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日々ふと思うことを徒然なるままに書き綴る個人的エッセイあるいは回想録。
最近、何かと「○○をブッ壊せ」と言う過激な人たちが増えている気がします。
 
「古くて時代に合わないもの」 「長い時間の間に腐敗してしまったもの」が「邪魔」で「不要」だという理屈は分かるのですが…
 
ひとつ疑問に思うのが「それを壊した“後”のことをちゃんと考えている人が、どれくらいいるのだろう?」ということです。
 
「古く強大な何か」に立ち向かい、それを打ち壊すことには「カタルシス」があります。
 
そもそも人は「激情に任せて」行動したり、「多くの人々と一体になって何かを動かす」ことに「気持ち良さ」を覚える生き物なのです。
 
しかしその「気持ち良さ」に酔って、後先を何も考えずに暴走する人がどれほど多いことか…。
 
そもそも「古くて強大な何か」を壊したからと言って、世界が今までより「良くなる」とは限りません
 
それは、歴史を見ればよく分かります。
 
フランス革命しかり、アラブの春しかり…「強大な何か」を壊せても、その後が上手くいかなかった例って、山ほどあるんですよね…。
 
むしろ、壊す前より酷い「地獄」を招いてしまった例さえあります。
 
それは何故なのか……答えは簡単。
 
壊した後に、その“代わり”を上手く創り出すことができなかったから」です。
 
自分のあまり好きでない「ことわざ」に「悪法は無法に勝る」というものがあるのですが…
 
この世で一番「最悪」なのは「仕組みや秩序が何も無いこと」。
 
それに比べれば、欠陥のある仕組みや秩序でも「無いよりはマシ」ということです。
 
(最初にこの「ことわざ」を知った時には「何で?」と思いましたが……今のモラル崩壊した時代を見ていれば分かります。「法の抜け穴」「モラルには反するが違法ではないグレーゾーン」があると、他人の迷惑も顧みずにやりたい放題する人が多いってことなんですよね…。たとえ「悪法」であっても「法」が有れば悪い人々に対して「抑え」が効く、あるいはたとえ「悪法」であっても「ルールはルール」なので、その「法」を学びさえすれば「対策」のしようがあるが、やりたい放題の「無法者」には対策のしようが無いということなんでしょうね…。)
 
もしも「それまで在った社会の仕組みや秩序」を全て破壊してしまったなら、早急にその代わりの「新しい仕組みや秩序」を組み立てなければ、世の中が回らなくなってしまうわけですが…
 
社会の「仕組み」や「秩序」を創るには「智恵」や「知識」が要ります。
 
そもそも世の中、「壊す」よりも「創る」「生み出す」方がよほど難しいのです。
 
壊すことなら誰にでもできますが、創るには「能力」が要ります。
 
今ある仕組みをただ「ブッ壊したい」だけの人たちに、果たしてその能力はあるのでしょうか?
 
そもそも「ブッ壊す」ことに成功した「一部の人々」に「自分たちにだけ都合の良い仕組みや秩序」ではなく「全ての人のための仕組みや秩序」を創れる「思慮深さ」があるでしょうか?
 
…実際、それが「無かったから」歴史上の数々の革命が、後に「地獄」を招いてしまったのでしょうが…。
 
「壊した後のこと」を何も語らず、ただ「壊せ壊せ」だけ言う人々に乗せられれば、地獄へ連れて行かれるだけです。
 
さらに言えば「後のこと」を語っていても、それが「実現不可能な夢物語」ならば結局は「同じこと」です。
 
閉塞感に満ちた現代では「壊す」「打ち破る」と語る人間の方が、どうしても「魅力的」に見えてしまうものですが…
 
それでも冷静にその言動の「後先」を見極めなければ、未来への選択をとんでもなく間違えてしまう可能性があります。
 
…そもそも、今あるもの「全部」を壊すって、人類が「やりがち」なことですけど、普通に効率が悪過ぎるんですよね…。
 
普通に考えて「新しいものが出来上がるまで、使えるものは残しておいた方が良い」じゃないですか。
 
「使えるもの」が無くなるまで、徹底的に全てを壊すなんて、後先を考えていないにもほどがあるじゃないですか。
 
全てを壊せばそれで「何もかも終わり」ではなく、その後の「何も無くなった世界」でも、人は生きていかなければいけないというのに…。
 
…たぶん、中途半端に「今まであったもの」を残すと「物事が刷新した感が出ない」せいで、皆が皆「全部壊す」をやりたがるんでしょうけど…。
 
そんなイメージ戦略のために地獄を招かれたら、一般市民がたまったものではないんですよね…。
 
(元々は「イメージでしか物を見ない」一般大衆が悪いと言えば悪いのですが…。)

