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  <title type="text">覚書き思考メモ</title>
  <subtitle type="html">日々ふと思うことを徒然なるままに書き綴る個人的エッセイあるいは回想録。</subtitle>
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  <updated>2018-04-05T23:03:24+09:00</updated>
  <author><name>津籠睦月</name></author>
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    <published>2026-04-19T16:36:41+09:00</published> 
    <updated>2026-04-19T16:36:41+09:00</updated> 
    <category term="世の中いろいろ私的分析" label="世の中いろいろ私的分析" />
    <title>「賛否両論」の「議論の仕方」を知っている人がほぼいない問題</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[ＳＮＳをはじめとするネットの世界では、連日、何かしら「<span style="color: #008080;"><strong>賛否両論</strong></span>」のバトルが勃発しています。<br />
　<br />
「皆が自由に意見を言い合う」ことって、普通は「良いこと」のはずなのですが&hellip;<br />
　<br />
ネットを見ていると、とてもそんな風には思えません。<br />
　<br />
どうにも「言い合い」が「議論」にならず「言葉の暴力の応酬」「バトるだけバトって終わり」になっている気がしてならないのです。<br />
　<br />
これでは見ていて気持ち良くないですし、<span style="color: #008080;"><strong>ＳＮＳ疲れ</strong></span>する人が増えて当然ですよね&hellip;。<br />
　<br />
しかも、様々な意見は出るものの、時が経てば皆の興味も別の話題に移り、忘れ去られてしまいます。<br />
　<br />
皆の心を傷つけてまで意見を言い合ったわりに、何の建設的な結果も得られず「<span style="color: #008080;"><strong>うやむや</strong></span>」になって終わり&hellip;<br />
　<br />
そして「うやむや」なままで「何も変わっていない」せいで、そのうちまた<span style="font-size: large;">似たような過ちを繰り返す</span>ことさえあります。<br />
　<br />
&hellip;どうしてこうなってしまうのでしょう？<br />
　<br />
そして、ネットの世界のこの「ギスギス」を、どうにか解消する方法は無いものなのでしょうか？<br />
　<dl><dt><span style="font-size: large;">他者の意見を拒否する人々（自分の意見しか認めない）</span></dt></dl><dl><dd>　<br />
過去記事に書いた<a href="https://brainmemorandum.blog.shinobi.jp/life-mental-philosophy/issue-of-all-yes-man" title="全肯定しか認めない現代人">全肯定しか認めない人々</a>とも重なる話なのですが&hellip;<br />
　<br />
ネットの中には「<span style="font-size: large;">自分の意見</span>しか認めない」「<span style="font-size: large;">他者の意見</span>には耳も貸さない」人々がいます。<br />
　<br />
「自分の意見」を<span style="font-size: large;">他者にも押しつけ</span>「全世界がそれを認めなければ許さない」&hellip;そんな態度の人々がいます。<br />
　<br />
これではそもそも「議論のテーブルについている」とは言えません。<br />
　<br />
他者の意見を聞ける「覚悟」の無い人間に「<span style="color: #008080;"><strong>議論</strong></span>」はできないのです。<br />
　<br />
「議論」とは「いくつか出た意見のうち、１つを採択して終わり」というものではありません。<br />
　<br />
本来は、並べられた意見の「良いところ」は採用し「悪いところ」は補い合って「意見を調整し、アップデートしていく場」のはずなのです。<br />
　<br />
「相手を言い負かしたら勝ち」というものでもなければ、味方を増やして「多数決で圧し潰せば勝ち」というものでもありません。<br />
　<br />
まして「自分の意見を言いたいだけ言って終わり」の場ではないのです。<br />
　<br />
&hellip;そもそも世の人々は「自分の意見を通したい」と思いこそすれ「議論をしたい」なんて思ってもいないのかも知れません。<br />
　<br />
でも、「自分の意見を言うだけ言って終わり」「他の意見なんて聞く気も無い」では、あまりにフェアではありませんよね？<br />
　<br />
それはもう「議論」ではなく、ただの「ワガママな自己主張」なのです。<br />
　</dd><dt><span style="font-size: large;">どんな意見もあって良い（○○な奴は喋るなの間違い）</span></dt></dl><dl><dd>　<br />
この種のバトルでよく散見されるのが「知識の無い奴は喋るな」「初心者は黙ってろ」「思考の歪んだ奴は一生黙ってろ」といった感じの「言論封殺」です。<br />
　<br />
&hellip;確かに「見当違い」な意見を持ち込んで場を掻き回す人間は「有益な議論だけしていたい」人々にとって「邪魔」なものでしょう。<br />
　<br />
ですが、たとえ「見当違い」で「邪魔」なものでも、<span style="font-size: large;">意見は意見</span>なのです。<br />
　<br />
それを「知識が無いから」「初心者だから」と封じてしまうのは、結局は「言論の自由の侵害」と同義なのです。<br />
　<br />
こういう場合の「知識の有る人間」「経験値の多い人間」「思考が健全な人間」の為すべきことは「<span style="font-size: large;">一旦意見を聞いた上で</span>、間違いを訂正し、歪みを正すこと」です。<br />
　<br />
つまり「言わせるだけ言わせてから、反論する」のが正しいやり方なのです。<br />
　<br />
&hellip;それをしない（できない）のは、その手順が「面倒くさい」あるいは「無駄な時間に思えてしまう」せいなんでしょうね&hellip;。<br />
