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日々ふと思うことを徒然なるままに書き綴る個人的エッセイあるいは回想録。
ここ最近で急激に発達した、AIによる画像生成…。
 
これにより「絵師さんたちの立場が脅かされるのでは?」とネット上がザワザワしているのを、この頃よく見かけます。
 
なので「それでも人間の絵師には価値がある」ということ、そして「具体的にどんな“価値”があるのか?」を、気まぐれに思考してみたいと思います。
 
お絵描きAIには過程のテクニックが無い
 
ネット上で「絵」を探す人間の中には、その人自身が「絵を描くこと」を趣味としていて、「自分が描く参考にしたい」と思って探している人もいるはずです。
 
しかし、お絵描きAIの描いた絵に、人間が参考にできるテクニックはありません。
 
(構図やデザイン面でなら、参考にできる所もあるでしょうが…。)
 
AIの作画は、人間のように、一筆一筆テクニックを使って描いていくものではないからです。
 
「一筆一筆描いていく過程」が無い以上、「ここをこういう風に描けば上手くいく」といった「手本」にすることも、当然のことながらできません。
 
逆に言えば、そこが「人間の絵師」の強みです。
 
「人間の絵師」には「画法」や「テクニック」があります。
 
そこを「AIには無い価値」として売りにしていけば、まだまだAIに勝っていけるのではないでしょうか?
 
たとえば、YouTubeのお絵描き講座や、ライブドローイングなど…。
 
一筆一筆の「技術」を示すことができれば、人間の手による絵の価値を、人間に再認識してもらうことができるのではないでしょうか?
 
(…それにしても、人間に人間の価値を再認識させなければいけない時代って、本当に皮肉ですよね…。)
 
お絵描きAIの絵にはバックグラウンドストーリーが無い
 
アートを求める人間の中には、アートそのものだけでなく「その背景にある物語」を求める人も数多くいます。
 
有名絵画を前に、知人に対して「この絵はこういう人物が、こういう状況の中で、こういう想いを籠めて描いた絵なんだ」…と語りたい人は、結構いるのではないでしょうか?
 
作者の情熱を知ることで、より好きになれる作品というのも、あるのではないでしょうか?
 
細かいことを言えば、お絵描きAIの絵にも、物語は無いわけではありません。
 
たとえば「世界初のお絵描きAIのよる作品」や、「世界で初めてAI画だけを使って描いた漫画」など、「技術の歴史を示す1ページ」としての「物語」は存在します。
 
また、AI生成のためにテキスト入力をした人間の頭の中には「物語」があるのかも知れません。
 
しかし、実際に絵を生成する「AI」の中に「物語」はありません。
 
「理論」はあるかも知れませんが、人間が求める「物語」は、そこには無いのです。
 
なので、そんな「背景にある物語」の価値を、もっと高めていけば(あるいは鑑賞者の側に「物語の価値」を再認識させていけば)、人間の絵師が「AIに立場を脅かされる」こともなくなるのではないでしょうか?
 

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【HN(ハンドル・ネーム)】
津籠睦月(つごもりむつき)
【職業】
社会人(毎日PCを使う仕事。残業も休日出勤も普通にあります。)
【趣味】
小説・HP制作、読書、猫と遊ぶこと。
【好きな小説ジャンル】
ファンタジー、冒険、恋愛、青春、推理、濃い人間ドラマの展開するモノ。
【備考】
漢検2級(準1以上は未受験)。国語の最高偏差値80(高2時点)。
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