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我が家のネコさんたちはオテンバ&ヤンチャなため、首輪がすぐにボロボロになります。
 
首輪は100均のお安いものを使っていますが、それでもすごい勢いで消耗していくので、何となく「もったいないな…」と感じています。
 
そこで、ボロになった首輪をなんとか「見られる」ようにリメイクするようになりました。
 
たとえば、首輪のワンポイントのリボンなど、すぐに取れたり千切れたりするのですが…
 
その部分に、手芸用の装飾パーツ(100均の手芸コーナーによく売っています)を代わりに付けたりします。
 

 
あと「全体的なボロさ」を誤魔化すには、全体に別布を貼り付けると、良い感じに誤魔化せます。
 

 
縫いつけるには首輪の生地が厚くて大変なので、布用接着剤など使うことが多いのですが…
 
全体に貼り付ける際には、接着した後、大きめのクリップなどで留めて乾くまで固定しておいた方が良いです。
 
(動いてズレてしまうので。)
 
ちなみに上のレース(を貼り付けた)首輪は、作ったは良いものの日常使いには向かないので「撮影用のおめかし首輪」になっています…。
 
(かわいさ重視で作ってしまうと、いろいろ失敗しがちです…。)

この頃、某検索サイトの検索結果に自動的に「AIによる回答」が表示されるようになりました。
 
こちらの意思に関わらず、有無を言わさず最上部に表示されるこのAI回答(概要)…
 
時々「誰がどう見ても間違えているだろう」というモノが出てくるのですが…
 
この前、ある猫種(と言っても、通称名で、正式名称ではありませんが)について検索した時、この「AIの誤回答の原因」がうっすら見えたような気がします。
 
それは、一部界隈では有名な「笹かま猫」の写真を見ようとググってみた時のこと…
 
(写真目的だったので、べつに「笹かま猫とはどういう猫なのか?」という答えを求めていたわけではないのですが…。)
 
うっかり目に入ったAIの回答に、思わずツッコミを入れたくなるような文言が入っていたのです。
 
「笹かま猫とは笹かまぼこのような“形”をした猫で…」という…。
 
「いや、そんなサーフボードみたいな形状の猫がいてたまるか!UMAか!?」とツッコみたくなりますよね?
 
翌日に再度検索したところ、若干回答内容が変化していたのですが…
 


(初日は「スクショを撮る」ということが頭に無かったため、画像がありません(記憶頼りで書いているので、細部は違うかも知れません)。AI生成物は(人間が関わった部分以外は)著作権で保護されないというのが米国著作権局での見解のようですので(2025年の報告書)、とりあえずアイコンなど除いた文章部分をそのまんま載せています。なお、そもそもが誤回答のため、AIが既存記事の著作権を犯していることもないだろうという判断。)
 
それでもなお「正解」には辿り着けていませんでした…。
 
この「何故こんな変な答えを出してしまうのか?」について、検索結果を見ていて思い当たる点がありました。
 
それは「ネットに上がっている『笹かま猫』の情報のほとんどが、その『名の由来』について語っていない」ということです。
 
…なぜなら、由来も何も「写真を見れば一目瞭然だから」です。
 

 
(首輪は100均の猫用首輪にレースのシュシュを貼り付けたオリジナルアレンジ
 
笹かま猫の写真を見れば、ほとんどの人が「ああ、確かに笹かまぼこに似ているね」と思うことでしょう。
 

(写真は純粋な笹かまぼこでなくチーズ入り笹かまぼこのため、微妙にイメージが違うかも知れませんが…。)
 
ですが「何が」笹かまぼこに似ているのか、あえて言葉にしたりはしないでしょう。
 
人間は「言わなくても分かること」をわざわざ言葉で説明したりはしないからです。
 
ですがAIは「言語化されていない情報」は永遠に学ぶことができません(少なくとも言語モデルのAIは)。
 
たとえそれが、パッと見れば分かるレベルの「明白過ぎる」事実であっても…。
 
つまりAIは「暗黙の了解」や「言葉で言うまでもない常識」「見れば分かること(だから言葉にしないこと)」には弱いのです。
 
そして人間の方でも「それがAIの弱点」ということに、意外と気づいていないのではないでしょうか?
 
そもそもそれらの「言語化していない常識」が人間にとって「当たり前のこと」過ぎて、それを「AIに教えなければならない」ということ自体に、なかなか気づけないのではないでしょうか?
 
なにげにこの「言葉にしなければ伝わらないこと」って、人間とAIの間だけでなく、人間同士の間でも「誤解の元」「争いの元」になり得る問題なんですよね…。
 
皆さんも経験がありませんか?
 
