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日々ふと思うことを徒然なるままに書き綴る個人的エッセイあるいは回想録。

勤務中、ふと気が向くとついついやってしまう「暇つぶし」の「脳トレ」があります。
 
それは「目についた数字で即興語呂合わせ”を作ること」です。
 
日報や各種データなどで日常的に目にする数字……それを使って即座に語呂合わせが作れないか思考を巡らせてみる「遊び」です。
 
でもコレ、非常に実用的なのです。
 
即興で「語呂合わせ」を作る能力を身に着けておくと、メモも何もとれない状況でとっさに数字を覚えなければいけない時に役立ちますし、各種パスワード暗証番号を作ったり記憶したりするのにも役立ちます。
 
おかげで現在自分は複数のWebサービスを利用し、サービスごとにパスワードを変えているのですが、ほぼ全てメモを見ないで記憶だけでログインできます。
 
(ただしさすがに長期間利用していないものは忘れてしまったりしますが…。)
 
そして最近こんなナゾ脳トレばかりしているせいか、夢の中にまで数字が出て来て、しかもそれを目覚めても覚えていたりします…。
 
ちなみに、これまで夢の中で記憶できた一番長い数字は架空の電話番号10ケタです。
 
(夢の中では会社の電話番号という設定でしたが、目覚めて照らし合わせてみたら下3ケタだけ間違っていました。)


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自分が常日頃から心がけていることの一つに「信ぴょう性の高いものでも、何%かは疑う余地を残しておく」ことと、逆に「信じ難いものであっても、何%かは信じる余地を残しておく」ということがあります。
 
それは自分自身も含めて「人間の真実を見抜く目なんて全くアテにはならない」と思っているから、でもあるのですが…。
 
たとえば今では一笑に付される「天動説」や中世の迷信だって、当時は「当たり前の常識」「疑いようのない真実」くらいのレベルで多くの人間に信じられてきた事柄です。
 
それと同じように、今この時代で当たり前に信じられていること、常識だと思われていることが、いつかの未来にアッサリ覆されることは充分にあり得ることだと思うのです。
 
そもそも人類は、自分たちが生きるこの世界についてさえ100%全部を知っているわけではありません。
 
「天才的頭脳を持つ科学者・数学者だって、この世界の謎を全て解き明かせたわけではないというのに、自分のようなごく普通の一般人が、どれほどの真実を知ることができるのだろう」――自分は常日頃、そんな風に思っています。
 
なので、ある日突然「それまで信じてきた常識がコロッと変わってしまう」ことがあっても柔軟に対応できるように、その変化を受け入れる心の余裕を常に持っておきたいと思うのです。
 
あるいは「皆が安全だと信じ込んでしまっている、実は危険な何か」に、真っ先に「あやしい」と気づいて安全策がとれるように…。
 
権威のある人や多数派が「正しい」と言えばそれを信じて流されてしまうというのは、特に日本人には多い傾向なのかも知れませんが、「安全だ」と言い続けられてきたものが実は危険だったという実例が過去にいろいろある以上、鵜呑みにせずに何%かは疑う余地を残しておいた方が自分自身のためだと思うのです。
 
逆に、皆が「間違いだ」と思ってスルーしているものの中にも、人生の役に立つ「真実」があったりするかも知れません。
 
なので、全てを信じるのでなく全てを疑うのでもなく、常に「半信半疑」……あるいは「九信一疑」「一信九疑」等でも良いかも知れませんが……とにかく、白か黒かをスパッと決めてしまいたくはないのです。
 
人によっては「どっちつかず」だとか「日和見主義」と馬鹿にされてしまうスタンスかも知れませんが……結局はこのスタンスが一番、効率的で安全性の高い生き方だという気がするのです。

ブログをジャンル別に分割する前、別のブログにスクラップブックの作り方を2つほど載せていたのですが、最近はそれとは別の作り方もしているので、そちらもまとめていきたいと思います。
 
以前のものは写真用のアルバムを使ったものだったのですが、大きな記事だとサイズ的に足りないので…。
 
やり方としては「新聞を切り抜く→スクラップ帳に貼り付ける」と全く普通なのですが、自分の場合はちょっとだけ工夫をしています。
 
工夫その1は、使うスクラップ帳がリング・ノートであること。


 
これの何が便利かと言うと、開いた時にノートの片面が戻って来たりせず、全くの平らになるので作業がしやすい点。


 
それと、切り抜きをたくさん貼っていってノートに厚みが出てきた時でも、リング・ノートなら調整ができます。
 
そもそもリングで綴じられているので多少ノートが厚くなっても耐えられますし、耐えられなさそうだと思ったら、まだ何も貼っていないページを破り取ってノート全体の厚みを減らすこともできます。
 
工夫その2は、貼り付けに「テープのり」を使うことです。


 
「液体のり」だと切り抜きした紙にしみてしまったり、貼った後にシワができてしまったり、乾くまでに時間がかかったりetc…いろいろと厄介なことがあるのですが、テープのりならサッと貼れてラクです。
 
ただし、切り抜きの四辺を端から端までのり付けしてしまうと、テープがあっと言う間になくなってしまいます。
 
なので自分の場合は、両面テープでポスターを貼るような感覚で、ちょこちょこっとのり付けしています。


<関連記事(別ブログ)>
カンタン・時短なスクラップ・ブックの作り方
カンタン・時短なスクラップ・ブックの作り方2
ここ数ヶ月、ふと感じるようになったことがあります。
 
