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日々ふと思うことを徒然なるままに書き綴る個人的エッセイあるいは回想録。
世の中、「自分を信じること」の大切さは盛んに言われているのに、なぜ「自分を疑うこと」の大切さは誰も教えないのだろう――そう疑問に思うことが、よくあります。
  
個人的には「自分を疑い、否定する」ことは、ダメなことではなく、むしろ「自分を信じる」のと同等か、それ以上に大切なことだと思っているのですが……。
 
「自分を信じる」ということは、一見とても美しく素敵なことのように思えますが、よくよく考えてみると、そこにはある種の“危険”が潜んでいるように思うのです。
 
妄信”という言葉があるように、信じることは時に、大事なものを見失わせます
 
自分を疑うことができなければ、いつの間にか酷い勘違いや過ちを犯していても気づけない危険があります。
 
けれど、自分を疑ったり否定したりすることは、決して“気持ちの良い”ものではありません。
 
むしろ嫌で、不快なことの方が多いでしょう。
 
おまけにそれをし過ぎれば、自信を失ってしまったり、自己嫌悪に陥ってしまったり、になってしまったりする可能性もあるかも知れません。
 
なので、ベストなのは「過剰に自分を否定し過ぎない程度に、ほど良く自分自身を疑うこと」だと思っているのですが…まぁ、そう簡単にできることではないでしょうね…。
 
ただ、この「健全に自分自身を疑い、否定する」ことには大きなメリットがあると思うのです。
 
「自分自身に疑いの目を向け、ダメなものを見つけ出す」スキルは、自分自身の弱点をあぶり出すのに有効です。
 
そして、その見つけた弱点を1つ1つ克服していくことができたなら、常に自分を新しく、より良いものに“バージョン・アップ”していけます。
 
「自分を疑ったり、否定したりすること」が、しばしばネガティブなイメージでとらえられがちなのは、多くの人が、そうやって疑い・否定したものを「そのまま放置」しているからなのではないかと思うのです。
 
疑いを抱いたのなら、何が真実で最善なのかを求めれば良いことですし、「今の自分」を否定したからと言って、その否定されるべき欠点を克服した「未来の自分」まで否定する必要は全くありません
 
そもそも、自分の中に否定されるべき欠点や弱点がいくつかあったとしても、それで自分の全てを否定する必要は無いと思うのです。
 
自分は元々「アレはアレ、コレはコレ」と分けて考える性質なので、そう思ってしまうのかも知れませんが…
 
たとえ否定されるような欠点や弱点があったとしても、人間という生き物は、そういった欠点や弱点だけで構成されているわけではないのですから、「ソレはソレ、コレはコレ」で、悪い所は直し、良い所は伸ばしていけば良いだけだと思うのですが…まぁ、そう簡単にはいかないのが人生というものなのかも知れませんね…。
 
それと、そうやって自分自身を健全に疑い・否定できるようになれば、ある程度、他人から否定されることが恐くなくなったり、「自分を否定されたくないばかりに、逆に相手を否定しようとする衝動」からも逃れられる気がするのですが…
 
(何せ、他人様から否定されるより先に、自分で自分を否定しているわけですから、後で何か言われたところで「今さら?」感がスゴイと思うのですよ…。)

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津籠睦月(つごもりむつき)
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【好きな小説ジャンル】
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