日々ふと思うことを徒然なるままに書き綴る個人的エッセイあるいは回想録。
自分の通っていた高校は、小論文対策なのか、何かと言っては作文を書かせる学校でした。
その時、先生に言われた言葉で印象に残っているものがあります。
それは「文章には書いている人間の本質が無意識ににじみ出る」というものでした。
どんなに上辺だけ取り繕って綺麗な文章を書こうとしたところで、その人の本質が醜ければ、それは文章のどこかににじむものだと。
だから、形だけ綺麗にまとめようとするのではなく、心を磨かなければならないのだと――。
細部まで正確に覚えているわけではありませんが、そんなようなことを言われた気がします。
それ以来、何となく「言葉は心を映す鏡だ」という感覚があり、口に出す言葉にせよ、文章として書く言葉にせよ、自分の使う言葉には神経を使ってきたような気がします。
口に出す言葉を口から実際に出す前に頭の中で反芻してみたり、文章に書いた言葉を読み返して、それが誰かを傷つけるものになっていたり、ひとりよがりな論理を押しつけるものになってはいないだろうか、と想像してみたり…。
言葉が心を映す鏡ならば、その言葉を自分自身の眼や心で見つめることで、自分の心の変調に気づくこともできるはずです。
そうして自分の心を見つめ直していけば、知らず知らずのうちに“嫌な自分”になってしまうこともなく、より良い自分に変わっていけるのではないか――そんな風に思っていました。
ただ、最近気づいたことがあります。
どんなに創り手が神経を尖らせて、誤解の無いよう、誰かを傷つけないよう慎重に言葉を紡いだとしても、人によってはそこに勝手な想像を加えて、歪んだ解釈をしてしまうことがある、ということに。
ある人が見れば(読めば)特に何の問題も無いごく普通のニュースや記事なのに、別の人が見れば(読めば)悪意と偽りに満ちたものに見えてしまう……。
身近な例で言うと、うちの母親などがそうなのですが……芸能人の言動のアレやコレやが、何かと偽善や作為に満ちたものに見えるらしく、TVを見てはひとりでぶつぶつ文句を言っています
まぁ、他人を全く疑わずに生きていけるほど、この世が綺麗でないのは事実ですし、疑う心はむしろこの世界で生きていく上で必要不可欠なものだとも思っています。
ですが程度の問題として「そこまで悪意を疑う必要がある!?」と思ってしまうことも、たびたびあるのです。
まぁ、その人が何を見てどう思うかはその人の自由ですし、母などを見ていると「他人の悪意を疑うのが、むしろ楽しい」ようにも見えますので、他人に迷惑をかけず単なる独り言としてTVに文句を言ってストレス発散しているなら、それはそれでいいのかな…とも思います。
ただ何となくモヤモヤするものも覚えます。
そんな時ふと思ったのが「言葉というのはひょっとして、使う側だけでなく、受け取る側にとっても鏡なのかも知れない」ということでした。
日本語というものは複雑で、同じひとつの言葉でも複数の意味を持っていたり、読み手によって解釈を変えたりすることがよくあります。
特に主語や述語、間の説明などを省略されてしまうと、いくらでも自由な解釈が可能になってしまいます。
そんな言葉を、良い風に受け取るか、悪い風に受け取るかは、受け取り手次第なのです。
言葉の紡ぎ手が全く意図していなかった悪意を、読み手がそこに読み取ってしまったとしたら、その悪意は、実は読み手の心の中にこそあるのかも知れません。
だからもしも、世の中にあふれた文章や情報の、何もかもが悪意に染まって見えたとしたら、そこに本当に悪意があると信じる前に、「自分、ひょっとして心が疲れてるのかなー」と一旦、自分の心をクール・ダウンしてみれば、案外ラクになるのではないかと思うのです。
この世に悪意があるのは事実ですが、何もかもを悪意と疑う必要は無いですし、疑いだしたらキリがありません。
それに「全てが悪意と欺瞞で出来た世界」を生きるより「それなりの量の悪意と、特にそうでもないもので出来た世界」を生きていく方が、よほど精神的にラクだと思うのです。
全てを悪意だと疑って拒絶してしまっては、“拒絶していなければ得られていた出会いや幸せ”も逃がしてしまうかも知れませんし。
…まぁとは言え、本物の悪意とそうでないモノをきっちり見極めて必要な部分だけ疑っていくというのも、なかなかに難易度の高いスキルで、そうそうできるものではありませんので、「必要な分よりちょっと余計に悪意を疑ってしまう」のも無理もない話なのかなぁ…とは思うのですが。
その時、先生に言われた言葉で印象に残っているものがあります。
それは「文章には書いている人間の本質が無意識ににじみ出る」というものでした。
どんなに上辺だけ取り繕って綺麗な文章を書こうとしたところで、その人の本質が醜ければ、それは文章のどこかににじむものだと。
だから、形だけ綺麗にまとめようとするのではなく、心を磨かなければならないのだと――。
細部まで正確に覚えているわけではありませんが、そんなようなことを言われた気がします。
