日々ふと思うことを徒然なるままに書き綴る個人的エッセイあるいは回想録。
皆さん、一見「頭が良さそう」な人のことを「何でこんなことも分からないんだろう」「何でこんなに愚かなことを言うんだろう」と思ってしまったことって、ありませんか?
世の中、未だに学歴や知識量でマウントを取ってくる人は多いですが…
学歴や知識があるにも関わらず「どうしてこんなに愚かなんだろう」という人って、いるんですよね。
でもソレ、実は何の不思議も無いことなのです。
そもそも賢さを「どの大学に行ったか」や「知識の量」で測ること自体が間違いなのですから。
「真に賢い人間」が学校や本で学ぶのは、「知識」ではありません。
「それほど賢くもない人間」ほど、知識の量を誇って喜びますが…
知識がどれほどあったところで、それだけでは意味はありません。
必要なのは、その知識を上手く活用するためのスキルです。
すなわち、本当に賢い人間が学ぶのは、「視点」。
「ものの見方」や「考え方」を学ぶのです。
視点を学べば、周りと「同じもの」を見ても「見え方」が変わってきます。
例えば…「ルビンの壺」って、白い部分に注目するか、黒い部分に注目するかで「見え方」がまるで違ってきますよね?
白い部分に注目すれば「壺(杯)」に、黒い部分に注目すれば「向かい合う2人の人物」に見えます。
しかし、2つの見方があることに気づかず、あくまで白い部分にしか注目しない人がいたとしたら、どうでしょう?
他の人がどんなに「2人の人物」について話をしても「人?そんなのいないじゃん。何言ってんだ?」ということになるのではないでしょうか?
精神的な視野が狭い人というのは、そういうものです。
そこに「ある」ものが「まるで見えていない」のです。
「見えない」ものに、いくら知識を使おうとしても無駄なこと。
そもそも「見えない」ので、そこに「知識を使おう」という気すら起きないことでしょう。
「一見賢く見える」のに「なぜか話が通じない人」というのは、そういう人たちなのです。
知識自慢をする人々は、「知識の量」ばかりを気にして「精神的視野の狭さ(持っている視点の少なさ)」に気づきません。
たまに自分が持っていない視点の話をされても「それは間違っている」とさえ言ってきます。
「自分には知らないことはない」と過信する人々は、「自分が知っていることが全て」と思い込み、それ以外は「間違い」として切り捨ててしまうのです。
一方、真に賢い人々は、自分が「世の中の全てを知り尽くすことはできない」ことを知っています。
(それはAIでさえ不可能なことです。そもそもAIには「データ化されていない(データ化できない)情報は学べない」という致命的弱点がありますので。)
なので常に謙虚に、新しい知識、新しい視点を学ぼうとするのです。
実に古代ギリシア・ソクラテスの時代から言われてきたこの考え方――「無知の知」と言うのですが、皆さんコレ、ちゃんと出来ているでしょうか?
あんなに古い時代から言われてきたことが、未だに達成できていないとしたら…人類の進歩って、一体どれほどのものなんでしょうね…?
世の中、未だに学歴や知識量でマウントを取ってくる人は多いですが…
学歴や知識があるにも関わらず「どうしてこんなに愚かなんだろう」という人って、いるんですよね。
でもソレ、実は何の不思議も無いことなのです。
そもそも賢さを「どの大学に行ったか」や「知識の量」で測ること自体が間違いなのですから。
「真に賢い人間」が学校や本で学ぶのは、「知識」ではありません。
「それほど賢くもない人間」ほど、知識の量を誇って喜びますが…
知識がどれほどあったところで、それだけでは意味はありません。
必要なのは、その知識を上手く活用するためのスキルです。
すなわち、本当に賢い人間が学ぶのは、「視点」。
「ものの見方」や「考え方」を学ぶのです。
視点を学べば、周りと「同じもの」を見ても「見え方」が変わってきます。
例えば…「ルビンの壺」って、白い部分に注目するか、黒い部分に注目するかで「見え方」がまるで違ってきますよね?
しかし、2つの見方があることに気づかず、あくまで白い部分にしか注目しない人がいたとしたら、どうでしょう?
他の人がどんなに「2人の人物」について話をしても「人?そんなのいないじゃん。何言ってんだ?」ということになるのではないでしょうか?
