日々ふと思うことを徒然なるままに書き綴る個人的エッセイあるいは回想録。
最近、どんなサービスを始めるにしても「パスワード」や「暗証番号」が求められ、「面倒くさい」と思ったこと、ありませんか?
適当に決めてしまうとセキュリティが弱まるリスクがありますし、かと言って変なものを選ぶと、自分自身が覚えていられない、そして「パスワード暗証番号の使い回しは良くない」と言われている…そんなこんなで「パスワード・暗証番号の決め方」に悩んでいる方、いらっしゃるのではないでしょうか。
適当に決めてしまうとセキュリティが弱まるリスクがありますし、かと言って変なものを選ぶと、自分自身が覚えていられない、そして「パスワード暗証番号の使い回しは良くない」と言われている…そんなこんなで「パスワード・暗証番号の決め方」に悩んでいる方、いらっしゃるのではないでしょうか。
今回は、管理人自身のよくやっている「パスワードの決め方」を、参考までにまとめていきたいと思います。
パスワードを決めるにあたり、重要なポイントは2つ。
まず1つ目は「他人には分からない」ものであること。
2つ目は「自分が覚えていられる」ものであること。
以下、その2点について、それぞれまとめていきます。
ちなみに「暗証番号」については、主に2番目の「自分が覚えていられるもの」の方にまとめています。
(暗証番号は数字4桁などのケースが多く、選択肢が多くないので。)
- 他人に分からないもの
-
パスワード・暗証番号とは「他人」に不正利用されないために設定するものです。
なので当然、他人にそのパスワードを知られてしまったら意味がないわけです。
よって、他人に簡単に推測されてしまうようなものは避けなければいけません。
自分の誕生日、自分の名前をもじったもの(ニックネーム)――これらは、サービスによってはプロフィールに掲載されていますし、自ら掲載する方もいることでしょう。
それと、ペットの名前や「好きなもの」なども、場合によっては危険です。
ペットブログなどで自分のペットの名前をバンバン出している方もいらっしゃるでしょうし、「好きなもの」(趣味、好きな食べ物、好きなアイドルetc…)も、SNSなどを見れば分かってしまう可能性があります。
有名人でも何でもない「個人」であっても、悪意を持った知人などに不正アクセスされないとも限りませんので、用心しておくに越したことはないでしょう。
「この人ならコレをパスワードにしてそう」とすぐに分かってしまうようなものは避ける、あるいは、パスワードに設定しているものについて安易にSNSで言及しないことが重要かと思います。
(たとえば、誕生日をパスワードにしているならプロフィールに誕生日を載せない、誕生日に「今日は私の誕生日で~す」などとUPしない、ペットの名前をパスワードにしているなら、そのペットの名前をSNSに出さない等…)
または、たとえば「好きなもの」をパスワードにするにしても、アルファベットだけの単純なパスワードにせず、数字に置き換えられそうなものは置き換えたり
(例:inu→1nu、dokusyo→do9sy0 等…)、
複数の単語を組み合わせたりして「複雑化」することも大切です。
- 自分が覚えていられるもの
-
他人に分からない暗証番号orパスワードでも、自分が覚えていられなければ、ログインのたびにメモを見返さなければならず、面倒くさいことになります。
なので覚えやすい暗証番号orパスワードを設定した方が良いのですが…
自分は「1つ(あるいは2つ以上)古いナンバーを使う」ということをよくします。
たとえば、今使っている電話番号…ではなく、以前使っていた1つ古い電話番号の下4桁、今の車のナンバーではなく、1つ古い昔の車のナンバーetc…。
「今は存在しないけれど、記憶に残っているもの」は結構便利に使えます。
(ケタが足りない時は前や後ろに0を足し、逆に多い場合は下4桁などを使います。)
あるいは「生まれた時の体重」や「合格した学校の受験番号」など、自分の人生の思い出に関する(しかも1度きりしか出て来ないレアな)番号も有効かと…。
(覚えておけば自分自身の記念にもなって一石二鳥感がありますし。)
1番よく使うのは「ゴロ合わせ」です。
歴史の年号などを覚えるのに、よく語呂合わせを使いましたよね?
