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日々ふと思うことを徒然なるままに書き綴る個人的エッセイあるいは回想録。
皆さん、一見「頭が良さそう」な人のことを「何でこんなことも分からないんだろう」「何でこんなに愚かなことを言うんだろう」と思ってしまったことって、ありませんか?

世の中、未だに学歴や知識量でマウントを取ってくる人は多いですが…

学歴や知識があるにも関わらず「どうしてこんなに愚かなんだろう」という人って、いるんですよね。

でもソレ、実は何の不思議も無いことなのです。

そもそも賢さを「どの大学に行ったか」や「知識の量」で測ること自体が間違いなのですから。

「真に賢い人間」が学校や本で学ぶのは、「知識」ではありません

「それほど賢くもない人間」ほど、知識の量を誇って喜びますが…

知識がどれほどあったところで、それだけでは意味はありません。

必要なのは、その知識を上手く活用するためのスキルです。

すなわち、本当に賢い人間が学ぶのは、「視点」。

「ものの見方」や「考え方」を学ぶのです。

視点を学べば、周りと「同じもの」を見ても「見え方」が変わってきます。

例えば…「ルビンの壺」って、白い部分に注目するか、黒い部分に注目するかで「見え方」がまるで違ってきますよね?




白い部分に注目すれば「壺(杯)」に、黒い部分に注目すれば「向かい合う2人の人物」に見えます。

しかし、2つの見方があることに気づかず、あくまで白い部分にしか注目しない人がいたとしたら、どうでしょう?

他の人がどんなに「2人の人物」について話をしても「人?そんなのいないじゃん。何言ってんだ?」ということになるのではないでしょうか?

精神的な視野が狭い人というのは、そういうものです。

そこに「ある」ものが「まるで見えていない」のです。

「見えない」ものに、いくら知識を使おうとしても無駄なこと。

そもそも「見えない」ので、そこに「知識を使おう」という気すら起きないことでしょう。

「一見賢く見える」のに「なぜか話が通じない人」というのは、そういう人たちなのです。

知識自慢をする人々は、「知識の量」ばかりを気にして「精神的視野の狭さ(持っている視点の少なさ)」に気づきません。

たまに自分が持っていない視点の話をされても「それは間違っている」とさえ言ってきます。

「自分には知らないことはない」と過信する人々は、「自分が知っていることが全て」と思い込み、それ以外は「間違い」として切り捨ててしまうのです。

一方、真に賢い人々は、自分が「世の中の全てを知り尽くすことはできない」ことを知っています。

(それはAIでさえ不可能なことです。そもそもAIには「データ化されていない(データ化できない)情報は学べない」という致命的弱点がありますので。)

なので常に謙虚に、新しい知識、新しい視点を学ぼうとするのです。

実に古代ギリシア・ソクラテスの時代から言われてきたこの考え方――「無知の知」と言うのですが、皆さんコレ、ちゃんと出来ているでしょうか?

あんなに古い時代から言われてきたことが、未だに達成できていないとしたら…人類の進歩って、一体どれほどのものなんでしょうね…?
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生成AIをめぐる問題で最近気になっているのが「生成AIで二次創作画を作ることの何が悪いの?ファンアートと同じじゃないの?」という論調です。
 
最初にこの意見を見かけた時「この違いが分からない人がいるんだ!?」と逆に衝撃を受けたのですが…
 
この2つの何が違うのか…分かっている方には、あまりにも「当たり前のこと」でしょうから、今さら説明することも憚られるのですが…
 
それって、ズバリ「情状酌量の余地」ですよね?
 
