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日々ふと思うことを徒然なるままに書き綴る個人的エッセイあるいは回想録。
社会人になってから気づいたことがあります。
 
それは、「分からない」には種類がある、ということです。
 
ひとつは「理解する能力が無い」から生じる「分からない」。
 
もうひとつは「理解する気が無い(理解する気が起きない)」から生じる「分からない」です。
 
どんな人でも分かるようにと、どんなに取扱説明書を分かりやすく工夫しようと、「分からない」人は「分からない」と言ってきます。
 
それなのに、こちらが取説をそのまま読み上げ、その通りに操作してもらうと、あっさり「出来て」しまったりするのです。
 
そんなことが何度かあり、思ったのが、「これは『理解できない』わけではなく、取説を取り出したり、その中から必要な操作を書いたページを探し出したり、そこに書いてある内容を理解するのが『面倒くさい』だけなのだろう」ということでした。
 
自分で説明書を読み込んで理解するより、他人に訊いてそのままやった方が「簡単」で「面倒くさくない」から、あえて「分からない」ままでいる…
 
世の中にはたぶん、そういう人々が存在するのです。
 
きっとこれは、機械の操作や業務の進め方に限らないことだと思われます。
 
世の中に溢れる様々な“問題”や“課題”――難しくて理解できない、という人のうち、「理解する能力が無い」から分からない人は、一体どれだけいるのでしょう。
 
きっと中には、理解する能力があっても、理解する気が無いから「分からない」、理解するのが面倒くさいから「分からない」という人間が相当数いるはずです。
 
人はそもそも、興味を持っていない分野のことは理解したがらないものです。
 
人生は有限で、処理しなければならない情報・問題は膨大にあります。
 
そんな中で、特に興味の無いことに頭を割いている余裕は無いのかも知れません。
 
しかし、そんな「本当は分かるはずなのに」あえて「分からない」ままにしていることが、時に誰かを苦しめたり、誰かに余計な負担を負わせたりしているのではないか…そんな風にも思うのです。
 
「愛の反対は、憎しみではなく無関心」という言葉があります。
 
本当は理解できるはずなのに、わざと理解しないでいる、そんな「分からない」も、「愛の反対」なのかも知れない――そんなことを、自戒も込めて考えてみる今日この頃です。

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皆さん、テストの点数を獲るのに必要なのは「学力」や「知識だけだと思っていませんか?
 
しかし、テストに臨む人の何割かには、学力や知識以前の問題で点数を何点かロスしている、非常に「もったいない」人が多々いるのです。
 
以下は、その「もったいない」失点と、その対策のまとめです。
 
テストの点数が低くて悩んでいる方は「今すぐにできる対策」として、既にそれなりの実力者の方は「ケアレスミス防止策」として、参考までにご覧になってみてください。
 
(基本中の基本と思われてしまうようなものばかりかも知れませんが、実際これができていない方は相当数いらっしゃいますし、人生には「その1点が人生を分ける」という場面もありますので、とても大事なことなのです。) 


漢字の間違いが無いかチェックしよう
頭の中で出した答えが合っていても、解答用紙に書いた答えの「漢字」が間違っていたら、とても「もったいない」ことになります。
 
「漢字のミスをどの程度見るか」は答案を採点する人によって違いますし、「ちょっと間違っている」くらいなら許されるミスも、「全く違う漢字を書いてしまっている」場合には×にされてしまうでしょう。
 
