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日々ふと思うことを徒然なるままに書き綴る個人的エッセイあるいは回想録。
小学生の頃、選挙カーを見つけると何人かで一緒に追いかけていって手を振るのがプチブームだったことがあります。
 
候補者は大概、子どもでもちゃんと手を振り返してくれるので、それが楽しかったのだと思います。
 
手を振り返してもらえると、それだけでその人に何となく好意を抱いたりして…我ながら「子どもって単純だなぁ」と思います。
 
子どもの頃は、わりとそんな単純な「好き嫌い」で選挙を見ていたのですが…
 
さすがに大人となった今は、好き嫌いの感情だけで投票先を選ぶつもりはありません。
 
だって、自分が好意を持った候補者が良い政治を行ってくれるとは限りませんし、その逆もまた然りだからです。
 
そもそも、どの党もどの候補も、選挙期間中は「自分を良く見せよう」と必死で、その「作られたイメージ」を見破れる自信もありません。
 
なので自分は「感情」や「好き嫌い」ではなく「理性」で判断することにしています。
 
その「理性」は、各党・各候補のマニフェストが「自分の得になることかどうか」という単純なことではありません
 
それを「実現」する能力がありそうかどうか…
 
そもそも実現する「意思」はちゃんとあるのか(口で言うだけならいくらでも言えるため)…
 
一時的な「点数稼ぎ」で「今だけ良ければ後はどうなっても良い」という考え無しな政策を立ててはいないか(後の国民に借金や遺恨を作りはしないか)…
 
そこまで考えて選ぼうとはしている…のですが…
 
実際問題、まだ実績の無い新人さんだと判断のしようも無いですし、実力やマニフェストの真偽を見抜く“目”も自信は無いんですよね…。
 
ただひとつ心がけているのは「選んで、結果が出て、そこで“おわり”にはしない」ということです。
 
たとえば自分の投票した候補が当選したなら、その当選後の“その先の結果”までちゃんと見届ける、ということです。
 
自分の選んだ党や候補が政治をグダグダにしてしまったとしたら、それは自分の“見る目の無さ”にも原因の一端がある、ということです。
 
選挙も政治も“人を見る目”も、一朝一夕で身につくような簡単なものではありません。
 
自分の“見る目”が果たして合っていたのかどうか…
 
それは“結果”を見届けて判断し、間違っていたのなら磨き直していくしかないのです。

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幼少期、祖父母と一緒に過ごす時間が多かった影響か、自分の中には知らず知らずのうちに身についていた「世渡りの知恵」のようなものがあります。
 
その1つが「物事の良い面しか言って来ない人を信用してはならない」だったのですが…
 
…これ、今の世の中を見渡すと、ビックリするくらい「身についていない人」が多くないですか??
 
むしろ、投資詐欺だの、ラクに稼げるバイトだの、「おいしい話」にホイホイ乗って破滅したなんて話がゴロゴロ転がっているのが恐ろしいところです…。
 
自分は「うまい話には裏がある」と用心し、行動・選択の前には必ずワンテンポ置いて「よく考える」タイプなのですが…
 
世の中そんなに「ポジティブな情報」ばかりに釣られて安易に物事を決めてしまう人が多いのでしょうか?
 
自分はむしろ「プラスの情報しか出ていない」ものは余計に用心します。
 
なぜなら、物事には必ずメリット・デメリットの両面があるものだからです。
 
それなのに利点の方しか書いていない話して来ないということは、相手に「欠点を隠さず公表するだけの誠実性が無い」ということです。
 
あるいは、必ず存在するはずのウィークポイントをまだ見出せていない――つまり「弱点を把握するだけの能力が無い」ということになります。
 
いずれにせよ、その相手が「信頼性に欠ける」ということになるのです。
 
日本には商人の間で古くから伝わる「三方よし」の精神があります。
 
すなわち「売り手」「買い手」「世間」の三方全てに良い効果をもたらす商売の仕方です。
 
今でも「ちゃんとした企業」は自社の利益だけでなく、消費者の信頼や社会貢献を考えた企業運営をしています。
 
しかしながら昨今は「ズルをしてでもユーザーを釣ろう」「数値を誤魔化してでも利益を上げよう」「消費者を騙してでも儲けよう」という真逆な精神性もはびこっているように感じられます。
  
