
(まぁ、そういう遠回しで“持って回った”ような言い方が嫌いという方も一定数いるのでしょうが…。)
 
「対立する相手になら、どんな攻撃的で暴力的な言動をとっても良い」という考えは、戦争や暴力の根源のように思えますし、そもそも端から見ていて決して気分の良いものではありません。
 
実際、自分も学生時代、ネット上の荒れた掲示板のやりとりを読んで「世の中って、こんなに荒んでるんだ。人間ってこんなに醜いものなんだ。こんな汚い大人であふれた社会になんて出たくないなぁ」などと思っていたものです。
 
まぁ、人間誰しも、そうそう“聖人君子”にはなれない生き物なので、イラッと来たら暴言も吐きたくなるとは思います。
 
けれど、それを自分の心の中だけで留めてガマンするか、相手に向けて実際に吐き出してしまうかは、とてつもなく大きな違いなのです。
 
 
それに一度そうやって枷を外し、攻撃的な言葉を吐くことを自分に許してしまえば、後々それがその人の“クセ”になりかねません。
 
そのうちにその攻撃姿勢は、対立する相手だけでなく、自分の身近な人・大切な相手に対しても、“ふとした拍子”にポロッと出てしまったりするものだと思うのです。
 
そうしてポロッと出た暴言や攻撃的態度は、ひょっとすると絆や信頼関係にヒビを入れ、取り返しのつかないものにもなりかねません。
 
暴言を吐いた本人がすぐには気づけなくても、いつの間にか知人・友人・家族にさえ敬遠されて、気づけば周りから人がいなくなっている、ということにもなりかねないのです。
 
 
人間、感情が激した時に出る言動は、なかなか理性でコントロールできるものではなく、そこには普段の習慣が何かと影響してくるものです。
 
普段から折に触れて攻撃的で暴力的な言動を選択していると、人生の大事な時にうっかりポロッとそれが出てしまうものだと思うのです。
 
だから単に“世のため人のため”というわけでなく、自分の人生を大切にするためにも、普段、無闇やたらと暴力的態度をとるのはよろしくないと思うのです。
 
相手を攻撃して得られる快感やストレス解消は一瞬でも、その代償は意外なほどに大きく、知らず知らずのうちに人生を蝕んでいるかも知れないのですから……。
 
 
そもそも、対立した意見だからと言って無闇やたらと否定するより、対立する意見でも優れたところは「いいとこどり」して積極的に取り入れ、組み合わせることで、自分の意見をパワー・アップしていった方が遥かに有意義だと思うのです。
 
(まぁ、取り込めないような種類の意見も、もちろんあるでしょうけど…。)
 
“目先の勝敗より、将来へ向けての進歩”“単純な多数決より、なるべく多くの人が納得になれる折衷案を”――そんな風に誰もが考えていけるなら、この世界はもっと優しく、幸せなものになっていける気がするのですが…。

自分はこれまでの人生・進路を“自分以外の誰かの言う通り”に決めたことが一度もありません。
 
それは家族が(長男以外の人間に対しては)わりと放任主義で、たとえ実力的にはもっと上のランクの学校が望めたにも関わらず偏差値的にやや下の学校を希望したところで、特に反対もされなかったという、単にそれだけのことではあるのですが…。
 
もっとも長男に対しては、進学自体渋っていた本人に代わり、受験する学校から学部まで全部親が決めたという過干渉ぶりで、その“関心の差”に釈然としないものを感じていました。
 
正直、親から「何も期待されていない」と感じていたのも事実です。
 
小学生の頃から、テストで良い点を取ろうが、読書感想文や絵のコンクールに選ばれようが、“ものすごく褒められた”という記憶はありませんし、そもそも学生時代にどんな成績を取っていたのか覚えてくれているかどうかすら、ちょっと怪しいと思っています。
 
(だって、たとえ一教科だって最高偏差値80とか取るような子のことを、普通はおばか扱いしないと思うんですよ…。たとえ多少天然だとしても…。)
 