　<br />
あるいは昨今は、こちらが「正しい知識で反論」しても、相手側が「聞く耳を持たずに反発してくる」&hellip;しかも過剰に反撃してこちらを叩いてくる可能性があるから&hellip;というのもあるかも知れません。<br />
　<br />
（それと、昨今は「間違った意見」であってもバズれば広まり、信じてしまう人が増えるので、その「間違った意見」を最初から言わせないようにしたい&hellip;というのもあるのかも知れません。）<br />
　<br />
それでも、ある種の人々に対して「意見を言うな」というのは、いずれ<span style="font-size: large;">自分たちの側にもブーメランで返って来かねない</span>「言論の自由のリスク因子」なのです。<br />
　<br />
それに「物を知らないからこそ出せる意見」というものも、世の中にはあります。<br />
　<br />
<span style="font-size: large;">先入観や固定観念に縛られないからこそ出てくる「自由な発想」</span>が、凝り固まった議論に風穴を開ける可能性だってあるのです。<br />
　<br />
その可能性を失わせないためにも「言論の自由」は誰にでも開かれていなければならないのです。<br />
　</dd><dt><span style="font-size: large;">大事なのは「聞く耳」と、自論にこだわらない「思考力」</span></dt></dl><dl><dd>　<br />
「聞く耳を持たない人々」が議論を成り立たせなくするなら、その解決策は簡単です。<br />
　<br />
つまり皆が<span style="font-size: large;">「聞く耳」を持てれば良い</span>のです。<br />
　<br />
そもそも「聞く耳を持たない人々」が、<span style="font-size: large;">なぜ</span>聞く耳を持てなくなるのか&hellip;<br />
　<br />
それはおそらく「<span style="color: #008080;"><strong>自論</strong></span>にこだわり過ぎる」せいなのではないでしょうか？<br />
　<br />
「自分の意見に反対する声は、気分が悪くなるので聞きたくない」あるいは「自論を脅かす意見は、不安になるので聞きたくない」&hellip;<br />
　<br />
意図的にしろ無意識にしろ、そんな「拒絶」が「聞く耳」を失わせてしまっているのではないでしょうか？<br />
　<br />
&hellip;ですが、思うにたぶん、ここが「<span style="font-size: large;">知性の分かれ目</span>」なんですよね&hellip;。<br />
　<br />
何故なら、本当に賢い人間は<span style="font-size: large;">「自分の意見が採用されること」にこだわらない</span>からです。<br />
　<br />
だって、周りの声を一切拒絶して自分の意見を貫き通したところで&hellip;<br />
　<br />
その意見が「間違っていた」なら、周り中を皆巻き込んで「破滅」するだけじゃないですか。<br />
　<br />
本当に賢い人間は「自分の意見を通す」ことよりもまず「自分が意見を間違わないこと（間違っていたなら素早く修正すること）」を優先させるのです。<br />
　<br />
どんなに知能の高い人間も、ピースのそろっていないパズルでは答えを間違えることがあります。<br />
　<br />
だから賢い人間は、常に「足りない」ことを恐れ、情報を求めます。<br />
　<br />
自分の持っていない視点を、他の誰かが見つけてはいないかと、むしろ異論を漁るのです。<br />
　<br />
異論を「一旦受け止めた上で矛盾点を指摘する」ならともかく&hellip;<br />
　<br />
「頭ごなしに拒絶する」のは、そもそも思慮の足りていない人間のすることです。<br />
　<br />
そこに気づかず意固地に異論を拒絶している時点で、見る人には「あぁ&hellip;その程度の人間なんだな&hellip;」というのが分かってしまうのですが&hellip;<br />
　<br />
恥ずかしげもなくその「足りなさ」を見せつけている人間が多いのを見ると&hellip;<br />
　<br />
そこに気づけている人間って、意外と多くないということなのでしょうか&hellip;？<br />
　<br />
<span style="font-size: small;">「頭が良い」と思われている人の中にも「そういう人」がいることを、常々不思議に思ってきたのですが&hellip;</span><br />
<span style="font-size: small;">　</span><br />
<span style="font-size: small;">ひょっとしたらこれって、ＩＱではなくＥＱの領域の話なのかも知れませんね&hellip;。</span><br />
　<br />
そもそも議論が「うやむや」に終わってしまうのも、皆が皆「自論」にばかりこだわって「妥協点」すら見出せていないせいです。<br />
　<br />
「自論」を棄てて思考が自由に開かれれば、他の道も見えてくるはずなのですが&hellip;。<br />
　<br />
自論にこだわって、それを「疑うこともできない」のって、結局、思考を狭める「足枷」でしかないんですよね&hellip;。<br />
　<br />
そんなことで思考力を低下させ、その分「愚かな人間」になってしまうのは、とても「もったいない」ことだと思うのですが&hellip;<br />
　<br />
皆さん「自論」にこだわるわりに、自分の「賢さ・愚かさ」に関しては、あまりこだわりが無いのでしょうか？</dd></dl><br />
<hr /><br />
＜関連記事＞<br />
　<br />
・<a href="http://brainmemorandum.blog.shinobi.jp/private-view-the-world/risk-of-repulse-objection" target="_blank">「自分と違う意見」を「おもしろい異論」と思えない人の危機感の無さ<br />
</a>]]> 
    </content>
    <author>
            <name>津籠睦月</name>
        </author>
  </entry>
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    <id>brainmemorandum.blog.shinobi.jp://entry/112</id>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://brainmemorandum.blog.shinobi.jp/life-mental-philosophy/select-opinion-no-thinking" />