精神的な視野が狭い人というのは、そういうものです。
そこに「ある」ものが「まるで見えていない」のです。
「見えない」ものに、いくら知識を使おうとしても無駄なこと。
そもそも「見えない」ので、そこに「知識を使おう」という気すら起きないことでしょう。
「一見賢く見える」のに「なぜか話が通じない人」というのは、そういう人たちなのです。
知識自慢をする人々は、「知識の量」ばかりを気にして「精神的視野の狭さ(持っている視点の少なさ)」に気づきません。
たまに自分が持っていない視点の話をされても「それは間違っている」とさえ言ってきます。
「自分には知らないことはない」と過信する人々は、「自分が知っていることが全て」と思い込み、それ以外は「間違い」として切り捨ててしまうのです。
一方、真に賢い人々は、自分が「世の中の全てを知り尽くすことはできない」ことを知っています。
(それはAIでさえ不可能なことです。そもそもAIには「データ化されていない(データ化できない)情報は学べない」という致命的弱点がありますので。)
なので常に謙虚に、新しい知識、新しい視点を学ぼうとするのです。
実に古代ギリシア・ソクラテスの時代から言われてきたこの考え方――「無知の知」と言うのですが、皆さんコレ、ちゃんと出来ているでしょうか?
あんなに古い時代から言われてきたことが、未だに達成できていないとしたら…人類の進歩って、一体どれほどのものなんでしょうね…?
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昨今の政治はSNSの影響力が上がっていると言います。
選挙なども、SNSや動画投稿での「情報発信」が上手くできている候補が支持を集めやすいのだとか…。
そんな話を聞くたびに、いつも腑に落ちない思いを抱いているのですが…
世の中そんなに、本人や支持勢力の「自己アピール」を鵜呑みにする層が多いのでしょうか?
…いや、だって「自己アピール」って普通、自分をよく魅せようと盛りがちなモノじゃないですか。
就職活動などで経験のある人は多いと思いますが…
長所はなるべく「より良く見えるように」盛り、短所は「逆に長所に見えるように」上手く誤魔化す…そう書くよう教えられるじゃないですか。
「企業の採用担当者って、こんな“見せかけ”だらけの“自己”アピールをそんなに重視するものなんだろうか?」と逆に社会に不信を抱いたりしませんでしたか?(自分はしました)
自分は物事を判断する際、本人たちの「自己申告」だけを判断材料にしたりはしません。
判断する際に重視するのは「客観的な情報」です。
むしろ主観的で感情的な動画発信やSNSは「振り回されて判断が鈍る」可能性が高いので、なるべく目に入れたくありません。
なお、ここでの「客観的情報」は「反対勢力の意見」ということではありません。
反対勢力は反対勢力で、感情的に意見を吐露していることが多いので、やはり振り回されたくないのです。
(政治系のキリヌキ動画も、いろいろ誇張されていそうで惑わされそうなので目に入れたくありません。)
自分が見るのは、経歴――その人がそれまで何をやってきたのか、です。
既に国会議員としての経験がある候補者なら、オーソドックスですが『国会議員白書』などで「議員としてどんな活動をしてきたのか」見ます。
(スマホではビミョウに見づらい場合もあるサイトですが、国会議員のこれまでの役職や委員出席回数、「発言回数」さらには「発言文字数」やその内容まで調べることができます。議員にはなったけれど大した発言をしていない人などはこれで分かります。)
経験のない新人の場合は、経歴を「感情をなるべく削ぎ落として」見ます。
ポイントは「気に入った候補・気になった候補だけを見るのではなく、必ず全候補の経歴を見比べる」ことです。
「気になった候補」から見るのはアリですが、「気にいらない候補」を見ないのはナシということです。
選挙などの「判断」をする際に一番厄介な「毒」となるのが「感情」です。
「感情」は、好きなものは実物より良く見せ、気に入らないものは実物よりも悪く見せます。
つまりは判断が鈍るのです。
ナチスも当時は国民の選挙によって選ばれました。
ヒトラーは人の感情を煽るのがとても上手く、スピーチの仕方までよく研究していました(※褒めてはいません)。
人の感情を上手く捕えて好意を持たせた者が、善い政治を行ってくれるとは限りません。
だから自分は、大事なものを判断する際に、なるべく感情を削ぎ落とすのです。
「この候補が良い」と思っても、それが「感情に踊らされた結果」でないかどうか、慎重に自分の心に問います。
でも世の中、どうにも「感情のまま」に判断を下している人が多い印象なのですが…気のせいでしょうか?
「感情に溺れる人」って、何かと「愚か」だと馬鹿にされがちですよね?
なのに選挙の時には「感情」を判断の基準にするのでしょうか?
少なくとも「本人」や「支持者たち」の言うことを「本気」に取るのはどうなのか、と思います。
だって、実際には守る気のない公約だろうと、実現不可能な絵空事だろうと、口では何とでも言えるのです。
それを全面的に信じるなんて、悪い意味で素直過ぎやしませんか?(普通は「話半分」で聞くものではありませんか?)