まぁ自分の場合、どんなに勉強やその他の活動を頑張ろうと、“身体が弱い”というかなりなマイナス要素が存在していて、何かと言っては家族に迷惑をかけていたので、そちらの方にばかり目がいってプラス要素に目を向けてもらえなかったとしても仕方はないのかな…とは思うのですが…。
 
もっとも自分は、親から目を向けられないことを寂しくは思っても、同時に「その分、自由にできるから、まぁいっか」と割り切ってしまうような性格でしたので、特にひねくれたとかグレたということもなく、行きたい学校も進路も完全に自分の趣味で選び、フワフワッと生きて来たわけですが……
 
逆に親の重圧を受け続け、大学院まで進まされた長男は精神的にかなりキツそうでした。
 
たぶん親は「良い大学を出れば良い会社に入れて将来安泰」というような幻想をずっと抱いていて、純粋に子のためを思って大学に入れたのだとは思います。
 
ですが、その道が本人に合っているようには見えませんでした。
 
生来の明るさを失い荒んでいた当時の兄弟のことを思い出すと、兄弟として何の助け舟も出せなかった自分が歯がゆく、申し訳なく思えます。
 
自分は思うのですが「良い大学を出れば良い会社に入れて将来安泰」だなんて、所詮は都合の良い幻想に過ぎず、今の時代にはまるで当てはまっていないと思うのです。
 
そもそも「安泰」と「幸福」は違います。
 
たとえ“食うに困らない”職に就けたとしても、それが当人にとって何ら意味を見出せない“つまらない”仕事だったとしたら、結局長続きせず辞めてしまうかも知れませんし、無理をし続けて心を病んでしまうかも知れません。
 
その人が“最高のパフォーマンスを発揮できる”のは、その人にとっての“やりがいのある仕事”“夢中になれる仕事”なのではないでしょうか。
 
それがたとえ親や他の人から見て大した仕事に見えなかったとしても、本人にとって意味のある仕事なら、そこを目指す意義は充分にあると思うのです。
 
逆に親にとっての“良い仕事”が、子にとっても“良い仕事”であるかどうかは分かりません。
それが本人にとって“良い仕事”であるかどうかは、結局本人にしか分からないことだと思うのです。
 
もっとも、自分のやりたい仕事があったとして、その仕事に必ずしも就けるとは限りません。
 
良いと思っていたものの、実際就いてみたらイメージと違っていた、ということもありますし、そもそも自分が何になりたいのか見出せない人も多いでしょう。
 
でも、どんなに難しい進路選びだったとしても、自分自身で悩み抜き、自分の納得の行く道を選び取ることに意味があるのだと、自分は思います。
 
たとえ道を選ぶのに失敗しても、それが自分の選択の結果だと思えば素直に受け入れられます。
逆に、これが誰かの言いなりに選んで失敗した道だったとしたら…自分は果たしてそれを受け入れられただろうか、と思うのです。
 
家族は子のためを思って様々なことを言ってきます。
ですが、その家族は果たして、子が幸せになる道を提示できるほどの見識を持てているのでしょうか?
 
こんな「一寸先は闇」の、大企業の経営者たちでさえ先を読み誤って失敗していく時代の中で、親は本当に子の将来を見極める目を持てているのでしょうか?
 
子どもは確かに生きてきた年数も少なく経験も浅く、大人から見たら未熟で頼りない存在かも知れません。
でも、他の人間よりは確実に“自分自身のことを知っている”はずです。
 
幼い頃は単純に“将来の夢”が描けたのに、なぜ大人になると描けなくなってしまうのか……。
それは、幼い頃には見えなかった“その夢に至るまでの険しい道のり・数々のデメリット”が見えてしまうからだと思います。
 
でも、その“険しい道のり”や“デメリット”は、本当に思うほど厳しいものなのでしょうか?
実際にそれを乗り越えて夢の職業に就いている人間がいると言うのに……。
 
思うのですが、将来を思い描く時にすべきことは、険しい道のりやデメリットなどの“リスクを回避”することではなく、それを具体的に“乗り越える”ための術を学ぶこと、そして「ちょっとやそっとの困難くらいどうってことない」と思えるくらいにモチベーションを上げておくこと、心が折れないくらいにその夢を本気で大好きになること、だと思うのです。
 