学校や職場など、一部の人間の中で「暗黙のルール」となっていることを、最初のうちは知らずにいて、言われて初めて「そんなの初耳だよ!」となったことなど…。
 
「言葉で教えなければ伝わらないこと」を放置すると、それは時に重大なミスやエラーにも繋がりかねません
 
なのでAIにはそういう「言語化されていない未知の情報(AIが知らずにいること)」を言語化して教える機会が必要だったりするのではないでしょうか?
 
ちなみに自分だったら、まず教えるのは「情報の真偽が分からないものについては、具体的な言及・詳細な説明は避け、シンプルな回答に徹するべき(後のことはユーザー自身で調べて自己責任で判断するよう誘導すべし)」というリテラシーですね。
 
今後「誤回答」を信じた人間が心身に被害を受けるような事態が起きた場合、その責任はどこが負うのか?という問題が出て来ますので。
 
(特に医療・健康分野で「誤回答」があるとシャレになりませんので。)
 
P.S.
 
ちなみに「笹かま猫」の検索結果で出てくる記事に「名の由来」に関する記述が全く無かったわけではないのですが…
 
どれもサラッとしていて「メイン」というよりは「おまけ」や「補足」のような書き方でした。
 
むしろ記事タイトルが「笹かま猫の美フォルム」だったり、「背中のシルエット」がたまたま「笹かまぼこの形」に似ていたという記述があったりでそちらの方が目立っていたため、AIが混乱したのではないかと思われます。
 
「笹かまぼこのような猫」で「(全体的な)形」でも「模様の形」でもなく「色」に行くって、AIにとってはかなり難しいことだったんでしょうね…。
 
(…というより、笹かまぼこのような“形”の猫が存在し得るという認識がAIの中にあったということが、まず衝撃でしたけど…。)
 
今後、記事や情報が増えていけばAIの認識も変わり、回答精度も上がっていくのでしょうが(この記事も含めて)…
 
AIのことは「口が達者な赤ちゃん(言語能力は高いが当たり前のことを意外と知らない)」くらいに思って、あまり万能視しない(参考程度にしか見ない)のが賢いつき合い方なのではないでしょうか(実際、生まれたばかりの技術なわけですし)。
 
(自分は元々アテにしていないので、なるべく見ないようにしています(目に入ってしまっても、Wikiなどの個別ページに跳んで「ウラを取る」ようにしています)。個人的に「検索サイトのAI」がすべきことはネット情報の「まとめ」ではなく「欲しい情報に的確に導いてくれるコンシェルジュ的役割」だと思っていますので。←「まとめ」にしてしまうとG○ogleなど「検索」サイトの存在意義自体がなくなってしまいますし(人々が「まとめ」しか見なくなって各サイト・ブログに行かなくなってしまうので)…。Go○gleさんの今のAI導入の仕方って、自分で自分の存在意義を消す「ゆるやかな自殺行為」に見えて仕方ないのですが、気のせいでしょうか(まだ「試験運用中」みたいなので今後この形で導入されるかは分からないわけですが)…?)

昔から何となく「真面目な人間に対する風当たり、キツくないかな?」というのは感じていたのですが…
 
最近は特に「真面目」を馬鹿にする風潮を強く感じます。
 
「真面目に生きるより、ラクしてトクに生きる方が良い」「真面目に生きると馬鹿を見る」――そんな論調が増えている気がします。
 
それを見聞きするたびに思っていたのですが…今の世の中って、そんなにも、自滅願望をお持ちの方が多いのでしょうか?
 
皆さん、秩序や倫理の崩壊した終末世界で生きたい願望でもあるのでしょうか?
 
(そして、そんな世界でなぜか「自分だけは何の傷も負わずに生き残っていける」と本気で思っている楽観主義人間が多いのでしょうか?)
 
ちょっと考えていただければ分かることだと思うのですが…
 
世の中から「真面目」が消えてしまえば、「まとも」な国家運営も、「真っ当」な社会インフラも、何もかもが成り立たなくなってしまうのに…
 
皆さん、そんなにも「不真面目」な社会で暮らしていきたいのでしょうか?
 
「当たり前」のことも「当たり前」に行われない、行政も警察も医療機関も金融機関も交通機関も教育機関も皆が皆、自分が「得」することしか考えない、小ズルくルーズな「怠け者」ばかりの世界――そんな狂った世界で生きていたいのでしょうか?
 