もはや見知らぬ相手をホイホイ信用してはいけない時代――用心して自衛しなければ簡単に騙され、破滅させられてしまう時代なのです。
 
今の時代でも、真っ当な企業は一応「商品表示法(不当景品類及び不当表示防止法)」等の法律で縛られています。
 
ざっくり説明すると「誇大広告や誤解を招く表現で消費者を騙してはいけない」ということです。
 
たとえば洗剤のCMひとつとっても「99.9%除菌」とは謳っても「100%」と宣伝している所はありませんよね?
 
あるいは消費者金融のCMの端っこ、あるいは最後の方に細かい字でビッシリ「注意書き」が書かれているのを見たことはありませんか?
 
(それでもコンプラ スレスレのグレーゾーンを攻める企業はあるのでしょうけど…。)
 
「まとも」な企業はその種の「法律」がある程度、消費者の「防御壁」になってくれています。
 
ですが問題は「まとも」でない人々、ハナからコンプライアンスを守る気のない企業や個人です。
 
そういう人々は誇大広告だろうが虚偽記載だろうが肖像権侵害だろうが何でもやります。
 
堂々と数字を偽り、堂々とウソを載せ、堂々と有名人の名を騙ります。
 
そうやって「つくられた」おいしい情報に、うっかり釣られてしまう人がいるのが今の時代なのです…。
 
「数字は嘘をつかない」で、「人間の言うこと」は疑っても「数字」にはホイホイ釣られてしまうという人も多いのでしょうが…
 
その「数字は嘘をつかない」には、実は「続き」があることをご存知でしょうか?
 
「数字は嘘をつかないが、人は数字で嘘をつく」です。
 
今の時代、魅力的なキャッチコピーだろうが、数字だろうがグラフだろうが、有名人のオススメだろうが、一旦は疑わなければいけない時代です。
 
ましてAIの進化によるデメリット(と言うより「規制」が無いことのデメリット?)で、その辺の個人でもいくらでも精巧なフェイクが作れてしまうような時代です。
 
(以前は「日本語があやしいサイトには注意」という「見分け方」もありましたが、それも通用しなくなりつつあります。)
 
こんな時代で真偽を見抜くひとつのポイントが「メリットだけを謳っていないか?」「デメリットにもちゃんと言及しているか?」なのではないでしょうか?
 
(騙す気満々の人は、わざわざ欠点なんて語りませんから…。)

勝ち馬に乗る」という言葉があります。
 
いかにも「勝てそう」な、「勢いのあるもの」「優勢なもの」に乗っかって、自分も勝利を得ようとするムーブのことです。
 
実際、ネットの世界では「今まさに人気のもの」「話題のもの」について言及すれば、それだけで数字が伸びたりしますよね?
 
なにかと「数値至上主義」な現代、そうやって労せず成果(数値)を得ようとする人が多いのも「時代」なのかも知れません。
 
でも皆さん、乗ってしまったその「馬」の「本性」を、ちゃんと見極められていますか?
 
その馬の「行き先」も確かめず、安易に乗っかってしまってはいませんか?
 
たとえ「ヤバい馬」でも「危なくなったら降りればいい」なんて、簡単に考えてはいませんか?
 
ですが「デジタルタトゥー」という言葉がある通り、ネットで発信した情報は、投稿者本人がいくら削除したところで、どこかしらにコピーやスクショされて残ってしまっているものです。
 
そしてそれは、後々思わぬタイミングで掘り返され、思わぬダメージを生みます。
 
(問題を起こした有名人がよく過去を掘り返されて「伏線回収」だの何だのと言われていますよね…。)
 
皆さん、その辺りのことを深く考えずに、ただ「勢いのあるもの」に喰いついてはいませんか?
 