その要領で、たとえば好きな歴史の年号を暗証番号もしくはパスワードにして、そのサービスを使おうとするたびにその年号が表す歴史的事件を頭に浮かべるように習慣づけておく…ですとか、
「4649(よろしく)」「8739(花咲く)」「2989(肉焼く)」など、適当な語呂合わせを作り、そこから浮かぶイメージを各サービスとヒモ付けておくと、結構記憶しやすかったりします。
英字を入れられて文字数も多いパスワードなら、さらにバリエーションが増やせます。
「bo9no269(ぼくのぶろぐ)」みたいな感じで、文章を作って覚えれば忘れにくいかと思います。
(ちなみに上の例は今、即興で作りました。安直ですみません…。)
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世の中には「少し考えれば分かることなのに」ということを見落としている人々が沢山います。
それを自分は少し前まで「そもそも思考能力が無い(低い)」あるいは「見る目が無い(視点が欠けている)」のだと、単純に考えていました。
しかし、社会人生活も長くなり、最近では考え方が変わってきています。
「少し考えれば分かること」が分からない人々は、もしかしたら「考える能力」や「視点」は持っていても、それが充分に発揮できない状況にあるのではないかと…。
現代の日本人は、多忙です。
情報通信技術の発達により、数年前、数十年前は数日かかっていた仕事が1日…下手すると数時間でできてしまうため、よりスケジュールが過密になっています。
(技術の発達が逆に人間を苦しめるという皮肉なパターンですね…。)
納期も単位が「日」ではなく「時間」になっており、いつもギリギリの状況だったりします(会社にもよるのでしょうけど…)。
そして、実際に職場で、自他ともに経験していることなのですが、仕事が過密で多忙になればなるほど、普段なら起きないようなミス(ヒューマンエラー)が頻発したりします。
それは能力の高低や仕事の熟練度によらず、「こんなベテランが何故こんなミスを?」という事例も少なくありません。
理由として考えられるのは「人間は忙しくなると精神の余裕が失われ、能力やパフォーマンスが下がる」ということです。
自分自身を省みても、頭が疲労している時には、だいぶ判断力が鈍ったり、普段見落とさないものを見落としたりしているな、と感じます。
そもそも「忙しい」とは「心を亡くす」と書きます。
心を喪失してしまっているがゆえに、普段なら見えるはずのものが見えなくなる――忙しさとはそういうもので、現代人はその忙しさにより、常に心を喪失させられているのではないか…そんな風に思うのです。
仕事に限らず、現代ではプライベートでも、日々更新されるネットニュースやSNSや動画などの情報を処理しなくてはならず、何かと「脳」が多忙になりがちです。
世の中に溢れるその情報の量は膨大で、ひょっとしたら「人間」の能力を超えた、過剰な情報を処理させられている可能性もあります。
それゆえに、現代人は「心の余裕」を「亡くして」いるのかも知れません。
現代のこの社会は、もしかしたら、人間が「人間らしく」生きていくには適さない社会なのかも知れない…ふと、そんな風に考えさせられる、今日この頃です。
それを自分は少し前まで「そもそも思考能力が無い(低い)」あるいは「見る目が無い(視点が欠けている)」のだと、単純に考えていました。
しかし、社会人生活も長くなり、最近では考え方が変わってきています。
「少し考えれば分かること」が分からない人々は、もしかしたら「考える能力」や「視点」は持っていても、それが充分に発揮できない状況にあるのではないかと…。
現代の日本人は、多忙です。
情報通信技術の発達により、数年前、数十年前は数日かかっていた仕事が1日…下手すると数時間でできてしまうため、よりスケジュールが過密になっています。
(技術の発達が逆に人間を苦しめるという皮肉なパターンですね…。)
納期も単位が「日」ではなく「時間」になっており、いつもギリギリの状況だったりします(会社にもよるのでしょうけど…)。
そして、実際に職場で、自他ともに経験していることなのですが、仕事が過密で多忙になればなるほど、普段なら起きないようなミス(ヒューマンエラー)が頻発したりします。