たとえば「菅原道真」と「管原道真」を間違える、「努力」と「怒力」を間違えるetc…
 
「そんなミスするわけない」と思う方もいるかも知れませんが、テストの時というものは、精神が何かとテンパりがちです。
 
いつもならしないような書き間違いも、うっかりしてしまうことがあります。
 
なので「解けた!」で安心してしまわずに、自分の書いた答えをチラッとだけでも見直すクセをつけておくと良いでしょう。
 
それと、こういった漢字間違いの中の何割かには「元々漢字を間違って覚えている」「うろ覚えなので、いざとなると正しいものが書けない」という方がいらっしゃいます。
 
テスト勉強の際には「ことば」を覚えるだけでなく、漢字もしっかり見て覚えておいた方が良いでしょう。
 
 
クセ字や読みづらい字がないか、普段から気にしよう
数字や英字には、ちょっとした違いで別の字に見えてしまうものが多く存在します。
 
1と7、0と6、3と8、DとO、DとP、HとM、等々…
 
1と7は、上のチョンと曲がっている部分の長さひとつで、どちらにでも見えたりしますし、6は上のくるんとした部分が短過ぎれば0に見えます。
 
3と8は、字が小さすぎたり、濃く太い線で書かれてつぶれて見えたりすると、どちらなのか分かりません。
 
漢字も、由と田、夫と天など、突き抜けているか突き抜けていないかで全く別の字になってしまうものが結構あります。
 
正しい答えを書いても、それを採点者に正しく読んでもらえなかったら意味がありません。
 
こういう字のクセは、テストの時だからと言って急に直るようなものではありませんので、普段から「自分の字は他の人に別の字と読み間違えられたりしないだろうか」と気にして、別の字に読まれそうだったら直すように意識した方が良いでしょう。
 
こういう「読み間違えられやすいクセ字」は、テストのみならず、社会に出てからも問題になってくる可能性があります。
 
(数字の読み間違いなどで発注数を間違えられでもしたら、シャレになりません。)
 
なるべく早いうちに気づいて矯正しておく方が、後々必ず自分のためになります。
 
 
解答の仕方を間違えていないか気をつけよう
テストの中には「設問Aと設問Bのうち、どちらか1つだけを選んで答えれば良い」という「選択問題」があったりします。
 
こういったテストの答え方を間違えて、やらなくても良いのに両方の問題を解いて、時間をロスしている「もったいない」方がたまにいます。
 
また、答えなくてはいけない問題を答えずに、その部分をまるまる失点してしまっている方もいます。
 
これは、落ち着いて問題文をよく読めば起こらないミスです。
 
なので、テストを解く際には焦らずに、問題文をちゃんと読むクセをつけた方が良いでしょう。
 
 
解答欄を間違えていないかチェックしよう
頭の中で考えた「答え」は合っているのに、解答欄が1つずつズレているため×にされる…
 
コメディではよくあるテンプレなミスですが、これ、実際やる人が必ず何人かいるのです。
 
上の方にも書きましたが、テストの最中は精神状態が普通でないことが多々あります。
 
普段なら絶対やらないようなミスもうっかりしてしまうのが、テストなのです。
 
そして、解答欄を全て埋められるような人ならともかく、間に空欄ができてしまうような方は、その辺りから解答がズレていってしまうことが、よくあります。
 
これも、一度自分の書いた答えをチェックするクセをつけておけば防げるミスですので、気をつけてみると良いでしょう。


学生時代、自分の成績には、かなりのムラがありました。
 
理数系はダメダメでしたが、得意な国語は学年1位の常連でした。
 
そしてその国語に関して言えば、塾などには一切通ったことがなく、特別な「勉強」をした記憶もありません。
 
それでも国語の成績が異常に良かったのは…自分にとって国語の知識を高めることが、「勉強」ではなく「日常の一部」だったせいかと思われます。
 
自分は物心ついた時から活字中毒で、小学生の頃から図書館の本を読み尽くす勢いで本を読み漁っていました。
 
さらには自分で物語を作るのも好きで、そんな物語の糧とすべく、せっせと語彙や知識を吸収しまくっていました。
 
高校の入学時に伯父にリクエストした入学祝いは「広辞苑」で、高校時代は暇があれば適当に開いたページを「読んで」遊んでいました。
 
国語の教科書は自分にとっては「教科書」ではなく、詩や短編など様々な文学を集めた「アンソロジー」でした。
 
授業が始まる前から教科書を読み込み、結局授業では習わずに終わった部分さえしっかり内容を把握していました。
 
(さらに言えば、自分の代の教科書だけでなく、兄弟の使っていた教科書にまで手を出していたので、他の世代の国語の教科書の内容も知っていたりします…。)
 