そもそも勘違いされている方が多いようですが…
 
二次創作」というのは元々「著作権者の温情により見逃されているグレーゾーン」。
 
べつに「やってもOK!」と許されているホワイトゾーンでも何でもないのです。
 
古参の二次創作クリエイターさんたちはよく「二次創作者はなるべく日蔭者であれ」「権利者とは距離を取れ(間違っても凸するな)」などと言いますが…
 
それは「著作権者の堪忍袋の緒を切ってしまうと大変なことになる」と知っているからなのです。
 
…で、話を戻して生成AI画とファンアートの違いですが…
 
例えば皆さん「幼稚園児がクレヨンで一生懸命描いたプリキュアの絵」を「版権モノだからダメ!」なんて、冷たいことを言えますか?
 
…それ、普通にじゃないですか。
 
ファンアートが黙認されている理由のひとつは「ファンが愛情を持って一生懸命描いてくれたものだから」なのです。
 
幼稚園児でなく大人だったとしても…
 
手間と時間をかけて描き上げられたファンアートは、時に作者でさえ敬意を覚えてしまうものなのではないでしょうか?
 
一方で「こんな絵を描いて」という命令文ひとつで(まぁプロンプトは1文とは限りませんが)ちょろっと出来上がってしまう生成AI画…
 
著作権者の心証が同じだと思いますか?
 
現代の一部のネット民は、何かと「感情論を排除」して「合法か違法か」だけで物事を見ようとしますが…
 
著作権法は「親告罪」――すなわち、著作権者が相手を訴えるか否かが、そもそもの罪の分かれ目なのです。
 
二次創作やSNSでのちょっとした「お遊び」が許されている背景には「これくらいなら、まぁいいだろう」「話題になって盛り上がってくれる分には有難い」という、著作権者の暗黙の「お目こぼし」があります。
 
一方で、作品の権利を侵害しかねないものや、作品の品格を落としかねないものは、普通に訴えられるリスク「大」なのです。
 
生成AI画のマズい所は、版権モノのオリジナル画と「区別がつかないレベル」の画像を生成できてしまうことにあります。
 
オリジナルそっくりのタッチで「原作にはあり得ないシーン」を描き出すこともできますし…
 
何も知らない視聴者が見たら「これって公式の画像(動画)?」という誤解もされかねません。
 
動画サイトのコメント欄など見ていると、生成AI動画に気づいていない人って、結構いるんですよ…。

一瞬とは言え、動画生成AIのロゴが出ているにも関わらず(個人的には、見づらい・分かりづらいロゴの出し方をしているAI事業者もだいぶ「思慮が足りない」とは思っていますが…(出すようになっただけ、まだマシではありますが))…。

   
実際「権利者」は生成AIに対してかなりの危機感を抱いていますし、AI事業者を相手どった訴訟も国内外問わず頻発しています。
 

訴訟だけでなく、10月末には日本漫画家協会とアニメ・出版業界団体による「生成AI時代の創作と権利のあり方に関する共同声明」というものも出されています。)


個人の生成AI利用者で言うと、2025年1月の「エヴァンゲリヲン」の「アスカ」の(性的な)AI生成ポスター販売や、6月のゴジラ海賊版DVD販売(生成AIでモノクロ映画をカラー化したとみられる)など、国内での逮捕者も出始めています。
 
全ての生成AI利用者がそうだとは思いませんが…
 
生成AI利用者の中には、明らかに「やって良いことと悪いことの境界線」が見えていない人がいます。
 
…と言うより、悪いことと分かった上で「匿名だし、捕まったりしないだろう」と高をくくって「やらかしている」気もしますが(実際に逮捕者は出ているのに…ニュースとか見ないんでしょうか?)…。
 


自分もX(旧Twitter)上で見かけたことがありますが…
 
当時放映中のアニメ(お子様も観る全年齢対象)キャラクターの卑猥な生成AI画像を、作品名・キャラ名(さらには生成AI画であること)を堂々と表記してUPしているもの等…
 
何重もの意味でアウトです(そもそもSNSの誰でも見られる場所に卑猥な画像をUPしているだけで相当なアウト行為…)。
 
「ファンが作品愛ゆえに描いたもの」なら許してくれる著作権者でも、「ファンかどうかも分からない人間がインプレッション稼ぎのためにチョロッと生成したもの(しかも卑猥)」に怒りや苛立ちを覚えないわけないじゃないですか。
 
思うに「AI生成画とファンアートの違いが分からない」という意見の中には「生成AIを使って版権モノでボロ稼ぎしたい→そのためには生成AI画を規制したがる風潮が邪魔だ→人の手による二次創作が許されているなら生成AIも許可しろ」という「さもしい本音」があるのではないでしょうか?
 