でも「勢いのあるもの=正しい」というわけではないのが、この世の中です。
 
自分の知っている一番ヤバいケース(確か初めて知ったのは「映像の世紀」だった気がしますが、番組名をメモしておかなかったため確信はありません)を挙げると…
 
かつて「ウラン」が発見された際、人々はこの新しく珍しいモノをもてはやし、こぞって「商品」に取り入れていました。
 
知っての通り、ウランは人体に有害な放射性物質です。
 
ですが当時はその危険性が人々に知られてはおらず、むしろ「エネルギーを秘めた未知の物質」として魅力的にさえ捉えられていたのです。
 
ウランを「奇跡のクリーム」として化粧品に取り入れたり、石鹸や軟膏に取り入れたり…
 
紫外線で照らすと光ることに注目され、ウランを着色料に取り入れた「ウランガラス」が食器に使われたり…
 
現代人からすればゾッとする、恐ろしい「流行」ですよね。
 
「流行」や「人気」というものは往々にして、そのものの「本質」や「本性」を知らないまま広まるものなのです。
 
人間にとって害のあるモノを「人気だから」「今、勢いがあるから」というそれだけで世に広めて、後にその「本質」が発覚したら…
 
考えるだけでも恐ろしいと思いませんか?
 
広めた当人は「手のひら返しをしておけば大丈夫」と思っているかも知れませんが…
 
ネットでの発言は、覚えている人は覚えているものですし、コピーやスクショを取っているものです(そしてふとしたタイミングで「あいつ前に○○って言ってたじゃん」と言ってくるものです)
 
(ちなみに自分も、気に入った発言や気になった発言はスクショして保存しておくタイプです。)
 
何より「勝ち負け」以前の問題で…
 
乗ったその「勝ち馬」が、まんま「地獄への片道切符」である可能性すらあるのです。
 
たとえば「フランス革命」も「ナチスによる支配」も、当時の人々の「熱狂」が生んだものです。
 
ですが、勢いのままに勝ち進んで得られたものは、ギロチンによる恐怖政治と世界大戦でしたよね?
 
今の時代は「アテンション・エコノミー(目立ったもの勝ちな経済)」と呼ばれています。
 
誰も彼もが数字を求めて「勢い」に乗りたがる時代です。
 
だからこそ、そんな「時代」に不安を覚えるのです。
 
…皆さん、自分の乗ったその馬が、地獄へ通じていないか、ちゃんと考えて乗っていますか?

顧客イメージを大切にする「企業」や「フリーランス」なら、特に知っておかないとマズい話なのですが…
 
いわゆる「反AI」と呼ばれる人々のことを、単純に「AI技術に反対する人々」と勘違いしている人って、多いですよね?
 
(そもそも「反AI」という呼び方自体が、そういう誤解に基づいていると思われるのですが…。)
 
そこを勘違いしていると「こんなに便利な技術なのに反対するなんてどうかしている」という論調になってしまうのでしょうが…
 
実は「反AI」と呼ばれている人々は「AI」に反対しているわけではないのです。
 
(ここがややこしくなるので「反AI」という呼び名はやめて欲しいのですが…。)
 
反対しているのは「AIによって人間が蔑ろにされること」「AIによって人間の尊厳が否定されること」なのです。
 
つまり、実は反発されているのは「AI」ではなく「人間」。
 
AIを開発する側の企業理念や姿勢、AIを使う側の倫理観や人間性を問われているのです。
 
…それはそうですよね。
 
だってAIはただ「人間」に指示されたことを行っているだけ。
 
AI自身の意思で詐欺を行ったり、著作権侵害を行ったり、誰かの尊厳を否定したりしているわけではないのですから。
 
いわゆる「反AI」と呼ばれる人々を「AIに反対するなんてどうかしている」という論調で嘲笑する人々は、本当は自分たちこそが反発され否定されているという事実に、気づいていないのです。
 