つまり…自分にとって国語を学ぶことは、苦痛な「勉強」ではなく、「楽しみ」や「趣味」だったのです。
 
好きこそものの上手なれ」ということわざがあるように、人間誰しも、好きなことに関してはビックリするようなパフォーマンスを発揮するものです。
 
逆に、苦手意識を持ち「嫌だなぁ」と思っているものに対しては、思うように能力を発揮できないのではないでしょうか。
 
学校には、各教科を「嫌」で「苦手」なものに変えてしまう「罠」がたくさん存在します。
 
知識を暗記するばかりで、おもしろみの全く無いテスト対策…
 
周りの友達の「勉強なんてつまらないよな」という同調圧力…
 
学年が上がるにつれ増す難易度、教科書から減っていくイラストや図解…
 
その罠にはまらず、勉強を勉強と思わずに楽しむことができるなら学力を上げることはそれほど難しくないと思います。
 
授業や受験対策、テスト勉強などはひとまず置いておいて、まずは各教科で自分が興味を持てそうな「要素」を見つけることです。
 
日本史の人物の中におかしな名前を見つけて喜ぶことから始めたって良いと思います。
 
和英辞典を使ってカッコイイ必殺技名を考え出すことから始めたって良いと思います。
 
大切なのは、まずは興味を持ち、知識を深める「きっかけ」を持つこと。
 
そして勉強を勉強と思わず、ちょっと変わった趣味のひとつにしてしまうことです。
 
…ただ、こういう“遊びから始める学力の深め方”は、それなりに長期戦となりますので、なるべく早い段階で始めておいた方が良いです。
 
あと、遊びから学んだ知識だと、受験と全く関係ない部分を異常に深く掘り下げてしまう場合もあります…。
 
(それはそれで、受験の役には立たなくても、後で人生の役に立つ場合があるので良いのですが…。)

最近、どんなサービスを始めるにしても「パスワード」や「暗証番号」が求められ、「面倒くさい」と思ったこと、ありませんか?
 
適当に決めてしまうとセキュリティが弱まるリスクがありますし、かと言って変なものを選ぶと、自分自身が覚えていられない、そして「パスワード暗証番号の使い回しは良くない」と言われている…そんなこんなで「パスワード・暗証番号の決め方」に悩んでいる方、いらっしゃるのではないでしょうか。
 
今回は、管理人自身のよくやっている「パスワードの決め方」を、参考までにまとめていきたいと思います。
 
パスワードを決めるにあたり、重要なポイントは2つ
 
まず1つ目は「他人には分からない」ものであること。
 
2つ目は「自分が覚えていられる」ものであること。
 
以下、その2点について、それぞれまとめていきます。
 
ちなみに「暗証番号」については、主に2番目の「自分が覚えていられるもの」の方にまとめています。
 
(暗証番号は数字4桁などのケースが多く、選択肢が多くないので。)
 
他人に分からないもの
 
パスワード・暗証番号とは「他人」に不正利用されないために設定するものです。
 
なので当然、他人にそのパスワードを知られてしまったら意味がないわけです。
 
よって、他人に簡単に推測されてしまうようなものは避けなければいけません。
 
自分の誕生日、自分の名前をもじったもの(ニックネーム)――これらは、サービスによってはプロフィールに掲載されていますし、自ら掲載する方もいることでしょう。
 
それと、ペットの名前や「好きなもの」なども、場合によっては危険です。
 
ペットブログなどで自分のペットの名前をバンバン出している方もいらっしゃるでしょうし、「好きなもの」(趣味、好きな食べ物、好きなアイドルetc…)も、SNSなどを見れば分かってしまう可能性があります。
 
有名人でも何でもない「個人」であっても、悪意を持った知人などに不正アクセスされないとも限りませんので、用心しておくに越したことはないでしょう。
 
「この人ならコレをパスワードにしてそう」とすぐに分かってしまうようなものは避ける、あるいは、パスワードに設定しているものについて安易にSNSで言及しないことが重要かと思います。
 
(たとえば、誕生日をパスワードにしているならプロフィールに誕生日を載せない、誕生日に「今日は私の誕生日で~す」などとUPしない、ペットの名前をパスワードにしているなら、そのペットの名前をSNSに出さない等…)
 
または、たとえば「好きなもの」をパスワードにするにしても、アルファベットだけの単純なパスワードにせず、数字に置き換えられそうなものは置き換えたり
(例:inu→1nu、dokusyo→do9sy0 等…)、
複数の単語を組み合わせたりして「複雑化」することも大切です。 
 
  
自分が覚えていられるもの
 
他人に分からない暗証番号orパスワードでも、自分が覚えていられなければ、ログインのたびにメモを見返さなければならず、面倒くさいことになります。
 
なので覚えやすい暗証番号orパスワードを設定した方が良いのですが…
 
自分は「1つ(あるいは2つ以上)古いナンバーを使う」ということをよくします。
 
たとえば、今使っている電話番号…ではなく、以前使っていた1つ古い電話番号の下4桁、今の車のナンバーではなく、1つ古い昔の車のナンバーetc…。
 
「今は存在しないけれど、記憶に残っているもの」は結構便利に使えます。 
(ケタが足りない時は前や後ろに0を足し、逆に多い場合は下4桁などを使います。)
 