…ですが実際には、そうした一部の生成AI利用者の「暴走」が、かえって生成AIの「規制」を招くことになるのではないでしょうか?
 
一部の利用者が生成AIで著作権を侵したり、モラルに反したAI生成を行うたびに、「そういうことをしていない利用者」まで含めた「生成AI全体のイメージ」が暴落します(現代人は「分けて考えることをせず、属性で物事を決めつけたがる」人が多いので)。

なので「真っ当にAI利用をしている人」も、この問題を「他人事扱い」すべきではないのです。
 


そもそも二次創作界隈って元々「稼ごう」「儲けよう」という世界ではないんですよね…。
 
儲けは「元が取れれば万々歳」くらいな感じで「とにかく、この作品への愛を表現したい」というのが活動の源のはずなのです。
 
「稼ごう」「儲けよう」が目的になってしまったら、それは「商売」になってしまい「版権モノで許可無くビジネスしている」ことになってしまうのです。
 
「稼ぐ」「儲ける」が「お金」でなく「インプレッション」や「表示回数」「再生回数」でも同じこと。
 
(プラットフォームによっては、それで収益が出るものもあるわけですから。)
 
生成AI画像(動画)に「この作品への愛を自分の手で表現したい」という、一番肝心な「動機」はあるのでしょうか?
 
作品への愛が分かれば、たとえ絵が拙くとも、褒めてくれる同志はいますし、ファンになってくれる人もいます。
 
(実際自分も、一次・二次創作物問わず重視するのは、画力よりもネタの面白さです。)
 
むしろ「拙くても、一生懸命に愛を表現している」ところにアツさを感じて感動するのですが…
 
「生成AI画とファンアートの違いが分からない」という人は、そういう「人が情熱を傾けることの価値」が分からないのでしょうか?
 
どうにも昨今、「合理性」「コスパ」ばかりが重視されて「人の心」を見失ってしまっている人が増えていないでしょうか?
 
…と言うより、どうにも最近「手抜き」や「怠惰」や「雑な仕事」を「合理的」「コスパ」と言い訳している人が多くないですか?
 
どんなに「現代的な言い訳」で繕おうと、その裏にある「手抜き感」に、人は本能で気づくものなのではないでしょうか?
 
根性論や精神論を推すわけではありませんが…
 
「労を惜しんで結果や名声だけ得ようという人」を「全力で自作品への愛を表現してくれるファン」と同等に扱う気になれる人って、いるのでしょうか?
 
…これが分からない人は、人間として大切な何かを、既に見失ってしまっているのかも知れませんね。
 
人間が「人の心」を忘れて「人の労に価値を置かない」「人を大切にしない」社会…
 
それって、人間が幸せになれる社会なのでしょうか?

最近、世の中がやけにギスギスしてきたと思いませんか?
 
他者の言動に過敏に反応する人、やたらと攻撃的な言動をする人が増えたと思いませんか?
 
自分はその原因が、SNSでの「他層ディス」にあるような気がしてなりません。
 
「自分と異なる性別、自分と異なる年代、自分と異なる生き方をする層」を、ディスって、嫌って、攻撃する言動が、昨今増えていませんか?
 
ネットの海を彷徨っていれば、一度や二度どころでなく目にしたはずです。
 
特定の性別、特定の年代、特定の生き方を、醜悪な言葉で否定する投稿を…。
 
時にそれらの“口撃”は「自分の属する層」を直撃することもあります。
 
そんな時、見知らぬ誰かに「自分」を否定されたようで、傷ついたり、反発したり、不快感を覚えたりしませんでしたか?
 