わざと敵を作ったり、劇的にパフォーマンスしてみたり…「演出」で人心を惹きつけるのも「あるある」な戦略ですが…
そういうエンターテイメント性で感情を揺さぶられて、判断を鈍らされてはいませんか?
選挙とは、ある意味「騙し合い」です。
選ぶ側は“見せかけ”や“誇張”や“守る気の無い約束”に騙されず、真実を見抜かなければならないのです。
…ぶっちゃけ、主観的情報(自己発信)は溢れているのに、客観的データは少な過ぎて毎度判断に苦しむのですが…
事は自分たちの未来を決める、大事な判断。これからも慎重に見極めていこうと思うのです。
選挙なども、SNSや動画投稿での「情報発信」が上手くできている候補が支持を集めやすいのだとか…。
そんな話を聞くたびに、いつも腑に落ちない思いを抱いているのですが…
世の中そんなに、本人や支持勢力の「自己アピール」を鵜呑みにする層が多いのでしょうか?
…いや、だって「自己アピール」って普通、自分をよく魅せようと盛りがちなモノじゃないですか。
就職活動などで経験のある人は多いと思いますが…
長所はなるべく「より良く見えるように」盛り、短所は「逆に長所に見えるように」上手く誤魔化す…そう書くよう教えられるじゃないですか。
「企業の採用担当者って、こんな“見せかけ”だらけの“自己”アピールをそんなに重視するものなんだろうか?」と逆に社会に不信を抱いたりしませんでしたか?(自分はしました)
自分は物事を判断する際、本人たちの「自己申告」だけを判断材料にしたりはしません。
判断する際に重視するのは「客観的な情報」です。
むしろ主観的で感情的な動画発信やSNSは「振り回されて判断が鈍る」可能性が高いので、なるべく目に入れたくありません。
なお、ここでの「客観的情報」は「反対勢力の意見」ということではありません。
反対勢力は反対勢力で、感情的に意見を吐露していることが多いので、やはり振り回されたくないのです。
(政治系のキリヌキ動画も、いろいろ誇張されていそうで惑わされそうなので目に入れたくありません。)
自分が見るのは、経歴――その人がそれまで何をやってきたのか、です。
既に国会議員としての経験がある候補者なら、オーソドックスですが『国会議員白書』などで「議員としてどんな活動をしてきたのか」見ます。
(スマホではビミョウに見づらい場合もあるサイトですが、国会議員のこれまでの役職や委員出席回数、「発言回数」さらには「発言文字数」やその内容まで調べることができます。議員にはなったけれど大した発言をしていない人などはこれで分かります。)
経験のない新人の場合は、経歴を「感情をなるべく削ぎ落として」見ます。
ポイントは「気に入った候補・気になった候補だけを見るのではなく、必ず全候補の経歴を見比べる」ことです。
「気になった候補」から見るのはアリですが、「気にいらない候補」を見ないのはナシということです。
選挙などの「判断」をする際に一番厄介な「毒」となるのが「感情」です。
「感情」は、好きなものは実物より良く見せ、気に入らないものは実物よりも悪く見せます。
つまりは判断が鈍るのです。
ナチスも当時は国民の選挙によって選ばれました。
ヒトラーは人の感情を煽るのがとても上手く、スピーチの仕方までよく研究していました(※褒めてはいません)。
人の感情を上手く捕えて好意を持たせた者が、善い政治を行ってくれるとは限りません。
だから自分は、大事なものを判断する際に、なるべく感情を削ぎ落とすのです。
「この候補が良い」と思っても、それが「感情に踊らされた結果」でないかどうか、慎重に自分の心に問います。
でも世の中、どうにも「感情のまま」に判断を下している人が多い印象なのですが…気のせいでしょうか?
「感情に溺れる人」って、何かと「愚か」だと馬鹿にされがちですよね?
なのに選挙の時には「感情」を判断の基準にするのでしょうか?
少なくとも「本人」や「支持者たち」の言うことを「本気」に取るのはどうなのか、と思います。
だって、実際には守る気のない公約だろうと、実現不可能な絵空事だろうと、口では何とでも言えるのです。
それを全面的に信じるなんて、悪い意味で素直過ぎやしませんか?(普通は「話半分」で聞くものではありませんか?)
わざと敵を作ったり、劇的にパフォーマンスしてみたり…「演出」で人心を惹きつけるのも「あるある」な戦略ですが…
そういうエンターテイメント性で感情を揺さぶられて、判断を鈍らされてはいませんか?