それは「世界って、こんな風にガラッと変わってしまうことがあるんだ」ということです。
 
今まで当たり前にあったものが無くなってしまったり、当たり前にできたことができなくなってしまったり、町の中や人の様子も変わってしまったり…
  
数ヶ月前には、こんな風に急激に世界の様子が変わることなど、想像したこともなかった気がします。
 
何となく世界は、自分とは関係のない所で大きな事件があったり、身近で小さな波風が立ったりしても、そう大きく変わったりはしないものだと思っていました。
 
けれど現実に今こうして、世界規模の変化が起きていて…
 
ふと、ぼんやり思うのです。
 
きっとこれまでにも人類の歴史の中で、節目節目にこういう大きな変化はあったのかも知れない、と。
 
けれどそれは、通り過ぎてしまえば過去のこととして忘れ去られてしまい、人々は「昔はこんなことがあって大変だったんだなー。でも現在はこの時代よりずっと進歩しているんだから、もうこんなことは起こらないよな」と思って日々を過ごしていくのだろうな、と。
 
ちょうど数ヶ月前までの自分が「オイルショックの時の買い占めみたいなことは、今の時代では起こらないんだろうな」と無意識に考えていたように…
 
世界が急激に変化し、当たり前のことが当たり前でなくなる感覚は、その時代を生きた人間にしか分からないものなのかも知れません。
 
どんなに“知識”や“教訓”を伝えても、この“感覚”は、後世に伝えきれない気がします。
 
もし、当時の人々の“感情”を、データとして残すことができたとしても、未来の人間がそれを“当事者意識”をもって“まるで自分がそれを感じているかのように”読み解くことは、なかなかできない気がします。
 
そしてたぶん、それこそが、人類が同じ過ちを繰り返してしまう原因なのではないか、と。
 
過去の歴史は、所詮は“他人事”で、自分に関係するものではない――その感覚が、きっと、できたはずの備えを怠る原因になったり、未来の予測を曇らせる原因になったりするのではないか、と…そんな気がしています。

以前から思っていたことがあります。
 
「その人を好きか嫌いか」と「その人に、この問題を解決する能力があるか」は全く別の問題だと。
 
抱えていた問題を、心から信頼する人間に相談したとして、その人がその問題を解決してくれるとは限らない、と。
 
本当に「問題の解決」を望むのであれば、「その問題を解決できる能力を持った人」を頼らなければ意味が無いのだと。
 
自分は小学校時代の虐め問題を、一旦は家族に相談したものの、その後の対応を見てすぐに家族を頼ることをやめました。
 
それは家族のことが嫌いだったからではありません。
 
「信頼していたかどうか」ということになると、「家族としての信頼」はそれなりにあったものの、「この問題を解決できるという信頼」は持っていませんでした。
 
「この人たちを頼っても、この問題は解決しないだろう」と冷静に判断し、問題を解決できる最適な手段を自分で選択したのです。
 
それはドライ過ぎる選択だったかも知れません。
 
ですが、学校が世界の全てと言っても良かった小学校時代において、自分に対する虐めを「なくす」ことが、その時の自分にとって最優先事項だったのです。
 
能力の無い人間にいつまでも頼り続けることは、問題を長引かせるだけでなく、かえって危険を招くこともあります。
 
相談に乗ってもらった相手が「善かれ」と思ってしたことが、かえって問題をややこしくし、相談者を追いつめる…そんなことはザラにあります。
 
しかも、相手はあくまでも善意で行っているので、余計に相談者が苦しむことになるのです。
 
「信頼して相談したのに、結局助けてもらえなかった」という台詞は、きっと、相手に「助ける能力」があった時だけ通用する台詞なのだと思います。
 
「誰かを助ける能力」は、残念ながら、誰にでも備わっているものではありません。
 
それには知識(時には問題に応じた専門知識)や行動力、コミュニケーション能力や調整力など、様々なスキルが必要となるものなのです。
 
けれど、これは「人柄は良いけど能力は無い人」が「必要ない」という話ではありません。
 
「信頼できる人」「人柄の良い人」は、「問題を解決」してはくれなくても、「話を聞いてくれる」ことはできます。
 
現実に問題が解決していなくても、誰かに話を聞いてもらい、気持ちを分かってもらうことで「心が楽になる」ことはあります。
 
「現実に問題を解決したいのか」「誰かに話を聞いてもらって心が楽になりたいのか」その区別・線引きをしっかりしておけば良い話なのです。
 
そこを一緒くたにして、能力の無い相手に「この人に相談すれば、もう安心」と思ってしまうのは危険です。
 
本当にその問題を解決したいなら、「信頼できる人に話を聞いてもらって心をラクにする」のとはまた別に、専門家を頼ったり能力を持った相手を探す…それが、ベストな選択だと思うのです。
 

<関連記事>
いざと言う時に他人頼みだと普通に命が危ないと思うんだ
虐め(いじめ)対処の実例~小学生の時~

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【好きな小説ジャンル】
ファンタジー、冒険、恋愛、青春、推理、濃い人間ドラマの展開するモノ。
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