この世界には「自分たち」を攻撃する「敵」がいる…そんな風に心が波立ったりしませんでしたか?
 
この世界のどこかに、自分を敵視する何者かがいる――それを知ってしまったら、自然と皆「警戒」するのではないでしょうか?
 
北風と太陽」の寓話のように、厳しい北風が吹き荒れる場所では、皆ガチガチに外套を押さえて、自分をガードするものです。
 
しかも問題は、自分たちを攻撃するその相手が「何者なのか見えない」ことです。
 
敵の正体が見えないなら、どこにいても、誰に対しても警戒を解くことができません。
 
いつ、どこから飛んでくるか分からない攻撃に備え、四六時中ピリピリ警戒してしまう…
 
誰かのちょっとした言葉を「攻撃」と勘違いし、過剰に反発してしまう…
 
「自分と同じ層」とは安心してつき合えるが、「自分と異なる層」は「敵なのでは?」と疑ってしまう…
 
その状態が、現代の「心の分断」や「寛容でない世界」を生んでしまっているのではないでしょうか?
 
…おそらく、SNS上の「他層へのディスり」も、全てが全て「攻撃」というわけではないと思われます。
 
「他者への配慮」や「無為に傷つけないための婉曲な言葉遣い」を知らない人が、何も考えずに発言してしまった結果が「ディスり」と受け取られてしまう例もあるのではないかと…。
 
思慮深く慎重な人間は、発信の前に言葉を吟味します。
 
それゆえに1回の発信にも時間がかかり、発言数も比較的少なくなります。
 
思慮深くなく、慎重でもない人間は、その真逆。
 
「他者を傷つける心配」など考えもせず、ポンポン言いたいことを発信してしまうなら、発言数が多くなるのも当然です。
 
つまりSNSなどの発言の場は、自然と「そういう意見」の方が数多く出てしまうものなのです。
 
浅慮で無神経な発言ばかりが多く出回るSNSで、心傷つけられるような酷い意見が多く目につくのは、ある意味「必然」。
 
我々はその「ひどい発言」が「人間の全てではない」ことを、ちゃんと心得ておかないといけないのです。
 
(…でないと、普通に心が死にますから。)

AIに対するスタンスが、自分と世間とでは違うのかも知れない…
 
最近たびたび感じることなのですが…
 
特に違和感を感じるのが「世間の人々はAIを闇雲に信じ過ぎなのでは?」ということです。
 
(ネタで「信じたフリ」をしている人も多いでしょうが、中には本気で「AIの回答は絶対」と信じている人もいそうなので…。)
 
情報リテラシーの高い方なら既にご存知のことでしょうが…
 
AIには「ハルシネーション」という現象が存在し、時に「デタラメ」な回答を出して来ます。
 
それは「AI技術とはどういうものなのか?」を理解しているなら「それは当然起きるよね」と納得できるものなのですが…
 
一部の研究によると最大27%という、結構な確率で起こり得るこの現象(←情報ソースはWikipedia(情報ソースが脚注に書かれているもの))
 
しかしながら、世の中にはこの現象の存在を「認知」すらしていない人も多いのではないでしょうか?
 
AIの知能は、無数の情報を「学習」して作られます。
 
なので、情報が「無い」もの、情報量が「少ない」もの、「誤った」情報からは「正解」を導き出せないのです。
 
(実際、自分が見つけた「ハルシネーション」もネット上での言及が少ない事柄でした。)
 
…でも、AIを利用する側は、情報源の有無や量、元情報の「信頼性」など見えませんよね?
 