「イメージ第一」な企業やフリーランスは、ここを誤解していると、とんでもないことになります。
 
「反AI」と呼ばれる人々を「AIへの反対」だと思い込んでいる人々は「AIに反対するなんてとんでもない!AIはこんなに便利なんですよ!使わないなんてもったいない!」という論調で世間を説得しようとするかも知れません。
 
…ですが「AIによる人間性の否定」に反発する人々にとって、それは逆効果――むしろ「煽り」にもなりかねないんですよね…。
 
「AIによる人間性の否定」に反発する人々にとって「AIを過度に推し進める組織・個人」は「人間を否定してAIに全てを委ねようとしている」ように見えます。
 
…それって、イメージ戦略的にかなりマズいことだと思いませんか?
 
ビジネスというものは結局、全て「人間」が相手のものです。
 
その「人間」に対して「お前ら人間なんて価値が無いんだよ。AIで否定してやるぜ」と言っているように見られてしまう――かなり最悪の部類に入る「マイナスイメージ」ですよね?
 
今までAIを使った広告・企画が数々「炎上」してきていますが…それはつまり「そういうこと」なのです。
 
そこの本質に気づかずにAI推進派だ反AIだと争っていても、まるで意味が無いのです。
 
AIが本当の意味で世の中に受け入れられるために必要なのは「人間の尊厳がちゃんと守られること」です。
 
AIを推進したい人々は「AIが世の中に浸透していけば、自然と『反AI』派もいなくなるだろう」と楽観視しているかも知れませんが…
 
今後、AIにより人間の仕事が奪われ、失業者が大量に発生するようなことにでもなれば、むしろ反発は増え、激化するものと思われます。
 
(過激な国だと、暴動が起きてデータセンターが破壊されたりしてもおかしくないのでは…?)
 
…そもそも何より反発されているのは「AIにより人間性が否定されることを恐れ、悲しむ人々」の心情に気づけない・理解できない、その「鈍感さ」に、なのかも知れません。
 
(補足:「AIに反発する理由」は1つだけではないと思われます。他には「AIの弱点や欠点を議論しないまま導入することへの危機感」なども挙げられるかと。←既に起きている事例を挙げるなら「AIに障害が起きると、それに関わる全てのサービスや業務も軒並み停止する」ことなど…。)

自分の家は割合的にレアなケースなのでしょうが…
 
自分は生まれた時から、母方の姓を名乗ってきました。
 
なぜなら、父が「婿入り」して妻側の姓に改姓したからです。
 
例の国民的アニメに例えるなら「磯野姓を名乗ることを選択したマスオさん」といったところでしょうか。
 
父が結婚前は別の姓を名乗っていたと知ったのは確か小学生の時で、何だか不思議な感慨を抱いたことを覚えています。
 
我が家がこんなケースだったため、選択的夫婦別姓の話を聞いた時、自分は普通に「婿入りした男性が結婚前の姓を名乗り続けられるメリット」に気がついたのですが…
 
これ、不思議なほど論じられていませんよね??
 
どうも皆さん「改姓するのは女性の側」という前提で物を考えていらっしゃって、その「逆」のケースをまるで想定していないように感じられるのですが…気のせいですか?
 
