日々ふと思うことを徒然なるままに書き綴る個人的エッセイあるいは回想録。
「沈黙は金」「口は災いのもと」――そんな「ことわざ」があります。
人間はどうしても完璧にはなれず、どこかで無知になり、どこかで思考を間違えます。
下手なことを言って恥をかいたり、間違いを指摘されて叩かれたりしないよう、「公に意見など言わない方が良い」…そんなことを思っている方も多いのではないでしょうか?
言葉は時に、他人を傷つける武器にもなります。
正論も時に人を傷つけ、ポジティブな投稿でさえ妬みや恨みを買うことがあります。
そんな時代に、誰が読むかも分からない場所に言葉を放つなんて、リスクが高過ぎる――自分も、そう思います。
ですが、今の時代には「それ以上のリスク」もまた、存在しているのです。
それは、この世界が「上手いことを言えたもの勝ち」な世界になってしまうことです。
上にも書いてきたように、危機管理のしっかりした、慎重な大人は、滅多な発言はしません。
そして、他者を傷つけることを恐れる、優しい気遣いのできる大人もまた、滅多な発言はしません。
逆に言えば「そうでない人間」の方が、無遠慮に無思慮にバンバン発言ができてしまうのです。
結果この世は、思慮が浅く思いやりに欠けた発言の方が数が多く、思慮深く優しい発言は「ほんのわずか」になってしまいます。
SNSなどを見ていて他者の発言を不快に感じた経験のある方、結構いらっしゃるかと思いますが…
それってつまりは「そういうこと」なのではないでしょうか?
数の多い「無思慮で優しくない発言」の方が目につきやすく、数の少ない「思慮深くて優しい発言」は滅多に目にできないのです。
…でも今の世の中、そういう思慮や思いやりに欠けた発言に限って、妙に数字を集めていたりもしますよね?
1つには、そういう「炎上案件」が否応にも「注目を集めやすい」せいかと思われますが…
もう1つには、SNSで「いいね」や「拡散」を積極的にするのもまた「慎重でない人々」だから…なのではないかと。
慎重な人間なら「いいね」や「拡散」をする前に、「その発言の真偽」や「その発言を推した場合の影響」を考えて、一旦立ち止まります。
しかし、慎重でない人は「上手いことを言っている人」「共感できる人」に感情的に反応し、深く考えずに「いいね」「拡散」してしまうのです。
(何の罪も無い「可愛いネコチャンの写真」とかだったら、深く考えずに推しても問題無いとは思いますが…。)
今の世の中は、感情的に動く「慎重でない人々」の言動に溢れています。
逆に「慎重な人々」の言動は、「沈黙」の中にあるせいで、表には出て来ません。
(いわゆる「サイレント・マジョリティー」VS「ラウド・マイノリティー(あるいはノイジー・マイノリティー)」の構図です。)
そして表に出ている「感情的で無思慮な意見」ばかりが「世間の意見の代表」のように見られてしまうのです。
慎重で思慮深い人々は「何で今の世の中は、こんな『おかしな方向』に動いてしまうんだ?」と思っていることでしょう。
ですが、原因は至極単純なことなのです。
数の少ない思慮深い意見が、数多くの感情的で無思慮な意見の中に埋もれてしまうからなのです。
また、感情的で無思慮な人間は「対立意見」をひたすら叩く習性があります。
「異論であっても、とりあえずは耳を傾けてみよう」という姿勢が無いのです。
結果、数の少ない思慮深い意見は、叩かれて貶されて、隅に追いやられてしまうのです。
(叩かれて心折れて、それ以上の発信ができなくなってしまう人も多いかと思われます。)
…ですが、感情的で無思慮で「自分のことしか考えていない」人々の意見が世に罷り通ってしまえば、この世は「誰にとっても」地獄な世界になってしまいます。
だって、一時の感情で物事を見る人間は「数ヶ月後の自分」のことさえ考慮に入れないのです。
『アリとキリギリス』のキリギリスのように、ひたすら「今の快楽」だけを求め、冬が訪れた後の自分のことさえ見えないのです。
それどころか「セコセコ働いて食糧貯め込むアリども、乙ww」みたいな感じで、自分たちとは違う層をひたすら馬鹿にして「サゲる」のではないでしょうか?
自分たちを馬鹿にする相手に、わざわざ「冬になったら食糧が得られなくなるから、今のうちに貯めとかないとマズいんだよ」と親切に教えてあげられるのは、よほど「出来た」人間ですよね?
しかも教えてあげたところで、その親切心すら馬鹿にされて叩かれてしまうかも知れないのです。
以前の世の中なら、放置されたキリギリスが増長してイキったところで「自業自得」な結末に終わったかも知れません。
しかしSNSのアルゴリズムが「数字の多く獲れた発言」を優先表示させる現代では、そんなイキったキリギリスの発言が「世論」だと勘違いされてしまいかねないのです。
…その先に待ち受けるのは「自業自得」どころではない「他業多得」の世界。
一部の人間の「我の強い意見」に多くの人々が巻き込まれて破滅する、地獄のような世界です。
この「遠慮無く発言しまくって、上手く共感を集められたもの勝ち」な世界で、沈黙を守り続けるのは、果たして「金」なのでしょうか?
…自分には、そうは思えません。
むしろ「沈黙は罪」なのではないかと、そう思えてならないのです。
人間はどうしても完璧にはなれず、どこかで無知になり、どこかで思考を間違えます。
下手なことを言って恥をかいたり、間違いを指摘されて叩かれたりしないよう、「公に意見など言わない方が良い」…そんなことを思っている方も多いのではないでしょうか?