(AIの種類(ネットの情報を学習するタイプのAIなど)によっては、情報源となるサイトを載せてくれているものもありますが。)
 
つまり、その回答が真っ当な答えなのか、それとも「ハルシネーション」で生み出された誤情報なのか、利用者はすぐには判断できないということです。
 
AIがハルシネーションを起こす理由のひとつには、人間がやりがちな「早とちり」をAIも起こしてしまうから…ということがあるのではないかと、個人的には思っています。
 
(必要な情報が「足りていない」ことにも気づかず、現在有る情報だけから正解を導き出そうとするため、回答が「狂う」のではないかと。いわゆる「無知の知」が出来ていない…ということなのでしょうね…。)
 
学習する情報が増えていけば、いずれは解決する問題ですし、実際「AIはどんどん進化しているのだから大丈夫」という人もいるかと思います。
 
…ですが、AIの学習進捗状況や進化の程度も、利用者には見えませんよね?
 
明日「正答」が得られるAIだったとしても、今日AIを利用する人には「誤答」しか与えられません。
 
そしてAIは、マスコミの謝罪訂正のように「誤答」を謝罪し「正答」を教えてくれることは無いのです。
 
以上のことから、自分はAIの回答は「何割かの確率で誤答が交ざり込むロシアンルーレット」だと認識しています。
 
普通に検索するよりも、むしろファクトチェックなどの後確認が大変なので、できることなら使いたくないのです。
 
世間の人々は「無料で使えるAIがこんなにあって便利」という風潮のようですが…
 
自分の認識はむしろ逆で「本来ならお金を使ってモニタリングすべきAIを、タダ働きでモニターさせられているだけ」だと思っています。
 
…だって、ゲームにしろアプリにしろ、普通はデバッカーやモニターが有償(あるいはちょっとした謝礼)でチェックを行い、それでOKが出て初めて世に出るものじゃないですか?
 
それをこんな、普通に誤答を出す「未熟」な状態で世に出し、ここまで多くの人に利用させている…
 
それって、企業倫理的に「褒められたことではない」と思うのですが(まぁ、今の時代は「利益優先」で「社会のことなんか知ったこっちゃない」という企業も多いのかも知れませんが)…。
 
しかもこれ「タダ働き」どころか、下手すると「命がけ」だったりもするんですよね…。
 
…だってもう実際に外国では、AI利用者の自死が出てしまっているのですから…。
 
ひょっとしたらAI回答って、場合によっては「正誤の」ロシアンルーレットどころか、本当の意味でのロシアンルーレットなのかも知れません…。 

この頃、AIが世の中に浸透するにつれ、言いようのない「危うさ」を感じて気持ちが悪かったのですが…
 
その原因が、何となく分かってきました。
 
それは自分が「AIの知は『百聞をまとめたもの』に過ぎない」と弁えているから…
 
ですが、世の多くの人々は、それを意識すらしていないように見えるから、だったのです。
 
(ネットの世界は無思慮で軽率な意見ほど多く出回るものですから(なぜなら思慮深く慎重な人は「滅多なことは言わない」ので、発言自体が少なくなります)実際がどうなのかは分かりませんが…。)
 
AIの知は、膨大な情報を集積して作られたものです。
 
その気になればいくらでも記憶容量を増やせ、睡眠や労働で学習を邪魔されることもないAIが、人間の知識量を超えられるのは当然のことです。
 
人間ならせいぜい「十聞」程度で終わってしまう知識を「百聞」あるいは「千聞」まで伸ばせるAIは、そこだけ見れば確かに「優れている」のでしょう。
 
しかしそれは「一見」を超えるものではないのです。
 
どれほど書評や概説を見て本を「読んだ気」になっても、実際に自分でそれを読むと全然別の感想を抱く…そんなことって、よくありませんか?
 
あるいは、どれだけ研修に学び、マニュアルを読み込んで備えても、いざ現場に出てみると全く通用しない…そんなことって、ありますよね?
 