選挙とは、ある意味「騙し合い」です。
選ぶ側は“見せかけ”や“誇張”や“守る気の無い約束”に騙されず、真実を見抜かなければならないのです。
…ぶっちゃけ、主観的情報(自己発信)は溢れているのに、客観的データは少な過ぎて毎度判断に苦しむのですが…
事は自分たちの未来を決める、大事な判断。これからも慎重に見極めていこうと思うのです。
小学生の頃、選挙カーを見つけると何人かで一緒に追いかけていって手を振るのがプチブームだったことがあります。
候補者は大概、子どもでもちゃんと手を振り返してくれるので、それが楽しかったのだと思います。
手を振り返してもらえると、それだけでその人に何となく好意を抱いたりして…我ながら「子どもって単純だなぁ」と思います。
子どもの頃は、わりとそんな単純な「好き嫌い」で選挙を見ていたのですが…
さすがに大人となった今は、好き嫌いの感情だけで投票先を選ぶつもりはありません。
だって、自分が好意を持った候補者が良い政治を行ってくれるとは限りませんし、その逆もまた然りだからです。
そもそも、どの党もどの候補も、選挙期間中は「自分を良く見せよう」と必死で、その「作られたイメージ」を見破れる自信もありません。
なので自分は「感情」や「好き嫌い」ではなく「理性」で判断することにしています。
その「理性」は、各党・各候補のマニフェストが「自分の得になることかどうか」という単純なことではありません。
それを「実現」する能力がありそうかどうか…
そもそも実現する「意思」はちゃんとあるのか(口で言うだけならいくらでも言えるため)…
一時的な「点数稼ぎ」で「今だけ良ければ後はどうなっても良い」という考え無しな政策を立ててはいないか(後の国民に借金や遺恨を作りはしないか)…
そこまで考えて選ぼうとはしている…のですが…
実際問題、まだ実績の無い新人さんだと判断のしようも無いですし、実力やマニフェストの真偽を見抜く“目”も自信は無いんですよね…。
ただひとつ心がけているのは「選んで、結果が出て、そこで“おわり”にはしない」ということです。
たとえば自分の投票した候補が当選したなら、その当選後の“その先の結果”までちゃんと見届ける、ということです。
自分の選んだ党や候補が政治をグダグダにしてしまったとしたら、それは自分の“見る目の無さ”にも原因の一端がある、ということです。
選挙も政治も“人を見る目”も、一朝一夕で身につくような簡単なものではありません。
自分の“見る目”が果たして合っていたのかどうか…
それは“結果”を見届けて判断し、間違っていたのなら磨き直していくしかないのです。
候補者は大概、子どもでもちゃんと手を振り返してくれるので、それが楽しかったのだと思います。
手を振り返してもらえると、それだけでその人に何となく好意を抱いたりして…我ながら「子どもって単純だなぁ」と思います。
子どもの頃は、わりとそんな単純な「好き嫌い」で選挙を見ていたのですが…
さすがに大人となった今は、好き嫌いの感情だけで投票先を選ぶつもりはありません。
だって、自分が好意を持った候補者が良い政治を行ってくれるとは限りませんし、その逆もまた然りだからです。
そもそも、どの党もどの候補も、選挙期間中は「自分を良く見せよう」と必死で、その「作られたイメージ」を見破れる自信もありません。
なので自分は「感情」や「好き嫌い」ではなく「理性」で判断することにしています。
その「理性」は、各党・各候補のマニフェストが「自分の得になることかどうか」という単純なことではありません。
それを「実現」する能力がありそうかどうか…
そもそも実現する「意思」はちゃんとあるのか(口で言うだけならいくらでも言えるため)…
一時的な「点数稼ぎ」で「今だけ良ければ後はどうなっても良い」という考え無しな政策を立ててはいないか(後の国民に借金や遺恨を作りはしないか)…
そこまで考えて選ぼうとはしている…のですが…
実際問題、まだ実績の無い新人さんだと判断のしようも無いですし、実力やマニフェストの真偽を見抜く“目”も自信は無いんですよね…。
ただひとつ心がけているのは「選んで、結果が出て、そこで“おわり”にはしない」ということです。
たとえば自分の投票した候補が当選したなら、その当選後の“その先の結果”までちゃんと見届ける、ということです。
自分の選んだ党や候補が政治をグダグダにしてしまったとしたら、それは自分の“見る目の無さ”にも原因の一端がある、ということです。
選挙も政治も“人を見る目”も、一朝一夕で身につくような簡単なものではありません。
自分の“見る目”が果たして合っていたのかどうか…
それは“結果”を見届けて判断し、間違っていたのなら磨き直していくしかないのです。
幼少期、祖父母と一緒に過ごす時間が多かった影響か、自分の中には知らず知らずのうちに身についていた「世渡りの知恵」のようなものがあります。
その1つが「物事の良い面しか言って来ない人を信用してはならない」だったのですが…
…これ、今の世の中を見渡すと、ビックリするくらい「身についていない人」が多くないですか??