それは能力の高低や仕事の熟練度によらず、「こんなベテランが何故こんなミスを?」という事例も少なくありません。
理由として考えられるのは「人間は忙しくなると精神の余裕が失われ、能力やパフォーマンスが下がる」ということです。
自分自身を省みても、頭が疲労している時には、だいぶ判断力が鈍ったり、普段見落とさないものを見落としたりしているな、と感じます。
そもそも「忙しい」とは「心を亡くす」と書きます。
心を喪失してしまっているがゆえに、普段なら見えるはずのものが見えなくなる――忙しさとはそういうもので、現代人はその忙しさにより、常に心を喪失させられているのではないか…そんな風に思うのです。
仕事に限らず、現代ではプライベートでも、日々更新されるネットニュースやSNSや動画などの情報を処理しなくてはならず、何かと「脳」が多忙になりがちです。
世の中に溢れるその情報の量は膨大で、ひょっとしたら「人間」の能力を超えた、過剰な情報を処理させられている可能性もあります。
それゆえに、現代人は「心の余裕」を「亡くして」いるのかも知れません。
現代のこの社会は、もしかしたら、人間が「人間らしく」生きていくには適さない社会なのかも知れない…ふと、そんな風に考えさせられる、今日この頃です。
昔からモヤモヤしていることの1つに「謙虚でいることと、自信を持つことのバランスが難しい」ということがあります。
自分は気づけば何となく「謙虚を美徳」として育っていました。
「自分はスゴいんだ」「自分はこんなに頭が良いんだ」と考えるのは「驕り」で「良くない」ことだと、常に自分を戒め、自分の能力を低く見るようにしてきました。
それは道徳や倫理的な理由からではなく、どちらかと言うと「自分の力に驕れば破滅が待っている」という歴史からの教訓を素直に受け止めていたがゆえのことでした。
しかし、このスタンスにはとても大きな「副作用」や「弊害」がありました。
それは「自分の能力を常に低めに見積もっているがゆえに、自信を持てない」ということ、そして「自分と他人の能力差を正確に把握することができない」ということです。
世の中には、実力を持っていなくても何故か自信満々な人間もいます。
逆に実力はあっても、「自分なんてそんなにスゴくない」「特別なんかじゃない」「驕ってはいけない」と常に自分に言い聞かせているような人間に「自信満々」な態度などとれるはずがありません。
しかし人間というものは、目に見えない「実力」より、態度として表れた「自信」でその人の評価を下してしまったりするもののようです。
特にそれが強く表れるのは就職活動などの自己PRの場なのではないかと思います。
自分は当初、「自己申告の“自己PR”なんて、皆“話半分”に判断するに違いない」と思っていました。
上記の通り、自信の有無と実力の有無は比例しませんし、主観的な自己分析と客観的な人的評価は異なります。
「アピール能力」は営業職なら有益でしょうが、職種によっては特に必要の無い能力ですし、そんなものよりもっと他に「見るべき能力」があるはずだ、と思っていたのです。
しかし、就活を続けるうちに「あれ?世の中って、自分が思っていたよりずっと“見た目”や“イメージ”に引きずられているんじゃ…?」と思い始めました。
自分はこういう性格なので「表に出ているものだけが全てではない」ということには早いうちから気づいていたのですが、たどってきた人生によっては、それに気づけないこともあるのかと…。
常に己を戒め、己に疑問を持って生きる自分には「自信満々に振る舞う」ことは不得意なのですが、謙虚に振る舞い、自信を表に出さないことによって能力を不当に低く評価されるのもだいぶ不本意です。
なので最近は少しずつ、その辺のスタンスを変えてみているのですが…
上手くいっているのかどうかは、実際よく分かりません…。
自分は気づけば何となく「謙虚を美徳」として育っていました。
「自分はスゴいんだ」「自分はこんなに頭が良いんだ」と考えるのは「驕り」で「良くない」ことだと、常に自分を戒め、自分の能力を低く見るようにしてきました。
それは道徳や倫理的な理由からではなく、どちらかと言うと「自分の力に驕れば破滅が待っている」という歴史からの教訓を素直に受け止めていたがゆえのことでした。
しかし、このスタンスにはとても大きな「副作用」や「弊害」がありました。