    <published>2026-04-05T11:10:39+09:00</published> 
    <updated>2026-04-05T11:10:39+09:00</updated> 
    <category term="心の持ちよう・人生の歩み方" label="心の持ちよう・人生の歩み方" />
    <title>「好きな意見を採用して終わり」は「思考」ではない（思考力低下する現代人）</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[「何だか最近、世の人々の<span style="color: #008080;"><strong>思考力</strong></span>が低下していないか？」&hellip;この頃ますます、そんな不安に襲われることが増えました。<br />
　<br />
ＳＮＳなどのネットの世界では<span style="font-size: 14px;">「思考の浅い人」の意見ほど目立ちやすい</span>傾向があるので、そう思ってしまうだけなのかも知れませんが&hellip;<br />
　<br />
（ネットでは「声のデカい人」の意見ほど目立つものですし、「声のデカい人」は往々にして「慎重さに欠ける」「深く考えずに物を言う」所があるので&hellip;。）<br />
　<br />
ひとつ気になっているのは「最近<span style="font-size: large;">『思考』ができていない</span>人が増えているのでは？」ということです。<br />
　<br />
物事や意見を、自分の「<span style="font-size: large;">好き嫌い</span>」だけで選んで「それが<span style="font-size: large;">正しいのかどうか</span>」を考えようとしない&hellip;<br />
　<br />
その物事や意見が「どうしてそうなったのか」「この先どうなるのか」を考えようとしない&hellip;<br />
　<br />
あるいはそもそも「自分の」好き嫌いですら選ばず「<span style="font-size: large;">皆が</span>こうしているから」で「大きな流れに身を任せるだけ」&hellip;<br />
　<br />
世の人々が「そんな風」に見えてしまうのは、自分だけなのでしょうか？<br />
　<br />
「そんな風」に生きるのは、ある意味「ラク」な生き方なのかも知れませんが&hellip;<br />
　<br />
自分には「とてもじゃないけど選べない、<span style="font-size: large;">恐過ぎる生き方</span>」に思えてなりません。<br />
　<br />
だって、普通に考えて「自分の好き」がいつも「正しい」とは限らないじゃないですか。<br />
　<br />
「どうしてこうなっているのか」「この先に何が起こりそうなのか」も考えずに物を選ぶのって、普通に怖いじゃないですか。<br />
　<br />
「皆がそうしている」大きな時代の流れが、とんでもない地獄を招いた事例なんて、歴史に山ほどあるじゃないですか。<br />
　<br />
それなのに「そういう生き方を選ぶ」って、自分で自分の人生に<span style="color: #008080;"><strong>破滅フラグ</strong></span>を立てるようなものじゃないですか？<br />
　<br />
&hellip;これって「意識が平和ボケしている」か否かの問題なのでしょうか？<br />
　<br />
日本は「皆の真似して大きなレールに乗っていれば生涯安泰な暮らしが送れる」時代が、そこそこ長く続いていました。<br />
　<br />
なので「自分の人生は自分で守らなければならない」という感覚がマヒしてしまっている人が多いのでしょうか？<br />
　<br />
あるいは、そもそも現代人は「思考する」という<span style="color: #008080;"><strong>習慣</strong></span>を、いつの間にか失ってしまっているのでしょうか？<br />
　<br />
現代は「知識」や「情報」に溢れています。<br />
　<br />
チョロッと調べればノウハウが見つかるこの時代では「考える」必要が減ってしまっているのかも知れません。<br />
　<br />
でも「筋肉は使わなければ衰える」のと一緒で「脳も使わなければ衰える」んですよね&hellip;。<br />
　<br />
どうも最近、「考えて自分の意見を出す」人が減り「ネットで見つけた『好みな意見』に賛同するだけ」の人が増えているような気がするのですが&hellip;気のせいでしょうか？<br />
　<br />
「自分の意見を言っている」フリをしながら、実は「ネットで見かけた意見や知識の受け売りをしているだけ」だったり&hellip;<br />
　<br />
議論しているフリをしながら「言葉の揚げ足とり」に終わって、本質にまるで触れられていなかったり&hellip;<br />
　<br />
（&hellip;まぁ、コレについては「国会」でさえ「よく見られること」ですのでアレなのですが&hellip;。）<br />
　<br />
最悪、感情的に他者の意見を「肯定」or「否定」するだけで終わっていたり&hellip;<br />
　<br />
世の中がこんな「思考できない」人間ばかりになってしまったら、どうなってしまうのか&hellip;そんな不安に駆られてしまいます。<br />
　<br />
個人的に、「思考」のポイントって「<span style="font-size: large;">前提を疑ってみること</span>」だと思っているのですが&hellip;<br />
　<br />
どうも世の中、これが「できる」人って稀少な気がするんですよね&hellip;。<br />
　<br />
与えられた知識や情報を「わー、そうなんだ」と受け入れるばかりで、何も疑問に思わない人の方が多いように思えます。<br />
　<br />
自分は小学生の時から「なるべく先入観を持たないように生きる」ことを心掛け、結果「何事にも疑問の目を向ける」習慣が身についたのですが&hellip;<br />
　<br />
&hellip;こんな生き方をしている人間って、かなり奇特な部類に入るのでしょうね&hellip;。<br />
　<br />
（なお思考力が上がった結果、「問題解決力が上がる」「学力が爆伸びする」という「副産物」も派生し、人生を大いに助けてくれました。高校時代、人間不信でやさぐれていても、周囲からちょっぴり一目置かれて３年間を乗り切れたのは、たぶんコレのおかげ。）<br />
　<br />
過去記事でもちょこちょこ書いていますが「疑う」という行為はべつに、ネガティブなだけのモノでは無いのです。<br />
　<br />
一旦疑って、様々な反論をシミュレーションしてみたけれど「やっぱり正しかった」と、<span style="font-size: large;">より「肯定感」が増す</span>こともありますし&hellip;<br />
　<br />