むしろ、投資詐欺だの、ラクに稼げるバイトだの、「おいしい話」にホイホイ乗って破滅したなんて話がゴロゴロ転がっているのが恐ろしいところです…。
自分は「うまい話には裏がある」と用心し、行動・選択の前には必ずワンテンポ置いて「よく考える」タイプなのですが…
世の中そんなに「ポジティブな情報」ばかりに釣られて安易に物事を決めてしまう人が多いのでしょうか?
自分はむしろ「プラスの情報しか出ていない」ものは余計に用心します。
なぜなら、物事には必ずメリット・デメリットの両面があるものだからです。
それなのに利点の方しか書いていない・話して来ないということは、相手に「欠点を隠さず公表するだけの誠実性が無い」ということです。
あるいは、必ず存在するはずのウィークポイントをまだ見出せていない――つまり「弱点を把握するだけの能力が無い」ということになります。
いずれにせよ、その相手が「信頼性に欠ける」ということになるのです。
日本には商人の間で古くから伝わる「三方よし」の精神があります。
すなわち「売り手」「買い手」「世間」の三方全てに良い効果をもたらす商売の仕方です。
今でも「ちゃんとした企業」は自社の利益だけでなく、消費者の信頼や社会貢献を考えた企業運営をしています。
しかしながら昨今は「ズルをしてでもユーザーを釣ろう」「数値を誤魔化してでも利益を上げよう」「消費者を騙してでも儲けよう」という真逆な精神性もはびこっているように感じられます。
もはや見知らぬ相手をホイホイ信用してはいけない時代――用心して自衛しなければ簡単に騙され、破滅させられてしまう時代なのです。
今の時代でも、真っ当な企業は一応「商品表示法(不当景品類及び不当表示防止法)」等の法律で縛られています。
ざっくり説明すると「誇大広告や誤解を招く表現で消費者を騙してはいけない」ということです。
たとえば洗剤のCMひとつとっても「99.9%除菌」とは謳っても「100%」と宣伝している所はありませんよね?
あるいは消費者金融のCMの端っこ、あるいは最後の方に細かい字でビッシリ「注意書き」が書かれているのを見たことはありませんか?
(それでもコンプラ スレスレのグレーゾーンを攻める企業はあるのでしょうけど…。)
「まとも」な企業はその種の「法律」がある程度、消費者の「防御壁」になってくれています。
ですが問題は「まとも」でない人々、ハナからコンプライアンスを守る気のない企業や個人です。
そういう人々は誇大広告だろうが虚偽記載だろうが肖像権侵害だろうが何でもやります。
堂々と数字を偽り、堂々とウソを載せ、堂々と有名人の名を騙ります。
そうやって「つくられた」おいしい情報に、うっかり釣られてしまう人がいるのが今の時代なのです…。
「数字は嘘をつかない」で、「人間の言うこと」は疑っても「数字」にはホイホイ釣られてしまうという人も多いのでしょうが…
その「数字は嘘をつかない」には、実は「続き」があることをご存知でしょうか?
「数字は嘘をつかないが、人は数字で嘘をつく」です。
今の時代、魅力的なキャッチコピーだろうが、数字だろうがグラフだろうが、有名人のオススメだろうが、一旦は疑わなければいけない時代です。
ましてAIの進化によるデメリット(と言うより「規制」が無いことのデメリット?)で、その辺の個人でもいくらでも精巧なフェイクが作れてしまうような時代です。
(以前は「日本語があやしいサイトには注意」という「見分け方」もありましたが、それも通用しなくなりつつあります。)
こんな時代で真偽を見抜くひとつのポイントが「メリットだけを謳っていないか?」「デメリットにもちゃんと言及しているか?」なのではないでしょうか?
(騙す気満々の人は、わざわざ欠点なんて語りませんから…。)
その1つが「物事の良い面しか言って来ない人を信用してはならない」だったのですが…
…これ、今の世の中を見渡すと、ビックリするくらい「身についていない人」が多くないですか??
むしろ、投資詐欺だの、ラクに稼げるバイトだの、「おいしい話」にホイホイ乗って破滅したなんて話がゴロゴロ転がっているのが恐ろしいところです…。
自分は「うまい話には裏がある」と用心し、行動・選択の前には必ずワンテンポ置いて「よく考える」タイプなのですが…
世の中そんなに「ポジティブな情報」ばかりに釣られて安易に物事を決めてしまう人が多いのでしょうか?