確かに比率的には決して多くないのでしょうし、身近でそういうケースを見聞きしたことがないという方も多いのでしょう。
 
ですが…可能性がゼロでない以上、どの独身男性にも降りかかり得る「究極の選択」なのですが。
 
特に「特定の条件下」では発生確率が跳ね上がるのではないかと…。
 
たとえば、相手の家に「娘」しかおらず、娘が改姓すれば家名が途絶えてしまうパターン…
 
分かりやすい例を挙げるなら、大きな家の「一人娘」といわゆる「逆玉」で結婚するケースでは「改姓しての婿入り」でないと結婚を許されないパターンも多いのではないかと…。
 
その選択を迫られた時、現在の法律ですと「姓を変える」か「結婚を諦める」の二択しか無いわけですが…
 
選択的夫婦別姓で、さらに子どもの姓を任意に決められるなら「子には妻側の姓を継がせて、自分は今まで通りの姓を名乗り続ける」ことが可能なわけです。
 
うちの父は「サラリーマン」ではなかったので、会社勤めの中での改姓の苦労は味わっていませんが…
 
それでも、取引先や知人友人との関係、さらには各種手続き関係で、何かと苦労を味わったものと想像しています。
 
(うちの父は大兄弟の末っ子で、兄姉が大好きな人ですが、その大好きな兄たちとも姓が変わってしまったわけですし…。)
 
…まぁ、婿入りと言ってもケースは様々で、たとえば政治家の一人娘と結婚して義父の地盤を継ぐパターンですとか、同族経営の創業家一族に婿入りするパターンですと、かえって改姓した方が都合が良いのかも知れませんが(「選択的」夫婦別姓なら、改姓するもしないも「どちらも選べる」んですよね)…。
 
何にせよ「男性側の改姓」パターンがあまり論じられないのって、議論する側の「想像力」の問題なんでしょうね…。
 
ハナから改姓は「女性側のもの」「女性の問題」という考えで、男性側のメリットに目が向かないのでしょう。
 
物事は「自分事」として考えるか「他人事」として考えるかで差が生まれます。
 
悲しいことに、人間は大概の場合、「他人事」だと「自分事」ほど真剣に物を考えられないのです。
 
「他人事」とは「他人」だけの問題ではなく、いつか自分の身にも起き得る「自分事」でもあるのですが…
  
そんな「いつか起こるかも知れない可能性」には目を向けられず、それが
「起きてしまってから」あわてるのが人間なのです…。
 
(その時になってからあわてたところで、大概の場合「間に合わない」のですが…。)
 
実際に自分の身にそれが起こるか、身近で見聞きでもしない限り、そんな可能性を想定することもできないんですよね…。
 
「他人事」を「他人」の事としか思えず冷たく扱う人間は、結局は「自分」の可能性さえも狭めてしまうのではないでしょうか?
 
世の中そんな感じで何事も「他人事」扱いして切り捨てているから、誰も彼もが「未来の自分の首」を自分で絞めて「誰にとっても生きづらい」世の中を創ってしまっているのではないでしょうか?
 
今さらここで言わなくても、古の人が既に気づいて「ことわざ」にまでしていますが…「情けは人のためならず」って、「他人への温情はめぐりめぐって、いつか自分へと返ってくる」という意味なんですよね…。
 
(ちなみに誤解無きよう言っておきますが…我が家は、祖父母の代までは時代の恩恵もあってそこそこ裕福だったようですが、バブル崩壊後は没落の一途を辿って今は見る影もありません…。→自分たち兄弟は、好きなオモチャやゲームも満足に買ってもらえませんでしたし…。)

ちなみに絶対あり得ないだろうとは思いつつ言うと、子どもの姓は成人前は「磯野・フグ田・タラオ」みたいな感じで両方持たせておいて、成人の時に子ども自ら「どっちか選べる」と良いのにな…なんて妄想をしてみたり(大概の大人は子どもの意思なんて「尊重」どころか「想定」もしていないので、まぁムリでしょうけど…)。

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津籠睦月(つごもりむつき)
【職業】
社会人(毎日PCを使う仕事。残業も休日出勤も普通にあります。)
【趣味】
小説・HP制作、読書、猫と遊ぶこと。
【好きな小説ジャンル】
ファンタジー、冒険、恋愛、青春、推理、濃い人間ドラマの展開するモノ。
【備考】
漢検2級(準1以上は未受験)。国語の最高偏差値80(高2時点)。
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