本気の夢を夢中で追いかけているなら、そしてそのことを後悔しないなら、苦労が苦労でなくなります。
 
困難だなんて思わずに、アスレチックの難しい遊具を一つ一つクリアするような気持ちでいれば、それさえワクワクしてきます。
 
要は全て気持ちの持ちよう。そしてそんな気持ちを持てるだけの夢中になれる何かを見つけることだと思うのです。
 
まぁ、もちろん現実は言うほど簡単ではないでしょうが…。
 
どうしても能力が足りないことや、運に左右されることもあるでしょう。
他人からの理解を得られず苦しむこともあるかも知れません。
 
ただ、他の誰でもない自分だけの人生、たとえ夢を叶えることはできなかったとしても「それでも精一杯やったさ」と悔いを残さず、誇れるものにできればいいなぁ、と思うのです…。

自分は午後の紅〇(無糖)を愛飲し、ほぼ毎日のように会社で飲んでいるのですが、それが最近リニューアルしました。
 
人間はある商品がリニューアルしたり新発売したりすると、大概「今までより美味しくなったのかな」と思うものらしいのですが、今回のこの商品リニューアルは、正直、自分にとっては残念なリニューアルでした。
 
まず何が変わったのかと言うと…おそらくは、茶葉が「ダージリン」ではなくなったようです。
 
これまでのパッケージだと、商品名の下に「Darjeeling Tea」の表記があり、その他にも「手摘みダージリン茶葉使用」だとか「ダージリン」が「世界三大銘茶」で「紅茶のシャンパン」と称されている云々、何かと「ダージリン茶葉」をPRする文言が各所に使われていました。
 
それが、新パッケージでは一切なくなりました。
 
代わりに登場したのは「ツイン・ブリュー製法」という聞きなれない言葉。
 
どうやら何らかの事情でダージリン茶葉が使えなくなったのか、その代わりに新たな製法を導入したようです。
 
そしてよく見ると紅茶ポリフェノールの量も190mg(100mlあたり38mg)から155mg(100mlあたり31mg)に変わっています。
 
ただ、ダージリンは個人的にちょっとクセのある茶葉だと思っているので、人によってはリニューアル後の方が飲みやすいのかも知れません。
 
ポリフェノールも「摂り過ぎると頭痛が出る」と言っている人もいる(←同僚女性)ので、減ったからと言って一概に「悪くなった」とは言えません。
 
なのでこれは、ごくごく個人的な感傷に過ぎないのですが…
 
自分としてはリニューアル前のダージリン茶葉の「香り」が好きだったので、現在のものは少々物足りなく感じるのです。
 
(香りが「無い」わけではないのですが、以前のものに比べて「弱い」のか、「後を引かない」感じがして、余韻が感じられないのです…。)
 
それにしても、あれだけアピールし、商品のウリのようにしていた「ダージリン」を外すとは…
 
(まぁ、そこに注目して購買していた人はそんなに多くなかったのかも知れませんが…。)
 
何か、ダージリン茶葉ではダメな理由(ユーザーの声とか…?)があったのか、コストが上がるか入手困難になったかで使用継続が難しくなったのか、ちょっと気になります。
 
(ちなみに「ダージリン」という名は地名から来ていて、インド北東部。チベットの近くにあります。)
 
ちなみに自分が普段飲みにこの飲料を選んでいるのは「紅茶・ほうじ茶は身体を温める」と温活レシピの本に書いてあったからです。
 
(自分は小学生の頃から低体温に悩まされているので、少しでも体温と免疫力を上げたいのです。)
 
白い砂糖は体温を下げるらしいので無糖のものが良いのですが、無糖紅茶でペットボトル等で売っていて、なおかつ美味しいものって、なかなか無いので、これは結構自分にとっては貴重な商品なのです。
 
ちなみに緑茶は逆に体温を下げるらしいです。同じお茶の葉なのに製法によって変わるのが不思議ですよね。

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ファンタジー、冒険、恋愛、青春、推理、濃い人間ドラマの展開するモノ。
【備考】
漢検2級(準1以上は未受験)。国語の最高偏差値80(高2時点)。
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