自分はむしろ「プラスの情報しか出ていない」ものは余計に用心します。
なぜなら、物事には必ずメリット・デメリットの両面があるものだからです。
それなのに利点の方しか書いていない・話して来ないということは、相手に「欠点を隠さず公表するだけの誠実性が無い」ということです。
あるいは、必ず存在するはずのウィークポイントをまだ見出せていない――つまり「弱点を把握するだけの能力が無い」ということになります。
いずれにせよ、その相手が「信頼性に欠ける」ということになるのです。
日本には商人の間で古くから伝わる「三方よし」の精神があります。
すなわち「売り手」「買い手」「世間」の三方全てに良い効果をもたらす商売の仕方です。
今でも「ちゃんとした企業」は自社の利益だけでなく、消費者の信頼や社会貢献を考えた企業運営をしています。
しかしながら昨今は「ズルをしてでもユーザーを釣ろう」「数値を誤魔化してでも利益を上げよう」「消費者を騙してでも儲けよう」という真逆な精神性もはびこっているように感じられます。
もはや見知らぬ相手をホイホイ信用してはいけない時代――用心して自衛しなければ簡単に騙され、破滅させられてしまう時代なのです。
今の時代でも、真っ当な企業は一応「商品表示法(不当景品類及び不当表示防止法)」等の法律で縛られています。
ざっくり説明すると「誇大広告や誤解を招く表現で消費者を騙してはいけない」ということです。
たとえば洗剤のCMひとつとっても「99.9%除菌」とは謳っても「100%」と宣伝している所はありませんよね?
あるいは消費者金融のCMの端っこ、あるいは最後の方に細かい字でビッシリ「注意書き」が書かれているのを見たことはありませんか?
(それでもコンプラ スレスレのグレーゾーンを攻める企業はあるのでしょうけど…。)
「まとも」な企業はその種の「法律」がある程度、消費者の「防御壁」になってくれています。
ですが問題は「まとも」でない人々、ハナからコンプライアンスを守る気のない企業や個人です。
そういう人々は誇大広告だろうが虚偽記載だろうが肖像権侵害だろうが何でもやります。
堂々と数字を偽り、堂々とウソを載せ、堂々と有名人の名を騙ります。
そうやって「つくられた」おいしい情報に、うっかり釣られてしまう人がいるのが今の時代なのです…。
「数字は嘘をつかない」で、「人間の言うこと」は疑っても「数字」にはホイホイ釣られてしまうという人も多いのでしょうが…
その「数字は嘘をつかない」には、実は「続き」があることをご存知でしょうか?
「数字は嘘をつかないが、人は数字で嘘をつく」です。
今の時代、魅力的なキャッチコピーだろうが、数字だろうがグラフだろうが、有名人のオススメだろうが、一旦は疑わなければいけない時代です。
ましてAIの進化によるデメリット(と言うより「規制」が無いことのデメリット?)で、その辺の個人でもいくらでも精巧なフェイクが作れてしまうような時代です。
(以前は「日本語があやしいサイトには注意」という「見分け方」もありましたが、それも通用しなくなりつつあります。)
こんな時代で真偽を見抜くひとつのポイントが「メリットだけを謳っていないか?」「デメリットにもちゃんと言及しているか?」なのではないでしょうか?
(騙す気満々の人は、わざわざ欠点なんて語りませんから…。)
プレゼント選びって、難しいですよね…。
自分がかつて所属していたサークルでは、何かといってはメンバーにプレゼントを贈る「伝統」があったのですが、いつも悩みに悩んでいました。
贈る相手は親しい人間とは限らず、趣味や好みも分からない先輩や後輩もいます。
そして時には「皆からお金を徴収し、代表してプレゼントを買いに行く」こともあり、責任重大でした。
そんな時、自分がプレゼント選びのポイントにしたのが「エピソードを語れるプレゼント」でした。
たとえばサークルの大変な役職に就いた同級生への「就任祝い」には「疲れた時にはこれで癒されてください」という「リラクゼーショングッズ一式(入浴剤やアロマ?とかのいろいろ入った箱詰め)」。
同じフルートパートの先輩へのプレゼント(確か引退時のプレゼントか何かだったかと…)には「先輩が定期演奏会でソロを務めた曲のオルゴール」…といった風に。
…正直「何だこのプレゼントは!」と言われないための「言い訳」と言えなくもありません。
私見ですが、そもそも趣味も好みも価値観もまるで違う「他人」が選ぶのですから、その人が100%望むプレゼントなんて(事前にリクエスト受付でもしない限り)無理なのではないでしょうか?