疑わなければ<span style="font-size: large;">「欠点」「弱点」「落とし穴」の洗い出し</span>もできません。<br />
　<br />
「疑い」がネガティブに捉えられがちなのは、その「疑い」を自分の「嫌いなもの」「不審に思うもの」にばかり向けるからです。<br />
　<br />
（さらに言うと、それを「否定的」な方向にばかり疑うせいです。「もしかしたら正しいのかも知れない」と「肯定的」な方向に疑うこともできるはずなのに&hellip;。）<br />
　<br />
「疑い」はむしろ、自分の「好きなもの」「信じるもの」にこそ向けないと、人生の大切な選択を間違えかねないのです。<br />
　<br />
＜関連記事：<a href="http://brainmemorandum.blog.shinobi.jp/life-mental-philosophy/self-denial-skill-is-useful" target="_blank">自分を&ldquo;健全に&rdquo;疑い否定する技術</a>＞]]> 
    </content>
    <author>
            <name>津籠睦月</name>
        </author>
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    <id>brainmemorandum.blog.shinobi.jp://entry/111</id>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://brainmemorandum.blog.shinobi.jp/life-mental-philosophy/issue-of-all-yes-man" />
    <published>2026-02-23T10:38:52+09:00</published> 
    <updated>2026-02-23T10:38:52+09:00</updated> 
    <category term="心の持ちよう・人生の歩み方" label="心の持ちよう・人生の歩み方" />
    <title>「全肯定しか許さないマン」が世の中を息苦しくする</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<div>この頃、どうにも世の中がギスギスして息苦しい&hellip;<br />
　<br />
それが何故なのか考えてみた時、ひとつ「これが原因なのでは？」と思い当たるものがありました。<br />
　</div><table border="1"><tbody><tr><td align="left" style="font-size: 12px; font-family: 'ＭＳ 明朝'; line-height: 1.5em; color: #000024; background-color: #e8e8e8; padding: 7px;">もちろん、原因は１つではなく、複数の要因が複雑に絡み合って「世の空気」を悪くしているのでしょうが&hellip;。<br />
<br />
全部を挙げていくと大変なことになるので、ここではとりあえず１つの説だけ取り上げています。</td></tr></tbody></table>　<div>　<br />
それはズバリ「<span style="color: #008080;"><b>全肯定しか許さないマン</b></span>」が増えていることです。<br />
　　　</div><dl><dt><span style="font-size: large;">異論や疑問を極端に嫌う「全肯定しか許さない」人々</span></dt><dd><br />
　<br />
ＳＮＳや動画のコメント欄では、意見の違うユーザー同士がバチバチに火花を散らし合っている様がよく見受けられます。<br />
　<br />
こういった「<span style="color: #008080;"><strong>意見の対立</strong></span>」自体は、古くから&hellip;それこそネットができる前からよくあることでしょうし&hellip;<br />
　<br />
「人間が大勢生きていれば、どうしても起きてしまう<span style="color: #008080;"><b>宿命</b></span>」ですので、どうしようもないことではあるのですが&hellip;<br />
　<br />
最近どうにも気になっているのは、それが「議論」を生まずに、ただ意見の違う相手を「非難し合う」だけで終わっていることです。<br />
　<br />
<table border="1"><tbody><tr><td align="left" style="font-size: 12px; font-family: 'ＭＳ 明朝'; line-height: 1.5em; color: #000024; background-color: #e8e8e8; padding: 7px;">中にはちゃんと「その意見に至った理由」を述べて、相手を「納得」させようと試みている方もいらっしゃいますが、数はそんなに多くない印象ですね（そもそも<span style="color: #008080;"><strong>言語化能力</strong></span>が高くないと無理なことですので、そういう意味でも数が少なくなってしまうのかも知れませんが）&hellip;。<br />
　<br />
むしろ最近は「非難する」どころか、相手を貶め、嘲笑するだけのコメントも多いですよね&hellip;。<br />
　<br />
嫌な（いじめ等やらかす系の）小学生男子ノリを感じてビミョウな気持ちになるのですが&hellip;まぁ、匿名性の高いネット世界だと、もしかしたら本当に低年齢なユーザーが書いている可能性も無いわけではないですよね&hellip;。</td></tr></tbody></table>　<br />
最近のＳＮＳや様々なメディアを見ていると、どうも「自分の推しているモノに少しでも文句を言う奴は許さない」「疑問を持つことさえ許さない」「異論は認めない」という感じで「全肯定しか認めない」人々が増えているように見えます。<br />
　<br />
「違う意見」が出てくると、即座に反論して叩き潰そうとしていく&hellip;<br />
　<br />
そうやって「<span style="color: #008080;"><strong>疑問</strong></span>」や「<span style="color: #008080;"><strong>異論</strong></span>」を圧力で封殺しようとするムーブが、様々なところで起きているように見受けられるのです。<br />
　<br />
「全肯定しか許さない」人々は、そうやって「自分の好きなもの」を「守りたい」のでしょうが&hellip;<br />
　<br />
それが逆に、その「好きなもの」のイメージダウンに繋がってしまっている例も、現実にはよくあります。<br />
　<br />
いわゆる「ファンの民度が低いから」嫌になってしまうパターンです。<br />
　<br />