あるいは「生まれた時の体重」や「合格した学校の受験番号」など、自分の人生の思い出に関する(しかも1度きりしか出て来ないレアな)番号も有効かと…。
 
(覚えておけば自分自身の記念にもなって一石二鳥感がありますし。)
 
1番よく使うのは「ゴロ合わせ」です。
 
歴史の年号などを覚えるのに、よく語呂合わせを使いましたよね?
 
その要領で、たとえば好きな歴史の年号を暗証番号もしくはパスワードにして、そのサービスを使おうとするたびにその年号が表す歴史的事件を頭に浮かべるように習慣づけておく…ですとか、
 
「4649(よろしく)」「8739(花咲く)」「2989(肉焼く)」など、適当な語呂合わせを作り、そこから浮かぶイメージを各サービスとヒモ付けておくと、結構記憶しやすかったりします。
 
英字を入れられて文字数も多いパスワードなら、さらにバリエーションが増やせます。
 
「bo9no269(ぼくのぶろぐ)」みたいな感じで、文章を作って覚えれば忘れにくいかと思います。
 
(ちなみに上の例は今、即興で作りました。安直ですみません…。)

世の中には「少し考えれば分かることなのに」ということを見落としている人々が沢山います。
 
それを自分は少し前まで「そもそも思考能力が無い(低い)」あるいは「見る目が無い(視点が欠けている)」のだと、単純に考えていました。
 
しかし、社会人生活も長くなり、最近では考え方が変わってきています。
 
「少し考えれば分かること」が分からない人々は、もしかしたら「考える能力」や「視点」は持っていても、それが充分に発揮できない状況にあるのではないかと…。
 
現代の日本人は、多忙です。
 
情報通信技術の発達により、数年前、数十年前は数日かかっていた仕事が1日…下手すると数時間でできてしまうため、よりスケジュールが過密になっています。
 
(技術の発達が逆に人間を苦しめるという皮肉なパターンですね…。)
 
納期も単位が「日」ではなく「時間」になっており、いつもギリギリの状況だったりします(会社にもよるのでしょうけど…)。
 
そして、実際に職場で、自他ともに経験していることなのですが、仕事が過密で多忙になればなるほど、普段なら起きないようなミスヒューマンエラー)が頻発したりします。
 
それは能力の高低や仕事の熟練度によらず、「こんなベテランが何故こんなミスを?」という事例も少なくありません。
 
理由として考えられるのは「人間は忙しくなると精神の余裕が失われ、能力やパフォーマンスが下がる」ということです。
 
自分自身を省みても、頭が疲労している時には、だいぶ判断力が鈍ったり、普段見落とさないものを見落としたりしているな、と感じます。
 
そもそも「忙しい」とは「心を亡くす」と書きます。
 
心を喪失してしまっているがゆえに、普段なら見えるはずのものが見えなくなる――忙しさとはそういうもので、現代人はその忙しさにより、常に心を喪失させられているのではないか…そんな風に思うのです。
 
仕事に限らず、現代ではプライベートでも、日々更新されるネットニュースやSNSや動画などの情報を処理しなくてはならず、何かと「脳」が多忙になりがちです。
 
世の中に溢れるその情報の量は膨大で、ひょっとしたら「人間」の能力を超えた、過剰な情報を処理させられている可能性もあります。
 
それゆえに、現代人は「心の余裕」を「亡くして」いるのかも知れません。
 
現代のこの社会は、もしかしたら、人間が「人間らしく」生きていくには適さない社会なのかも知れない…ふと、そんな風に考えさせられる、今日この頃です。

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津籠睦月(つごもりむつき)
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社会人(毎日PCを使う仕事。残業も休日出勤も普通にあります。)
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小説・HP制作、読書、猫と遊ぶこと。
【好きな小説ジャンル】
ファンタジー、冒険、恋愛、青春、推理、濃い人間ドラマの展開するモノ。
【備考】
漢検2級(準1以上は未受験)。国語の最高偏差値80(高2時点)。
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