ならばせめて「その人のことを考えて選んだプレゼント」だと伝わるモノの方が、喜ばれる確率は上がるのではないでしょうか?
もっとも、選んだモノによっては「私(俺)のこと全然分かってない」と思われてしまうかも知れませんが…。
あるいは、こういう考え方自体「善意の押しつけ」のように受け取られて、嫌がられてしまう可能性もありますが…。
少なくとも「自分の趣味」を押しつけたプレゼントや、変に奇をてらったプレゼントよりは良いのではないでしょうか?
(サークルでもらったプレゼントの中には「宝くじ1枚」とかも普通にありました…。夢はあるかも知れませんけど、ハズレたらタダの紙キレなんですよね…。なお、ハズレでした。)
あと、自分が心がけているのは「喜ばれなかったからと言ってネガティブにならない」ことです。
上にも書いたように、その人ならぬ「他人」が選ぶプレゼントに「絶対」などあるわけがありません。
きっと、どんな「プレゼント選びの達人」だって「100%ヒット」とは行かず「打ちもらす」ものもあることでしょう。
たとえプレゼントが喜ばれなかったとしても、その時は「あぁ…今回はハズレちゃったかぁ…」と軽くガッカリする程度で済ませておけば、後々変に感情をこじらせずに済むのではないかと。
間違っても「こんなに考えて選び抜いたプレゼントなのに、この程度の反応だなんて許せない!」「このプレゼントをこんなに雑に扱うなんてあり得ない!」と思い詰めない方が心身の健康のためかと。
個人的には、プレゼントとは「贈ってくれた相手がそれを選ぶために費やした手間と時間」も含めて受け取るものだと思っています。
ぶっちゃけ、もらったモノが「趣味に合わない」こともありますが、重要なのは相手が自分のために使ってくれた「手間と時間」。
プレゼントを贈る・贈られるとは、結局のところ「コミュニケーション」なんですよね。
「おはよう」や「ありがとう」に「何だその言い方はァ!」と憤る人なんていませんよね(…まぁ、世の中にはそういう人もいるかも知れませんけど…)?
「プレゼント」も同じで、中身がどうこうというものではないのではないでしょうか?
たとえ趣味に合わないものを贈られても「それはそれ、これはこれ」なのです。
(…まぁ「扱い」に困るものはありますけど…。サークルにいる間だけで何個のマグカップが溜まってしまったことか…。未だに手をつけずにしまってあるものも何個もありますし(食器棚の一部を自分のマグカップだけで独占してしまっていて申し訳ないのです)…。ハンカチとかだったら消耗が早いので何とかなるのですが、マグカップはそうそう割れるものでもないので…。なぜか、グラスはやたら割れるのですが…。)
…とは言え、誰もが皆そういう考えではないでしょうし、きっと「要らん物もらった…ゴミになる」という人もいることでしょう。
ですが、まぁ「それはそれ、これはこれ」。
プレゼントした相手が「ハズレだった」というだけのことなのです。
憤ったところで相手の性格が変わるわけでもなし、こちらの感情が疲弊して損をするだけです。
プレゼントのやりとりをする際には、この「相手の反応を期待しない」「プレゼントの中身を期待しない」を心がけておくだけで、だいぶ気持ちがラクになるかと。
なお「相手を想ったエピソード付きのプレゼント」は「ちょっとした知り合い」程度の相手だと逆に「重い」と引かれかねませんので、部活やサークル仲間のような「長い時間苦楽を共にしてきた相手」や「親しい相手」のみにしておいた方が良いかと(「誤解されたくない」異性相手にも注意した方が良いかと)。
ちょっとした知り合い程度の方へは、結局「実用的な消耗品」が一番なのではないかと、個人的には思っています。
(趣味に合わなかったとしても役には立ちますから。普段使うものよりワンランク上の品だと、なお良し。)
一番気軽にやりとりできるのは、お菓子や食品などなのですが…アレルギーやNG(持病に良くないもの、禁酒などの自主制限)があると、ちょっと難しいかな…と。
自分がかつて所属していたサークルでは、何かといってはメンバーにプレゼントを贈る「伝統」があったのですが、いつも悩みに悩んでいました。
贈る相手は親しい人間とは限らず、趣味や好みも分からない先輩や後輩もいます。
そして時には「皆からお金を徴収し、代表してプレゼントを買いに行く」こともあり、責任重大でした。
そんな時、自分がプレゼント選びのポイントにしたのが「エピソードを語れるプレゼント」でした。
たとえばサークルの大変な役職に就いた同級生への「就任祝い」には「疲れた時にはこれで癒されてください」という「リラクゼーショングッズ一式(入浴剤やアロマ?とかのいろいろ入った箱詰め)」。
同じフルートパートの先輩へのプレゼント(確か引退時のプレゼントか何かだったかと…)には「先輩が定期演奏会でソロを務めた曲のオルゴール」…といった風に。
…正直「何だこのプレゼントは!」と言われないための「言い訳」と言えなくもありません。
私見ですが、そもそも趣味も好みも価値観もまるで違う「他人」が選ぶのですから、その人が100%望むプレゼントなんて(事前にリクエスト受付でもしない限り)無理なのではないでしょうか?