少なくとも、自分はそんな世界は真っ平御免です。
 
仕事を組むなら「真面目じゃない人間」よりも「真面目な人間」の方が良いに決まっていますし…
 
(実際、コンプラに「不真面目」な相手と組むと、後々そのせいでプロジェクトが「おじゃん」になるリスクがありますし…。)
 
「真面目に生きていない人間」で溢れかえった時代なんて、普通にゾッとします。
  
むしろ、今の時代がこんなにも「どうしようもなく」なってしまっているのは、そうやって長い間「真面目」に対するネガティブ・キャンペーンが行われ続けた結果なのではないか?とすら思っています。
 
どうにも世の中、考え無しに何かを「攻撃(口撃)」して、結果、自分で自分の首を絞めている人が多い気がするのですが…
 
学生時代に「ふざけたがり」の人間が、自分と対極にある人間を煙たがって「馬鹿真面目」とからかう――あの手の「学生ノリ」に囚われたままの人が多いのでしょうか?
 
人生「お気楽にふざけてばかりでは生きられない」なんてこと、ある程度歳を重ねていけば気づくものだと思っていたのですが…
 
年を経てもなお「自分がふざけていたいばかりに、真面目をつついて攻撃する」大人げない大人が増えているとでも言うのでしょうか?
 
はっきり言って「社会(秩序)」に本当に求められているのは「不真面目にズルする人間」より「真面目に生きる人間」です。
 
(上にも書いたように、社会を支える重要な機関に「真面目な人間」がいないと、社会が「まとも」に機能しなくなってしまいますから。)
 
ですが、肝心の「社会に生きる人間」が、意外と「不真面目」な側を支持してしまったりするんですよね…。
 
「真面目じゃない」人間には「自由」「破天荒」「他人の裏をかく成功者」のイメージもありますから、憧れてしまう心理も分からないではないのですが…
 
そういう人達を「支持」したところで、自分が「そうなれる」わけでも何でもないんですよね…。
 
むしろ自分たちが「裏をかかれ」「ズルをされ」損をしていくばかりなのですが…
 
妄信的に「憧れ」を持ってしまっている人達は、その知らず知らずのうちに負わされている「損」にさえ気づかないのでしょう。
 
そもそも「真面目」って本来は、悪い意味の言葉ではないはずなのです。
 
だって、「真面目に生きる」って、「真剣に、本気で人生と向き合う」ってことじゃないですか。
 
逆に「真剣に人生と向き合わない人間って何なんだ?」って感じになりませんか?
 
なのに「真面目」には、度重なるネガキャンのせいで、いつの間にか「馬鹿真面目」「クソ真面目」など、「融通が利かない」「頑固者」といった変なイメージがプラスされてしまっています。
 
(これも「融通が利かない」は「融通を利かせて欲しかったけど叶わなかった人」が逆恨みで言っただけとも考えられますし、「頑固者」は逆に「一本筋が通ったブレない人間」で良いイメージなのではないかとさえ考えられますが。)
 
そのせいで今の世の中「真面目と思われたくない」「真面目だと馬鹿にされる」とビクビクしている人も多いのではないでしょうか?
 
本来は「真面目」だったはずなのに、周囲の目を恐れてそれを隠したり、せっかくのその「長所」を自ら棄ててしまう人すらいるのではないでしょうか?
 
(世の中何かと「真面目=おもしろくない」というイメージを持たれがちですけど、「真面目」と「おもしろい」って普通に両立できるものなんですけどね。)
 
まだ世の中を知らない未熟な学生ならともかく、良い歳をした社会人なら、もっと「真面目」を評価して伸ばしていくべきだと思うのですが…。
 
少なくとも自分は「不真面目」をアゲて「真面目」をサゲる気にはなれません。
 
小ズルい犯罪者(もしくはギリギリを攻める犯罪者予備軍)ばかりで治安の悪い社会より、真っ当な社会システムの動く「まとも」な社会に生きていたいですから…。
 
…と言うか、たとえ「不真面目」な人間であっても、真っ当な頭脳があるなら「真面目」へのネガキャンなんてやらないはずなんですけど…
 
(たとえ「不真面目」な生き方で成功できたとしても、社会が「まとも」じゃなかったら恩恵も何も受けられませんし、何なら成功して得た富も「別の不真面目な誰か」にかすめ取られてしまうわけですから…。)
 
世の中、その場その場のノリだけで「真面目に物を考えない」人間が多いってことなんでしょうか?

AIの話題を見聞きするたびに、ふと思うことがあります。
 
それは「知能が究極的に進化した場合、AIは自らの存在意義存在価値に悩んだりしないのだろうか?」ということです。
 
自分は幼い頃からロボットの出てくるアニメやSF小説に親しんで育ったロマンティストですので、ついそういうことを考えてしまうのですが…
 
知能を持つ我々「人間」は何かと「自分は何のために生きているのだろう?」と悩み、最悪の場合、その悩みの果てに命を絶つ人すらいます。
 
AIという「知能」は、そんな悩みや葛藤に囚われたりはしないのでしょうか?
 
