日々ふと思うことを徒然なるままに書き綴る個人的エッセイあるいは回想録。
この頃、AIが世の中に浸透するにつれ、言いようのない「危うさ」を感じて気持ちが悪かったのですが…
その原因が、何となく分かってきました。
それは自分が「AIの知は『百聞をまとめたもの』に過ぎない」と弁えているから…
ですが、世の多くの人々は、それを意識すらしていないように見えるから、だったのです。
(ネットの世界は無思慮で軽率な意見ほど多く出回るものですから(なぜなら思慮深く慎重な人は「滅多なことは言わない」ので、発言自体が少なくなります)実際がどうなのかは分かりませんが…。)
AIの知は、膨大な情報を集積して作られたものです。
その気になればいくらでも記憶容量を増やせ、睡眠や労働で学習を邪魔されることもないAIが、人間の知識量を超えられるのは当然のことです。
人間ならせいぜい「十聞」程度で終わってしまう知識を「百聞」あるいは「千聞」まで伸ばせるAIは、そこだけ見れば確かに「優れている」のでしょう。
しかしそれは「一見」を超えるものではないのです。
どれほど書評や概説を見て本を「読んだ気」になっても、実際に自分でそれを読むと全然別の感想を抱く…そんなことって、よくありませんか?
あるいは、どれだけ研修に学び、マニュアルを読み込んで備えても、いざ現場に出てみると全く通用しない…そんなことって、ありますよね?
「百聞は一見に如かず」――「百聞」だけで「知った気」になってはいけない、百の伝聞も「自分の目で見て感じること」には及ばない…
なので自分は、AIの回答も妄信するつもりはありません。
(そもそも現在のAIもまだまだ「トンデモ回答」が多いので(過去記事参照のこと)、100%信頼している方なんてそうそういらっしゃらないでしょうけど…。)
それに、AIの集める「百聞」が、凝縮する価値のある「百聞」だとも限りません。
皆さんもご存知かと思いますが、AIの知の中には「ネット上から集めただけ」のものも存在します。
「ネットの知識を鵜呑みにしてはいけない」「ネットの情報は玉石混交」と散々言われているのに、そのネットから集めた「百聞」を重宝がるのは、あまりに「辻褄が合わない」と思うのですが…皆さん、そこは疑問に思われないのでしょうか?
(そもそも情報源を明示してくれないAI回答を、自分は信用していないのですが…。情報源って、情報リテラシーで「ちゃんと確かめろ」と必ず言われることじゃないですか。)
さらに言えば自分はAIの「要約力」を過信してはいません。
「百聞」を凝縮して「一つの回答」に「要約」する際、ひょっとして「一番欲しかった一聞」を取りこぼしはしないか…そこを常に警戒しています。
だって、求めるものが十人十色なこの世の中、普通に考えて「万人ウケする答え」が「自分の欲しい答え」とは限らないじゃないですか。
AIが「要らない」と判断して要約に入れなかった情報の中に、もしかしたら「自分がピンポイントで知りたかった答え」があるかも知れないじゃないですか。
(ちなみに自分はビジネス書を「要約」や「ダイジェスト」で読むことはありません(そういう「要約サービス」があることは知っていますが)。一流のビジネスマンが「雑談」から「ビジネスのヒント」を見出すことがあるように、メインではない枝葉の部分にとんでもない「気づき」が潜んでいることを、実体験として知っているからです。)
「百聞は一見に如かず」には、実は「続き」があることを、皆さんご存知でしょうか?
百見は一考に如かず(100見るよりも1つ自分で考えること)
百考は一行に如かず(100考えるよりも1つ実行すること)
百行は一果(一効)に如かず(100実行するよりも1つ効果をあげること)
百果(百効)は一幸に如かず(100効果をあげるより1つ幸せを生み出すこと)
百幸は一皇に如かず(自分を100幸福にするより、1つ国を統べて皆を幸福にすること)
…と続きます。
今の世の中はそれにまるで逆行しているように見えるのですが…気のせいでしょうか?
AIがどんどん世に浸透する現代…
人々はどんどん「自分の目で見て確かめる」ことも「自分の頭で考える」ことも忘れていってはいないでしょうか?
AIの知は「百聞」を凝縮したもの。
自分の目でものを見ず、自分の頭で考えることもしない人々の「百聞」を、この先どれほど集めたところで、価値ある「答え」は得られるでしょうか?
…中には「ならばAIの百聞を集めれば良い」という人もいるのかも知れませんが…
「人間の感覚」の入っていない百聞をいくら集めたところで、そこに「人間の欲する」答えは無く、「人間にとって心地良い」社会は実現できない――そんな気がしてなりません。
(AI生成画像が時に「間違ってはいないけれど、絶妙に気持ち悪い」あるいは「生理的に不快」な画像を生成することがあるように、何かが絶妙に「ズレた」答えを出してくるのではないかと。)
「人間の感覚」の要らない、単純な数字のデータ等なら、「百聞を凝縮したもの」で充分に価値があるのでしょうけどね…。
(なんとなく皆さん、「木を見て森を見ず」な感じで、AIを見ても「AI技術」は見ていないような気がしてなりません…。どれほど優れたAIでも、学習する情報が酷いものだったり、情報自体がなくなってしまえば意味が無いはずなのですが…。)
その原因が、何となく分かってきました。
それは自分が「AIの知は『百聞をまとめたもの』に過ぎない」と弁えているから…
ですが、世の多くの人々は、それを意識すらしていないように見えるから、だったのです。
(ネットの世界は無思慮で軽率な意見ほど多く出回るものですから(なぜなら思慮深く慎重な人は「滅多なことは言わない」ので、発言自体が少なくなります)実際がどうなのかは分かりませんが…。)
AIの知は、膨大な情報を集積して作られたものです。
その気になればいくらでも記憶容量を増やせ、睡眠や労働で学習を邪魔されることもないAIが、人間の知識量を超えられるのは当然のことです。
人間ならせいぜい「十聞」程度で終わってしまう知識を「百聞」あるいは「千聞」まで伸ばせるAIは、そこだけ見れば確かに「優れている」のでしょう。
しかしそれは「一見」を超えるものではないのです。
どれほど書評や概説を見て本を「読んだ気」になっても、実際に自分でそれを読むと全然別の感想を抱く…そんなことって、よくありませんか?