それは「自分の能力を常に低めに見積もっているがゆえに、自信を持てない」ということ、そして「自分と他人の能力差を正確に把握することができない」ということです。
世の中には、実力を持っていなくても何故か自信満々な人間もいます。
逆に実力はあっても、「自分なんてそんなにスゴくない」「特別なんかじゃない」「驕ってはいけない」と常に自分に言い聞かせているような人間に「自信満々」な態度などとれるはずがありません。
しかし人間というものは、目に見えない「実力」より、態度として表れた「自信」でその人の評価を下してしまったりするもののようです。
特にそれが強く表れるのは就職活動などの自己PRの場なのではないかと思います。
自分は当初、「自己申告の“自己PR”なんて、皆“話半分”に判断するに違いない」と思っていました。
上記の通り、自信の有無と実力の有無は比例しませんし、主観的な自己分析と客観的な人的評価は異なります。
「アピール能力」は営業職なら有益でしょうが、職種によっては特に必要の無い能力ですし、そんなものよりもっと他に「見るべき能力」があるはずだ、と思っていたのです。
しかし、就活を続けるうちに「あれ?世の中って、自分が思っていたよりずっと“見た目”や“イメージ”に引きずられているんじゃ…?」と思い始めました。
自分はこういう性格なので「表に出ているものだけが全てではない」ということには早いうちから気づいていたのですが、たどってきた人生によっては、それに気づけないこともあるのかと…。
常に己を戒め、己に疑問を持って生きる自分には「自信満々に振る舞う」ことは不得意なのですが、謙虚に振る舞い、自信を表に出さないことによって能力を不当に低く評価されるのもだいぶ不本意です。
なので最近は少しずつ、その辺のスタンスを変えてみているのですが…
上手くいっているのかどうかは、実際よく分かりません…。
勤務中、ふと気が向くとついついやってしまう「暇つぶし」の「脳トレ」があります。
それは「目についた数字で即興“語呂合わせ”を作ること」です。
日報や各種データなどで日常的に目にする数字……それを使って即座に語呂合わせが作れないか思考を巡らせてみる「遊び」です。
でもコレ、非常に実用的なのです。
即興で「語呂合わせ」を作る能力を身に着けておくと、メモも何もとれない状況でとっさに数字を覚えなければいけない時に役立ちますし、各種パスワードや暗証番号を作ったり記憶したりするのにも役立ちます。
おかげで現在自分は複数のWebサービスを利用し、サービスごとにパスワードを変えているのですが、ほぼ全てメモを見ないで記憶だけでログインできます。
(ただしさすがに長期間利用していないものは忘れてしまったりしますが…。)
そして最近こんなナゾ脳トレばかりしているせいか、夢の中にまで数字が出て来て、しかもそれを目覚めても覚えていたりします…。
ちなみに、これまで夢の中で記憶できた一番長い数字は架空の電話番号10ケタです。
(夢の中では会社の電話番号という設定でしたが、目覚めて照らし合わせてみたら下3ケタだけ間違っていました。)
自分が常日頃から心がけていることの一つに「信ぴょう性の高いものでも、何%かは疑う余地を残しておく」ことと、逆に「信じ難いものであっても、何%かは信じる余地を残しておく」ということがあります。
それは自分自身も含めて「人間の真実を見抜く目なんて全くアテにはならない」と思っているから、でもあるのですが…。
たとえば今では一笑に付される「天動説」や中世の迷信だって、当時は「当たり前の常識」「疑いようのない真実」くらいのレベルで多くの人間に信じられてきた事柄です。
それと同じように、今この時代で当たり前に信じられていること、常識だと思われていることが、いつかの未来にアッサリ覆されることは充分にあり得ることだと思うのです。
そもそも人類は、自分たちが生きるこの世界についてさえ100%全部を知っているわけではありません。
「天才的頭脳を持つ科学者・数学者だって、この世界の謎を全て解き明かせたわけではないというのに、自分のようなごく普通の一般人が、どれほどの真実を知ることができるのだろう」――自分は常日頃、そんな風に思っています。
なので、ある日突然「それまで信じてきた常識がコロッと変わってしまう」ことがあっても柔軟に対応できるように、その変化を受け入れる心の余裕を常に持っておきたいと思うのです。