言葉は時に、他人を傷つける武器にもなります。
正論も時に人を傷つけ、ポジティブな投稿でさえ妬みや恨みを買うことがあります。
そんな時代に、誰が読むかも分からない場所に言葉を放つなんて、リスクが高過ぎる――自分も、そう思います。
ですが、今の時代には「それ以上のリスク」もまた、存在しているのです。
それは、この世界が「上手いことを言えたもの勝ち」な世界になってしまうことです。
上にも書いてきたように、危機管理のしっかりした、慎重な大人は、滅多な発言はしません。
そして、他者を傷つけることを恐れる、優しい気遣いのできる大人もまた、滅多な発言はしません。
逆に言えば「そうでない人間」の方が、無遠慮に無思慮にバンバン発言ができてしまうのです。
結果この世は、思慮が浅く思いやりに欠けた発言の方が数が多く、思慮深く優しい発言は「ほんのわずか」になってしまいます。
SNSなどを見ていて他者の発言を不快に感じた経験のある方、結構いらっしゃるかと思いますが…
それってつまりは「そういうこと」なのではないでしょうか?
数の多い「無思慮で優しくない発言」の方が目につきやすく、数の少ない「思慮深くて優しい発言」は滅多に目にできないのです。
…でも今の世の中、そういう思慮や思いやりに欠けた発言に限って、妙に数字を集めていたりもしますよね?
1つには、そういう「炎上案件」が否応にも「注目を集めやすい」せいかと思われますが…
もう1つには、SNSで「いいね」や「拡散」を積極的にするのもまた「慎重でない人々」だから…なのではないかと。
慎重な人間なら「いいね」や「拡散」をする前に、「その発言の真偽」や「その発言を推した場合の影響」を考えて、一旦立ち止まります。
しかし、慎重でない人は「上手いことを言っている人」「共感できる人」に感情的に反応し、深く考えずに「いいね」「拡散」してしまうのです。
(何の罪も無い「可愛いネコチャンの写真」とかだったら、深く考えずに推しても問題無いとは思いますが…。)
今の世の中は、感情的に動く「慎重でない人々」の言動に溢れています。
逆に「慎重な人々」の言動は、「沈黙」の中にあるせいで、表には出て来ません。
(いわゆる「サイレント・マジョリティー」VS「ラウド・マイノリティー(あるいはノイジー・マイノリティー)」の構図です。)
そして表に出ている「感情的で無思慮な意見」ばかりが「世間の意見の代表」のように見られてしまうのです。
慎重で思慮深い人々は「何で今の世の中は、こんな『おかしな方向』に動いてしまうんだ?」と思っていることでしょう。
ですが、原因は至極単純なことなのです。
数の少ない思慮深い意見が、数多くの感情的で無思慮な意見の中に埋もれてしまうからなのです。
また、感情的で無思慮な人間は「対立意見」をひたすら叩く習性があります。
「異論であっても、とりあえずは耳を傾けてみよう」という姿勢が無いのです。
結果、数の少ない思慮深い意見は、叩かれて貶されて、隅に追いやられてしまうのです。
(叩かれて心折れて、それ以上の発信ができなくなってしまう人も多いかと思われます。)
…ですが、感情的で無思慮で「自分のことしか考えていない」人々の意見が世に罷り通ってしまえば、この世は「誰にとっても」地獄な世界になってしまいます。
だって、一時の感情で物事を見る人間は「数ヶ月後の自分」のことさえ考慮に入れないのです。
『アリとキリギリス』のキリギリスのように、ひたすら「今の快楽」だけを求め、冬が訪れた後の自分のことさえ見えないのです。
それどころか「セコセコ働いて食糧貯め込むアリども、乙ww」みたいな感じで、自分たちとは違う層をひたすら馬鹿にして「サゲる」のではないでしょうか?
自分たちを馬鹿にする相手に、わざわざ「冬になったら食糧が得られなくなるから、今のうちに貯めとかないとマズいんだよ」と親切に教えてあげられるのは、よほど「出来た」人間ですよね?
しかも教えてあげたところで、その親切心すら馬鹿にされて叩かれてしまうかも知れないのです。
以前の世の中なら、放置されたキリギリスが増長してイキったところで「自業自得」な結末に終わったかも知れません。
しかしSNSのアルゴリズムが「数字の多く獲れた発言」を優先表示させる現代では、そんなイキったキリギリスの発言が「世論」だと勘違いされてしまいかねないのです。
…その先に待ち受けるのは「自業自得」どころではない「他業多得」の世界。
一部の人間の「我の強い意見」に多くの人々が巻き込まれて破滅する、地獄のような世界です。
この「遠慮無く発言しまくって、上手く共感を集められたもの勝ち」な世界で、沈黙を守り続けるのは、果たして「金」なのでしょうか?
…自分には、そうは思えません。
むしろ「沈黙は罪」なのではないかと、そう思えてならないのです。
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- 津籠睦月(つごもりむつき)
- 【職業】
- 社会人(毎日PCを使う仕事。残業も休日出勤も普通にあります。)
- 【趣味】
- 小説・HP制作、読書、猫と遊ぶこと。
- 【好きな小説ジャンル】
- ファンタジー、冒険、恋愛、青春、推理、濃い人間ドラマの展開するモノ。
- 【備考】
- 漢検2級(準1以上は未受験)。国語の最高偏差値80(高2時点)。
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このブログは管理人に時間の余裕がある時にちょこっとずつ更新していく予定ですので、更新やチェックの頻度はおそらく数週間に1回~下手をすると1ヶ月以上の間が空いてしまう可能性も…。
もし更新が滞ったても「あぁ、仕事が忙し過ぎて時間が無いんだな」と気長にお待ちいただければ幸いです。
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