もちろん、ファンはあくまでファンで、その人々が推しているコンテンツなりアーティストなりとは「別物」なのですが&hellip;<br />
　<br />
それを切り離して考えることができず、「空気が悪いから去っていく」という人々は、確実に存在するのです。<br />
　<br />
&hellip;まぁ、それでそのコンテンツなりアーティストなりの人気がなくなったとしても、「全肯定しか許さないマン」たちは「最初に異論を言ってきた方が悪い」と言うのかも知れませんが&hellip;。<br />
　</dd><dt><span style="font-size: large;">「全肯定しか許さない」が異論の「全否定」に繋がってしまう</span></dt></dl><dl><dd>　<br />
「全肯定しか許さない」の何が悪いのかと言うと、それがそのまま相手の意見の「<span style="color: #008080;"><strong>全否定</strong></span>」になっているから、なのです。<br />
　<br />
反対側の立場に立って考えてみれば分かると思うのですが&hellip;<br />
　<br />
自分の言うことを、頭ごなしに「それは駄目だ」と否定されたら、ムッとしますよね？<br />
　<br />
一旦意見を聞いた上で「こういう理由があるから、それは違うんだ」と言われるならまだしも&hellip;聞く耳も持たずに拒絶されれば、嫌な気持ちになりますよね？<br />
　<br />
拒絶された本人も不満を抱くでしょうし、時には傍でそれを見ていた人が「それはひどい」「その言い方はあんまりなんじゃないか」と口を出してくることもあるでしょう。<br />
　<br />
「全肯定しか許さないマン」の反論で<span style="color: #008080;"><b>対立が激化しやすい</b></span>のは、おそらく、そういうことなのではないでしょうか？<br />
　<br />
そしてさらに問題をややこしくするのが、「異論」や「疑問」を意見する人の中にも「自分の意見には全肯定しか許さない」という人がいることです&hellip;。<br />
　<br />
「全肯定しか許さない」ＶＳ「全肯定しか許さない」は、当然「平行線」にしかなりません。<br />
　<br />
つまり問題は「<span style="color: #008080;"><b>相手の意見に耳を傾ける</b></span>」ということが「できていない」人だらけなのがマズい&hellip;ということなんですよね&hellip;。<br />
　</dd><dt><span style="font-size: large;">「異なる意見」を「攻撃」と捉える人々の過剰反応</span></dt></dl><dl><dd>　<br />
なぜ昨今は「相手の意見を聞けない」人が増えているのか&hellip;<br />
　<br />
原因は、自分と異なる意見を「攻撃」と受け止め、<span style="color: #008080;"><strong>過剰反応</strong></span>してしまう人が多いからかと思われます。<br />
　<br />
あるいは「自分の好きなもの」「自分の意見」が「認められない」「受け入れられない」こと自体を「攻撃」と受け取る人も増えているのではないかと&hellip;。<br />
　<br />
世の中には様々な種類の人間がいて、そこには必ず自分とは「異なる」意見の人もいます。<br />
　<br />
自分とは真逆の趣味嗜好を持っていて、自分の「好きなもの」を好きになってくれない人もいます。<br />
　<br />
それが「<span style="color: #008080;"><strong>多様性</strong></span>」ですし、個人でどうこうできるものではない「この世の理」なのですが&hellip;<br />
　<br />
まず、そこからして理解できず「なんでこの意見が通らないんだ！？」「ひどい！」「攻撃された！」となってしまっている人が多いように見えるのです。<br />
　<br />
この構図、もっと単純化して見てみれば、どういうことなのかすごく分かりやすいと思うんですけどね&hellip;。<br />
　<br />
たとえば世の中、納豆が好きな人もいれば、嫌いな人もいます。<br />
　<br />
好きな人は「健康にも良くて、おいしくて、こんな最高な食べ物、他に無い！」くらいに言うかも知れませんが&hellip;<br />
　<br />
嫌いな人は「匂いだけでもう無理。ネバネバしてるのもキモチワルイ」と拒否してくることでしょう。<br />
　<br />
どうしても受け付けない人に、無理に納豆を勧めても嫌われるだけです。<br />
　<br />
納豆推しの人だって「こんなに美味しいのに勿体ない」と思いこそすれ「納豆を認めないなんて許せない！」とはならないのではないでしょうか？<br />
　<br />
なのに、なぜ「意見」や「推しのコンテンツorアーティスト」では皆が意固地になってしまうのか&hellip;<br />
　<br />
それはおそらく無意識のうちに、自分の「意見」や「推し」を「<span style="color: #008080;"><b>絶対視</b></span>」してしまっているからではないでしょうか？<br />
　<br />
食べ物の好き嫌いのように「そりゃ好きな人もいれば嫌いな人もいるよね」という方向へ行けず、「みんな絶対これを好きになるはず」「これを嫌いになるなんて頭おかしい」という方向に、思考が「歪んで」しまっているのではないかと&hellip;。<br />
　<br />
よく「恋は盲目」と言いますが、それと似た形で、何かが「見えなくなってしまっている」のではないでしょうか？<br />
　<br />
&hellip;まぁ、中には「分かっていて」それでも「自分の意見が通らないなんて嫌だ！」という我の強い人もいるのでしょうけど&hellip;。<br />
　<br />
<table border="1"><tbody><tr><td align="left" style="font-size: 12px; font-family: 'ＭＳ 明朝'; line-height: 1.5em; color: #000024; background-color: #e8e8e8; padding: 7px;">あと、現代社会が既に誹謗中傷だらけの「ストレス社会」になってしまっていることも一因なのかも知れないな&hellip;と。<br />
　<br />
ＳＮＳ等あちこちで「他者をディスる」発言が散見され、人々がナーバスになってしまっているため、「ディスり」の意図の無い発言さえも「攻撃」と思い込み、過敏に反応してしまうのではないかと。<br />
　<br />
言葉は意外と感情や本心を伝えにくいもので、<span style="color: #008080;"><strong>「読み手」の読み取り方次第</strong></span>なところもあるので&hellip;。<br />
　<br />