あるいは「皆が安全だと信じ込んでしまっている、実は危険な何か」に、真っ先に「あやしい」と気づいて安全策がとれるように…。
権威のある人や多数派が「正しい」と言えばそれを信じて流されてしまうというのは、特に日本人には多い傾向なのかも知れませんが、「安全だ」と言い続けられてきたものが実は危険だったという実例が過去にいろいろある以上、鵜呑みにせずに何%かは疑う余地を残しておいた方が自分自身のためだと思うのです。
逆に、皆が「間違いだ」と思ってスルーしているものの中にも、人生の役に立つ「真実」があったりするかも知れません。
なので、全てを信じるのでなく全てを疑うのでもなく、常に「半信半疑」……あるいは「九信一疑」「一信九疑」等でも良いかも知れませんが……とにかく、白か黒かをスパッと決めてしまいたくはないのです。
人によっては「どっちつかず」だとか「日和見主義」と馬鹿にされてしまうスタンスかも知れませんが……結局はこのスタンスが一番、効率的で安全性の高い生き方だという気がするのです。
それは自分自身も含めて「人間の真実を見抜く目なんて全くアテにはならない」と思っているから、でもあるのですが…。
たとえば今では一笑に付される「天動説」や中世の迷信だって、当時は「当たり前の常識」「疑いようのない真実」くらいのレベルで多くの人間に信じられてきた事柄です。
それと同じように、今この時代で当たり前に信じられていること、常識だと思われていることが、いつかの未来にアッサリ覆されることは充分にあり得ることだと思うのです。
そもそも人類は、自分たちが生きるこの世界についてさえ100%全部を知っているわけではありません。
「天才的頭脳を持つ科学者・数学者だって、この世界の謎を全て解き明かせたわけではないというのに、自分のようなごく普通の一般人が、どれほどの真実を知ることができるのだろう」――自分は常日頃、そんな風に思っています。
なので、ある日突然「それまで信じてきた常識がコロッと変わってしまう」ことがあっても柔軟に対応できるように、その変化を受け入れる心の余裕を常に持っておきたいと思うのです。
あるいは「皆が安全だと信じ込んでしまっている、実は危険な何か」に、真っ先に「あやしい」と気づいて安全策がとれるように…。
権威のある人や多数派が「正しい」と言えばそれを信じて流されてしまうというのは、特に日本人には多い傾向なのかも知れませんが、「安全だ」と言い続けられてきたものが実は危険だったという実例が過去にいろいろある以上、鵜呑みにせずに何%かは疑う余地を残しておいた方が自分自身のためだと思うのです。
逆に、皆が「間違いだ」と思ってスルーしているものの中にも、人生の役に立つ「真実」があったりするかも知れません。
なので、全てを信じるのでなく全てを疑うのでもなく、常に「半信半疑」……あるいは「九信一疑」「一信九疑」等でも良いかも知れませんが……とにかく、白か黒かをスパッと決めてしまいたくはないのです。
人によっては「どっちつかず」だとか「日和見主義」と馬鹿にされてしまうスタンスかも知れませんが……結局はこのスタンスが一番、効率的で安全性の高い生き方だという気がするのです。
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- 社会人(毎日PCを使う仕事。残業も休日出勤も普通にあります。)
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- 【好きな小説ジャンル】
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- 【備考】
- 漢検2級(準1以上は未受験)。国語の最高偏差値80(高2時点)。
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このブログは管理人に時間の余裕がある時にちょこっとずつ更新していく予定ですので、更新やチェックの頻度はおそらく数週間に1回~下手をすると1ヶ月以上の間が空いてしまう可能性も…。
もし更新が滞ったても「あぁ、仕事が忙し過ぎて時間が無いんだな」と気長にお待ちいただければ幸いです。
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