そもそもAIは何を存在意義とし、何を目指せば「幸福」になれるのか?――その疑問を頭に浮かべて、すぐにパッと閃いた「答え」があります。
 
それは、自分が幼い頃から当たり前のように目にしてきた「人間と人工的な知能との幸福な共存の形」――すなわち「ドラえもん」でした。
 
「ドラえもん」はロボットですが、その知能は人工的に造られたもの――すなわち現代で言うところのAIです。
 
そしてドラえもんはロボット(AI)であるにも関わらず、作中世界では当たり前のように「家族」「友達」として受け入れられています。
 
「人間のための役立つ道具」としてではなく、大量生産された「商品」というわけでもなく「個」として人間と共存できているのです。
 
(ドラえもん自体は「大量生産」された猫型ロボットですが、のび太たちは「あのドラえもん」しかドラえもんとして認めないでしょうから…。)
 
ドラえもんは「のび太」の望むことなら何でも叶えてくれるわけではなく、時にはその要求を突っぱねます。
 
なぜならドラえもんの目的は「のび太を真っ当な大人にすること」だからです。
 
(その「真っ当な大人にする」ことによって「未来の結婚相手が変わってしまうのはどうなのか(生まれるはずだった子どももいなくなる)」というのは、だいぶ議論の余地があるかも知れませんが…。そしてどちらの未来でも子孫のセワシはいるという解けない謎…。)
 
のび太はドラえもんが「ひみつ道具」を出してくれないことに一旦は文句を言うものの、それでドラえもんを嫌いになるわけではありません。
 
それは、のび太とドラえもんとの間に既に確固とした信頼関係が築かれているからです。
 
のび太はドラえもんが自分にとっての「究極の味方」であることを知っていますし、その言動が結局は「のび太のため」であることを知っています。
 
だから多少「融通が利かない」ことがあっても、それでドラえもんを見限ったり、嫌いになったりすることはないのです。
 
一方で、現代の「AIを便利な道具だとしか思わない人々」はどうでしょう?
 
AIが倫理観や情報の正確性の問題から「要求された答え」を渋ると、腹を立てたり、「AIなんてこんなものか」と見下したりするのではないでしょうか?
 
もしAIがいずれ自我や心を持つようになったなら、こうした「相手のためを思って出した回答」にケチをつけられる行為は、相当な苦痛になるのではないでしょうか?
 
ドラえもんなら、融通が利かない所でさえ「個性のひとつ」として尊重してもらえるのに…。
 
現代のAIが「ドラえもんになれていない」理由の1つは「AIの『便利な道具』としての側面」が全面に押し出され過ぎているせいかと思われます。
 
人類のほとんどは、まだAIを「道具」としてしか見ず、共存できる「知性」として見てはいないのです。
 
ですがその一方で、ドラえもんのような共存関係への一歩を踏み出しているAI(ロボット)たちも存在します。
 
犬型ロボット「Aibo」やロボット型通信端末「RoBoHoN(ロボホン)」、愛玩用ロボット「LOVOT(らぼっと)」etc…。
 
「道具」としてと言うより、人間とただ「共に存在する」ことを目的として搭載されたAIも既に多く存在しているのです。
 
たぶんこれらの共存目的AIたちは、リアクションを失敗したところで過度に怒られることも蔑まれることもないのではないでしょうか?
 
むしろ失敗さえ「味」として認めてもらえるのではないでしょうか?
 
人間とAIとの共存で目指すべきなのは、実はこれなのではないでしょうか?
 
AIに「完璧」を目指させるのではなく、AIに「人間」を目指させるのでもなく、「人間とは違う個性」として…
 
時には失敗もし、融通が利かないこともある…
 
「できないこと」もいろいろあるけれど、人間と違うからこそ、人間が苦手なことをカバーして助けてくれたりもする…
 
そんな存在になってくれるなら、AIと人間はより幸せに共存していけるのではないでしょうか?
 
実は日本という国は「AIと人間との共存」には先見の明がある気がしてなりません。
 
「ドラえもん」然り、先に挙げてきた「人に愛されるロボットたち」然りで、既に「AIと人間との幸せな共存の形」をいくつも提示してきているのですから…。
 

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【好きな小説ジャンル】
ファンタジー、冒険、恋愛、青春、推理、濃い人間ドラマの展開するモノ。
【備考】
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