（だからスタンプや絵文字など「感情を補助」して「誤解を生まない」ためのツールがあるのでしょうけど&hellip;。なぜかこの<span style="color: #008080;"><b>便利機能</b></span>「古い」というだけで使われなくなってきていますよね？絵文字発祥の日本より、最近はむしろ海外でよく使われている印象があります。何故なんでしょうね&hellip;？）</td></tr></tbody></table></dd><dt><span style="font-size: large;">　<br />
「他人の意見の受け止め方」を知らない人々</span></dt></dl><dl><dd>　<br />
好きなものを否定されれば、誰だって気分が悪くなります。<br />
　<br />
なので、それを否定してくる人の発言になど一切耳を貸したくない&hellip;そう思ってしまうのは、ごく当たり前な「感情」です。<br />
　<br />
ですが、それをそのまま「感情」で返せば、ただ醜い争いが生まれるだけです。<br />
　<br />
自分が人生でたびたび思い巡らせるテーマのひとつに「<span style="color: #008080;"><strong>頭の良い人と、そうでない人との違い</strong></span>は何なのか？」があるのですが&hellip;<br />
　<br />
個人的に思っている１つの「答え」が、「頭の良い人は&ldquo;自分にとって気分の良くない意見&rdquo;にも、ちゃんと耳を傾ける」ということです。<br />
　<br />
たとえ自分の好きなモノを否定する意見であったとしても&hellip;<br />
　<br />
自分の信じてきたものを揺るがすような発言であったとしても&hellip;<br />
　<br />
端からシャットアウトすることはせず、「この意見は正しいのだろうか？」「何を根拠にこの考えに至ったのだろうか？」を考えるのです。<br />
　<br />
逆に「中途半端に頭の良い人」がやらかしがちなミスに「『自分の意見は正しいのだから、必ず受け入れてもらえる』と信じ込んでしまう」ことがあります。<br />
　<br />
「正論が常に受け容れられるとは限らない」は、よく言われることですが&hellip;<br />
　<br />
そもそも人は上にも書いたように「自分にとって気分の良くない意見」には心を閉ざしてしまうものなのです。<br />
　<br />
相手の意見を正論で論破したとしても、ただ一時的に憂さが晴れるだけで、相手からは恨みを買うばかり。納得も何も得られない可能性は高いです。<br />
　<br />
本気で相手を説得したいなら、まずはその相手がどういう人なのか――どういう人物で、どういう背景があってその思考・発言に至ったのか――それを見極め、相手の心に確実に刺さる言葉を選ばなければなりません。<br />
　<br />
&hellip;ですが、どうも世の中「感情をぶつける」だけで気が済んでしまう人が多いようで&hellip;<br />
　<br />
結果、ただ互いに傷つけ合うばかりで、建設的な議論も妥協点を見出すことも、何もできずに終わってしまっているんですよね&hellip;。<br />
　<br />
１つ、推測していることがあるのですが&hellip;<br />
　<br />
否定的な意見や異論を受け止められない人って、「それに耳を貸すだけで、それを認めたことになってしまう」と思い込んではいないでしょうか？<br />
　<br />
「理解」し「分析」することと、それを「肯定」し「認める」こととは別物なのですが&hellip;<br />
　<br />
そこをゴッチャにして「全否定」「全拒絶」してしまっている人が多いのではないかと。<br />
　<br />
否定派の意見や異論を聞く時に大事な心構えは「へぇ～。世の中にはそういう意見もあるんだな」の姿勢です。<br />
　<br />
肯定するでもなく否定するでもなく「有るものは有る」と、ありのままに認めることです。<br />
　<br />
そこからして拒絶して目をつぶったところで、否定的意見も異論もなくなりはしません。<br />
　<br />
大切なのは、異なる意見が多様に存在するこの世界で、どうやってバランスを取っていくのかということ。<br />
　<br />
相手の意見を封殺することでも、多数決で押し潰すのでもなく、どう妥協点を見つけて意見を調整していくか、なのです。<br />
　</dd><dt><span style="font-size: large;">「全肯定」が「妄信」に繋がるリスク</span></dt></dl><dl><dd>　<br />
自分が「自分にとって気分の良くない意見」にも耳を傾けるのは、自分の好きなものを「全肯定」することが「<span style="color: #008080;"><strong>妄信</strong></span>」に繋がりかねないことを知っているからです。<br />
　<br />
物事には何でも良い面と悪い面があります。<br />
　<br />
それなのに「全部を肯定する」ということは、悪い面から目を逸らし、弱点を弱点のまま放置するということです。<br />
　<br />
その弱点は、いずれ全体を蝕む病巣ともなりかねません。<br />
　<br />
早い段階で気づいて処置できれば、その弱点をも克服し、全体的にもっとレベルを上げられるかも知れないのに&hellip;<br />
　<br />
「妄信」は成長の機会を奪い、なくせたはずのリスクを「そのまま」にしてしまうのです。<br />
　<br />
（人間関係でも、周りが「イエスマン」ばかりだと良くないと言いますよね？）<br />
　<br />
「妄信」というものがどれほど恐ろしいかは、歴史の数々が物語っています。<br />
　<br />
だから自分は、自分の「好きなもの」「大事なもの」にこそ、必ず「疑問の目」を向けるようにしています。<br />
　<br />
「疑い」は、必ずしもネガティブな感情ではありません。<br />
　<br />
疑って、弱点や欠点に気づいても、それを「好きなまま」でいることはできるのです。<br />
　<br />
&hellip;むしろ「全肯定」しかできない人というのは、弱点や欠点に「気づかされて」しまったら、「好きの気持ち」が消えていってしまう愛の薄い人々なのでしょうか？<br />
　<br />
「好きなもの」でも全部を全部「肯定」する必要はありませんし、「嫌いなもの」「意見の合わないもの」でも、全部を全部「否定」する必要は無いのです。<br />
　<br />
&hellip;どうにも今の世の中、そういう「分けて考える」ことができない不器用な人が多そうですよね&hellip;。<br />
　</dd></dl>]]> 
    </content>
    <author>
            <name>津籠睦月</name>
        </author>
  </entry>
  <entry>
    <id>brainmemorandum.blog.shinobi.jp://entry/110</id>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://brainmemorandum.blog.shinobi.jp/private-view-the-world/x-new-function-risk" />