それ以来、何となく「言葉は心を映す鏡だ」という感覚があり、口に出す言葉にせよ、文章として書く言葉にせよ、自分の使う言葉には神経を使ってきたような気がします。
口に出す言葉を口から実際に出す前に頭の中で反芻してみたり、文章に書いた言葉を読み返して、それが誰かを傷つけるものになっていたり、ひとりよがりな論理を押しつけるものになってはいないだろうか、と想像してみたり…。
言葉が心を映す鏡ならば、その言葉を自分自身の眼や心で見つめることで、自分の心の変調に気づくこともできるはずです。
そうして自分の心を見つめ直していけば、知らず知らずのうちに“嫌な自分”になってしまうこともなく、より良い自分に変わっていけるのではないか――そんな風に思っていました。
ただ、最近気づいたことがあります。
どんなに創り手が神経を尖らせて、誤解の無いよう、誰かを傷つけないよう慎重に言葉を紡いだとしても、人によってはそこに勝手な想像を加えて、歪んだ解釈をしてしまうことがある、ということに。
ある人が見れば(読めば)特に何の問題も無いごく普通のニュースや記事なのに、別の人が見れば(読めば)悪意と偽りに満ちたものに見えてしまう……。
身近な例で言うと、うちの母親などがそうなのですが……芸能人の言動のアレやコレやが、何かと偽善や作為に満ちたものに見えるらしく、TVを見てはひとりでぶつぶつ文句を言っています
まぁ、他人を全く疑わずに生きていけるほど、この世が綺麗でないのは事実ですし、疑う心はむしろこの世界で生きていく上で必要不可欠なものだとも思っています。
ですが程度の問題として「そこまで悪意を疑う必要がある!?」と思ってしまうことも、たびたびあるのです。
まぁ、その人が何を見てどう思うかはその人の自由ですし、母などを見ていると「他人の悪意を疑うのが、むしろ楽しい」ようにも見えますので、他人に迷惑をかけず単なる独り言としてTVに文句を言ってストレス発散しているなら、それはそれでいいのかな…とも思います。
ただ何となくモヤモヤするものも覚えます。
そんな時ふと思ったのが「言葉というのはひょっとして、使う側だけでなく、受け取る側にとっても鏡なのかも知れない」ということでした。
日本語というものは複雑で、同じひとつの言葉でも複数の意味を持っていたり、読み手によって解釈を変えたりすることがよくあります。
特に主語や述語、間の説明などを省略されてしまうと、いくらでも自由な解釈が可能になってしまいます。
そんな言葉を、良い風に受け取るか、悪い風に受け取るかは、受け取り手次第なのです。
言葉の紡ぎ手が全く意図していなかった悪意を、読み手がそこに読み取ってしまったとしたら、その悪意は、実は読み手の心の中にこそあるのかも知れません。
だからもしも、世の中にあふれた文章や情報の、何もかもが悪意に染まって見えたとしたら、そこに本当に悪意があると信じる前に、「自分、ひょっとして心が疲れてるのかなー」と一旦、自分の心をクール・ダウンしてみれば、案外ラクになるのではないかと思うのです。
この世に悪意があるのは事実ですが、何もかもを悪意と疑う必要は無いですし、疑いだしたらキリがありません。
それに「全てが悪意と欺瞞で出来た世界」を生きるより「それなりの量の悪意と、特にそうでもないもので出来た世界」を生きていく方が、よほど精神的にラクだと思うのです。
全てを悪意だと疑って拒絶してしまっては、“拒絶していなければ得られていた出会いや幸せ”も逃がしてしまうかも知れませんし。
…まぁとは言え、本物の悪意とそうでないモノをきっちり見極めて必要な部分だけ疑っていくというのも、なかなかに難易度の高いスキルで、そうそうできるものではありませんので、「必要な分よりちょっと余計に悪意を疑ってしまう」のも無理もない話なのかなぁ…とは思うのですが。
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- 【HN(ハンドル・ネーム)】
- 津籠睦月(つごもりむつき)
- 【職業】
- 社会人(毎日PCを使う仕事。残業も休日出勤も普通にあります。)
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- 小説・HP制作、読書、猫と遊ぶこと。
- 【好きな小説ジャンル】
- ファンタジー、冒険、恋愛、青春、推理、濃い人間ドラマの展開するモノ。
- 【備考】
- 漢検2級(準1以上は未受験)。国語の最高偏差値80(高2時点)。
ブログ更新&チェックについて。
このブログは管理人に時間の余裕がある時にちょこっとずつ更新していく予定ですので、更新やチェックの頻度はおそらく数週間に1回~下手をすると1ヶ月以上の間が空いてしまう可能性も…。
もし更新が滞ったても「あぁ、仕事が忙し過ぎて時間が無いんだな」と気長にお待ちいただければ幸いです。
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