百聞は一見に如かず」――「百聞」だけで「知った気」になってはいけない、百の伝聞も「自分の目で見て感じること」には及ばない…
 
なので自分は、AIの回答も妄信するつもりはありません。
 
(そもそも現在のAIもまだまだ「トンデモ回答」が多いので(過去記事参照のこと)、100%信頼している方なんてそうそういらっしゃらないでしょうけど…。)
 
それに、AIの集める「百聞」が、凝縮する価値のある「百聞」だとも限りません。
 
皆さんもご存知かと思いますが、AIの知の中には「ネット上から集めただけ」のものも存在します。
 
「ネットの知識を鵜呑みにしてはいけない」「ネットの情報は玉石混交」と散々言われているのに、そのネットから集めた「百聞」を重宝がるのは、あまりに「辻褄が合わない」と思うのですが…皆さん、そこは疑問に思われないのでしょうか?
 
(そもそも情報源を明示してくれないAI回答を、自分は信用していないのですが…。情報源って、情報リテラシーで「ちゃんと確かめろ」と必ず言われることじゃないですか。)
 
さらに言えば自分はAIの「要約力」を過信してはいません。
 
「百聞」を凝縮して「一つの回答」に「要約」する際、ひょっとして「一番欲しかった一聞」を取りこぼしはしないか…そこを常に警戒しています。
 
だって、求めるものが十人十色なこの世の中、普通に考えて「万人ウケする答え」が「自分の欲しい答え」とは限らないじゃないですか。
 
AIが「要らない」と判断して要約に入れなかった情報の中に、もしかしたら「自分がピンポイントで知りたかった答え」があるかも知れないじゃないですか。
 
(ちなみに自分はビジネス書を「要約」や「ダイジェスト」で読むことはありません(そういう「要約サービス」があることは知っていますが)。一流のビジネスマンが「雑談」から「ビジネスのヒント」を見出すことがあるように、メインではない枝葉の部分にとんでもない「気づき」が潜んでいることを、実体験として知っているからです。)
 
「百聞は一見に如かず」には、実は「続き」があることを、皆さんご存知でしょうか?
 
百見は一考に如かず(100見るよりも1つ自分で考えること)
百考は一行に如かず(100考えるよりも1つ実行すること)
百行は一果(一効)に如かず(100実行するよりも1つ効果をあげること)
百果(百効)は一幸に如かず(100効果をあげるより1つ幸せを生み出すこと)
百幸は一皇に如かず(自分を100幸福にするより、1つ国を統べて皆を幸福にすること)
 
…と続きます。
 
今の世の中はそれにまるで逆行しているように見えるのですが…気のせいでしょうか?
 
AIがどんどん世に浸透する現代…
 
人々はどんどん「自分の目で見て確かめる」ことも「自分の頭で考える」ことも忘れていってはいないでしょうか?
 
AIの知は「百聞」を凝縮したもの。
 
自分の目でものを見ず、自分の頭で考えることもしない人々の「百聞」を、この先どれほど集めたところで、価値ある「答え」は得られるでしょうか?
 
…中には「ならばAIの百聞を集めれば良い」という人もいるのかも知れませんが…
 
「人間の感覚」の入っていない百聞をいくら集めたところで、そこに「人間の欲する」答えは無く、「人間にとって心地良い」社会は実現できない――そんな気がしてなりません。
 
(AI生成画像が時に「間違ってはいないけれど、絶妙に気持ち悪い」あるいは「生理的に不快」な画像を生成することがあるように、何かが絶妙に「ズレた」答えを出してくるのではないかと。)
 
「人間の感覚」の要らない、単純な数字のデータ等なら、「百聞を凝縮したもの」で充分に価値があるのでしょうけどね…。
 
(なんとなく皆さん、「木を見て森を見ず」な感じで、AIを見ても「AI技術」は見ていないような気がしてなりません…。どれほど優れたAIでも、学習する情報が酷いものだったり、情報自体がなくなってしまえば意味が無いはずなのですが…。)
 

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ファンタジー、冒険、恋愛、青春、推理、濃い人間ドラマの展開するモノ。
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