あるいは、どれだけ研修に学び、マニュアルを読み込んで備えても、いざ現場に出てみると全く通用しない…そんなことって、ありますよね?
「百聞は一見に如かず」――「百聞」だけで「知った気」になってはいけない、百の伝聞も「自分の目で見て感じること」には及ばない…
なので自分は、AIの回答も妄信するつもりはありません。
(そもそも現在のAIもまだまだ「トンデモ回答」が多いので(過去記事参照のこと)、100%信頼している方なんてそうそういらっしゃらないでしょうけど…。)
それに、AIの集める「百聞」が、凝縮する価値のある「百聞」だとも限りません。
皆さんもご存知かと思いますが、AIの知の中には「ネット上から集めただけ」のものも存在します。
「ネットの知識を鵜呑みにしてはいけない」「ネットの情報は玉石混交」と散々言われているのに、そのネットから集めた「百聞」を重宝がるのは、あまりに「辻褄が合わない」と思うのですが…皆さん、そこは疑問に思われないのでしょうか?
(そもそも情報源を明示してくれないAI回答を、自分は信用していないのですが…。情報源って、情報リテラシーで「ちゃんと確かめろ」と必ず言われることじゃないですか。)
さらに言えば自分はAIの「要約力」を過信してはいません。
「百聞」を凝縮して「一つの回答」に「要約」する際、ひょっとして「一番欲しかった一聞」を取りこぼしはしないか…そこを常に警戒しています。
だって、求めるものが十人十色なこの世の中、普通に考えて「万人ウケする答え」が「自分の欲しい答え」とは限らないじゃないですか。
AIが「要らない」と判断して要約に入れなかった情報の中に、もしかしたら「自分がピンポイントで知りたかった答え」があるかも知れないじゃないですか。
(ちなみに自分はビジネス書を「要約」や「ダイジェスト」で読むことはありません(そういう「要約サービス」があることは知っていますが)。一流のビジネスマンが「雑談」から「ビジネスのヒント」を見出すことがあるように、メインではない枝葉の部分にとんでもない「気づき」が潜んでいることを、実体験として知っているからです。)
「百聞は一見に如かず」には、実は「続き」があることを、皆さんご存知でしょうか?
百見は一考に如かず(100見るよりも1つ自分で考えること)
百考は一行に如かず(100考えるよりも1つ実行すること)
百行は一果(一効)に如かず(100実行するよりも1つ効果をあげること)
百果(百効)は一幸に如かず(100効果をあげるより1つ幸せを生み出すこと)
百幸は一皇に如かず(自分を100幸福にするより、1つ国を統べて皆を幸福にすること)
…と続きます。
今の世の中はそれにまるで逆行しているように見えるのですが…気のせいでしょうか?
AIがどんどん世に浸透する現代…
人々はどんどん「自分の目で見て確かめる」ことも「自分の頭で考える」ことも忘れていってはいないでしょうか?
AIの知は「百聞」を凝縮したもの。
自分の目でものを見ず、自分の頭で考えることもしない人々の「百聞」を、この先どれほど集めたところで、価値ある「答え」は得られるでしょうか?
…中には「ならばAIの百聞を集めれば良い」という人もいるのかも知れませんが…
「人間の感覚」の入っていない百聞をいくら集めたところで、そこに「人間の欲する」答えは無く、「人間にとって心地良い」社会は実現できない――そんな気がしてなりません。
(AI生成画像が時に「間違ってはいないけれど、絶妙に気持ち悪い」あるいは「生理的に不快」な画像を生成することがあるように、何かが絶妙に「ズレた」答えを出してくるのではないかと。)
「人間の感覚」の要らない、単純な数字のデータ等なら、「百聞を凝縮したもの」で充分に価値があるのでしょうけどね…。
(なんとなく皆さん、「木を見て森を見ず」な感じで、AIを見ても「AI技術」は見ていないような気がしてなりません…。どれほど優れたAIでも、学習する情報が酷いものだったり、情報自体がなくなってしまえば意味が無いはずなのですが…。)
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- 【HN(ハンドル・ネーム)】
- 津籠睦月(つごもりむつき)
- 【職業】
- 社会人(毎日PCを使う仕事。残業も休日出勤も普通にあります。)
- 【趣味】
- 小説・HP制作、読書、猫と遊ぶこと。
- 【好きな小説ジャンル】
- ファンタジー、冒険、恋愛、青春、推理、濃い人間ドラマの展開するモノ。
- 【備考】
- 漢検2級(準1以上は未受験)。国語の最高偏差値80(高2時点)。
ブログ更新&チェックについて。
このブログは管理人に時間の余裕がある時にちょこっとずつ更新していく予定ですので、更新やチェックの頻度はおそらく数週間に1回~下手をすると1ヶ月以上の間が空いてしまう可能性も…。
もし更新が滞ったても「あぁ、仕事が忙し過ぎて時間が無いんだな」と気長にお待ちいただければ幸いです。
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