    <published>2025-12-29T21:51:27+09:00</published> 
    <updated>2025-12-29T21:51:27+09:00</updated> 
    <category term="世の中いろいろ私的分析" label="世の中いろいろ私的分析" />
    <title>Ｘの画像ＡＩ編集機能はＸユーザーだけの問題ではない（Ｘユーザーに無断投稿されれば終わり）</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<div>つい先ごろ、Ｘ（旧Ｔｗｉｔｔｅｒ）で「Ｘ上の画像を自他問わずＡＩ編集できる機能」が実装され、物議を醸していますが&hellip;<br />
　<br />
これ、実はＸユーザーだけの問題ではないんですよね。<br />
　<br />
それどころか、全世界・全人類がＡＩフェイクの被害者となり得る、あまりにも無責任な機能実装なのですが&hellip;<br />
　<br />
これ、気づかずにやっているとしたら経営者としての想像力が無さ過ぎますし、分かった上でやっているとしたら企業としてのタチが悪過ぎるのですが&hellip;<br />
　<br />
皆さん、ひょっとして、まだこのことには気づいていないのでしょうか？<br />
　</div><br />
<dl><dt><span style="font-size: large;">本人がＸユーザーでなくとも、Ｘユーザーに画像ＵＰされてしまえば「終わり」</span></dt><dd><br />
　<br />
こういった「悪用されかねない機能」が実装された場合、よく言われるのが「嫌ならそのＳＮＳを出て行けばいいじゃないか」ですが&hellip;<br />
　<br />
今回の機能実装の場合、Ｘを退会したからと言って<span style="font-size: large;">リスクがなくなるわけではありません</span>。<br />
　<br />
なぜなら、本人がＸユーザーでなかったとしても、Ｘの現役ユーザーに無断・無許可で画像投稿されてしまえば「終わり」だからです。<br />
　<br />
たとえば時々「有名人がネットに勝手にプライベート写真を載せられた」という炎上事案、ありますよね？<br />
　<br />
勝手に盗撮された上、それをＸ上でＡＩフェイク加工されてしまうとしたら&hellip;あまりにもあんまり過ぎやしませんか？<br />
　<br />
（そもそも有名人なら、ニュースメディアの記事で顔写真が載っている可能性も高いですし&hellip;。）<br />
　<br />
もちろん被害者は有名人に限りません。<br />
　<br />
ママ友に勝手に子どもの写真を投稿された&hellip;という事例も聞いた（読んだ）ことがありますし&hellip;<br />
　<br />
たまたまそこに写り込んでしまっただけの一般人だって、被害者になり得るのです。<br />
　<br />
それに、展示会などで撮った他者のアート作品、本の表紙や、お気に入りの小物etc&hellip;<br />
　<br />
Ｘ上に投稿されたあらゆるモノが、ＡＩフェイクのリスクに晒されます。<br />
　<br />
それも、当事者のあずかり知らぬところで、いつの間にかフェイク画像を作られかねないのです。　<br />
<br />
その他にも&hellip;Ｘにはよく、アニメの感想がその場面のスクショ画像と共に投稿されていたりします。<br />
　<br />
そもそもそのスクショ画像投稿自体が無断・無許可で著作権的にアウトな可能性大なのですが&hellip;<br />
　<br />
これまでは「ＳＮＳで盛り上がってくれる分には構わない」ということで、著作権者に「黙認」されてきたところがあるのではないでしょうか？<br />
　<br />
実写作品やアニメのスクショを使った「大喜利」や、画像つき「ネットミーム」などもそんな感じで「本来ならアウトだけど目をつぶってもらえていた」部分があるのではないでしょうか？<br />
　<br />
&hellip;ですが、そんな版権画像がＡＩで改変可能だとなったら、どうでしょう？<br />
　<br />
「もうスクショ画像はＵＰするな」あるいは「Ｘに投稿するのだけはやめてくれ」という感じで、規制が厳しくなってしまう可能性もあると思いませんか？　　</dd></dl><br />
<dl><dt><span style="font-size: large;">法令違反の責任はユーザーに丸投げな企業姿勢</span></dt><dd><br />
　<br />
言うまでもない話なのですが、生成ＡＩを間に挟もうと何だろうと、著作権侵害は著作権侵害で、肖像権侵害は肖像権侵害です。<br />
　<br />
&hellip;が、昨今はその種の法令違反の責任を、ユーザー側だけに負わせようとするＡＩ事業者も多いのです。<br />
　<br />
法律についての知識も無ければ、プラットフォームの利用規定やガイドラインもロクに読み込まない&hellip;そんな利用者は、数多いと思われます。<br />
　<br />
（利用規定やガイドラインって、大概細かい文字がビッッッシリで、読むのが嫌になるものばかりですからね&hellip;。いつの間にか改訂されていて、その変更内容を追えていないパターンもありますし&hellip;。）<br />
　<br />
そういう利用者がプラットフォームに新たな機能を見つけたら「これ、使っても良いんだ」「これで何でもやって良いんだ」という誤解をしかねません。<br />
　<br />
&hellip;ですが、例えばそれで著作権侵害が起きたとしても、それは「利用者の責任」「我々は一切責任を負いません」というのが、企業側の姿勢です。<br />
　<br />
（Ｘは来年１月に利用規定を改定しますが、そこにそういう姿勢が明示される（ユーザーが責任を負うことがより明確に反映される）予定のようです。）<br />
　<br />
Ｘについてもそうですが、動画生成ＡＩ「Sora」を有するオープンＡＩ社も著作権侵害に対してはそんな姿勢なんですよね&hellip;。<br />
　<br />
オープンＡＩはそもそも、ユーザーの法令違反どころか、著作権保護さえ著作権者に丸投げしようとして批判を浴びた過去があります。<br />
　<br />
Sora２がリリースされた際、著作権がオプトアウト方式という「著作権者が拒否の申し立てをしない限り、著作物をＡＩで自由に使われてしまう」というシステムが問題となりました。<br />
　<br />
恐ろしいことにコレ、Sora2の利用者だけの話ではないのです。<br />
　<br />
全世界の著作物が、拒否申請しない限り「勝手にＡＩ生成動画に使われてしまう」という話だったのです。<br />
　<br />
（中にはＳｏｒａ２の存在自体「気づいていない」著作権者もいるでしょうに&hellip;。）<br />
　<br />