ならばせめて「その人のことを考えて選んだプレゼント」だと伝わるモノの方が、喜ばれる確率は上がるのではないでしょうか?
もっとも、選んだモノによっては「私(俺)のこと全然分かってない」と思われてしまうかも知れませんが…。
あるいは、こういう考え方自体「善意の押しつけ」のように受け取られて、嫌がられてしまう可能性もありますが…。
少なくとも「自分の趣味」を押しつけたプレゼントや、変に奇をてらったプレゼントよりは良いのではないでしょうか?
(サークルでもらったプレゼントの中には「宝くじ1枚」とかも普通にありました…。夢はあるかも知れませんけど、ハズレたらタダの紙キレなんですよね…。なお、ハズレでした。)
あと、自分が心がけているのは「喜ばれなかったからと言ってネガティブにならない」ことです。
上にも書いたように、その人ならぬ「他人」が選ぶプレゼントに「絶対」などあるわけがありません。
きっと、どんな「プレゼント選びの達人」だって「100%ヒット」とは行かず「打ちもらす」ものもあることでしょう。
たとえプレゼントが喜ばれなかったとしても、その時は「あぁ…今回はハズレちゃったかぁ…」と軽くガッカリする程度で済ませておけば、後々変に感情をこじらせずに済むのではないかと。
間違っても「こんなに考えて選び抜いたプレゼントなのに、この程度の反応だなんて許せない!」「このプレゼントをこんなに雑に扱うなんてあり得ない!」と思い詰めない方が心身の健康のためかと。
個人的には、プレゼントとは「贈ってくれた相手がそれを選ぶために費やした手間と時間」も含めて受け取るものだと思っています。
ぶっちゃけ、もらったモノが「趣味に合わない」こともありますが、重要なのは相手が自分のために使ってくれた「手間と時間」。
プレゼントを贈る・贈られるとは、結局のところ「コミュニケーション」なんですよね。
「おはよう」や「ありがとう」に「何だその言い方はァ!」と憤る人なんていませんよね(…まぁ、世の中にはそういう人もいるかも知れませんけど…)?
「プレゼント」も同じで、中身がどうこうというものではないのではないでしょうか?
たとえ趣味に合わないものを贈られても「それはそれ、これはこれ」なのです。
(…まぁ「扱い」に困るものはありますけど…。サークルにいる間だけで何個のマグカップが溜まってしまったことか…。未だに手をつけずにしまってあるものも何個もありますし(食器棚の一部を自分のマグカップだけで独占してしまっていて申し訳ないのです)…。ハンカチとかだったら消耗が早いので何とかなるのですが、マグカップはそうそう割れるものでもないので…。なぜか、グラスはやたら割れるのですが…。)
…とは言え、誰もが皆そういう考えではないでしょうし、きっと「要らん物もらった…ゴミになる」という人もいることでしょう。
ですが、まぁ「それはそれ、これはこれ」。
プレゼントした相手が「ハズレだった」というだけのことなのです。
憤ったところで相手の性格が変わるわけでもなし、こちらの感情が疲弊して損をするだけです。
プレゼントのやりとりをする際には、この「相手の反応を期待しない」「プレゼントの中身を期待しない」を心がけておくだけで、だいぶ気持ちがラクになるかと。
なお「相手を想ったエピソード付きのプレゼント」は「ちょっとした知り合い」程度の相手だと逆に「重い」と引かれかねませんので、部活やサークル仲間のような「長い時間苦楽を共にしてきた相手」や「親しい相手」のみにしておいた方が良いかと(「誤解されたくない」異性相手にも注意した方が良いかと)。
ちょっとした知り合い程度の方へは、結局「実用的な消耗品」が一番なのではないかと、個人的には思っています。
(趣味に合わなかったとしても役には立ちますから。普段使うものよりワンランク上の品だと、なお良し。)
一番気軽にやりとりできるのは、お菓子や食品などなのですが…アレルギーやNG(持病に良くないもの、禁酒などの自主制限)があると、ちょっと難しいかな…と。
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