実際、Sora２ではポケ○ンやドラゴンボー○などの日本のコンテンツも勝手に生成され、各所から批判が出ました。<br />
　<br />
（そんなこともあり、現在はオプトイン方式に変更されたとか&hellip;。）<br />
　<br />
海外のＡＩ事業者はそんな感じで「これで批判が出ないとでも思ってたのか？」くらいなシステムや機能を平気で出して来ることが多々あります。<br />
　<br />
日本に住んでいる我々は「企業が出してくれているからには使って良いものなのだろう」「サービスとして世に出ているものなのだから合法で安全なのだろう」と勝手に思い込んでしまっている所があるのではないでしょうか？<br />
　<br />
ですが海外の企業は日本の企業とは考え方がまるで違います。<br />
　<br />
「使って良いのだろう」と勝手に思い込んで安易に使うと痛い目を見ます。<br />
　<br />
（オンラインカジノなども、そんな感じで「使って良いと思っていた」「違法だとは知らなかった」で逮捕されてしまった例も多いと聞きますし&hellip;。）<br />
　<br />
なので、ちゃんと知識を学んで自分で自分を守らなければなりません。<br />
　<br />
つまりは、法令違反しないための著作権法の学習なども、ユーザーの側が負わなければならないということなのです。<br />
　<br />
（これが「タダより高いものはない」なんでしょうね&hellip;。だから、そこら辺の意識がしっかりしていて「三方よし」な精神を守ってくれる日本企業がＡＩで覇権を獲ってくれないかと思ってしまうのです&hellip;。まぁ最近は国内企業だからと言って安心しきれない部分もありますが&hellip;。）<br />
　</dd><dt><span style="font-size: large;">性善説前提のシステムなんて、もう無理なのでは？</span></dt><dd><br />
　<br />
上の項目を読んでもお分かりかと思いますが&hellip;<br />
　<br />
事業者は「我々は機能をリリースしただけ。悪用されても、悪用する人間が悪いだけ」というスタンスです。<br />
　<br />
まるで悪用する人間など「ほとんどいない」とでも言いたげな姿勢ですが&hellip;<br />
　<br />
過去の事例を見れば、ＳＮＳの悪用事例なんて、ＡＩが浸透する前から既に山ほどあるんですよね&hellip;。<br />
　<br />
大災害が起きた際に災害に関するフェイクニュースが流れたり、被災者を装って助けを求める投稿があったり&hellip;<br />
　<br />
Ｘ上でもかなりありましたし、問題にもなりましたので、運営が把握していないとは思えないのですが&hellip;<br />
　<br />
それでも事業者は「悪用されたらとんでもないことになる機能」を平気で世に出すのでしょうか？<br />
　<br />
今の世の中を見ていると「性善説」&hellip;すなわち「人は元々善だから、悪いことなんてしない」を前提としたシステムなんて、もう無理があるように見えます。<br />
　<br />
&hellip;というよりそもそもコレは、性善説を隠れ蓑にした企業側の責任放棄なのではないでしょうか？<br />
　<br />
自分は一応、大学で法律を学んできた人間ですので「権利と義務は表裏一体」という考えを持っています。<br />
　<br />
企業として利益を得ておきながら、そのサービスによって生み出される実害は「我関せず」というのは、許されるものなのでしょうか？<br />
　<br />
サービスを提供するなら、そのサービスが「世にもたらすもの」について、ある程度の責任や義務を負うのは「当たり前」なのではないでしょうか？<br />
　<br />
&hellip;むしろ世の人々は、もっとそこの部分（責任を丸投げされている件）を怒って良いと思うのですが&hellip;。<br />
　<br />
ちなみに、この手の議論でよく言われるのが「包丁だって良いことにも悪いことにも使える」ですが&hellip;<br />
　<br />
日本では６ｃｍを超える長さの刃物って、銃刀法違反でそうそう持ち歩けないんですよね。<br />
　<br />
猟銃なども免許や保管方法が厳しく法令で決められています。<br />
　<br />
そういう「危ないモノが危ない目的に使われないように」というルールって、ちゃんと考えられて整備されているのです（それでも防げない事件はありますが&hellip;）。<br />
　<br />
&hellip;ですが、ＡＩはまだ技術的に新し過ぎて法律も規制も間に合っていません。<br />
　<br />
今のＡＩ事業者たちのやり口って、そういう「ルールが間に合っていない」ことを逆手に取った「暴走」なんですよね&hellip;。<br />
　<br />
こんな事業者ばかりが覇権を争い合っているＡＩ業界って、本当に何だか嫌になるんですが&hellip;。<br />
　</dd><dt><span style="font-size: large;">ＡＩ改変機能がある限り「Ｘ上の画像はとりあえず全て疑ってかかる」が原則になる</span></dt><dd><br />
　<br />
上でも書いたＳｏｒａ２では、あまりにもリアルなフェイク動画が作れてしまうことも問題となっています。<br />
　<br />
一応ロゴは出るのですが、ずっと出続けるわけでも、そこまで目立つわけでもなく、加工で消されてしまっている例すらあります。<br />
　<br />
そもそもＳｏｒａ自体を知らない人にとっては、そのロゴだけでＡＩだと気づくこともできないため、いろいろと問題なのです。<br />
　<br />
そんなこともあって、近頃はＡＩでのフェイク動画／画像に嫌悪感や拒否感を持つ人も増えている印象があります。<br />
　<br />
&hellip;それはそうですよね。<br />
　<br />
本物だと思って信じていたら「実は存在しなかった」って&hellip;普通に「騙された」と、ネガティブ感情を抱く案件じゃないですか。<br />
　<br />
個人的なことを言わせてもらえば、自分は「リアルに存在する猫」を愛でたいのであって、どんなに可愛く利口な猫でも「存在しない猫」を愛でさせられたくはないのです。<br />
　<br />
存在しない猫を一瞬でも「わ～、可愛いネコチャン♪」などと思ってしまった日には、その感情の行き場がなくなり、どうにもならないモヤモヤばかりが残ってしまうのです。<br />
　<br />
（最初から存在しないと分かりきっている「あきらかＣＧな猫」や「アニメやイラストな猫」は当然、話が別です。）<br />
　<br />
&hellip;で、話を戻してＸの件ですが&hellip;<br />
　<br />
Ｘの件の新機能は、そんなＡＩ画像を、お手軽に作れてＵＰできてしまう機能です。<br />
　<br />
（しかも、自分の画像だけでなく、他人の画像も使えてしまう点がタチが悪すぎるのです。）<br />
　<br />
つまりは今後、Ｘ上には相当数のＡＩフェイク画像が溢れてしまう可能性がある、ということです。<br />
　<br />
ＡＩフェイクは悪用だろうと悪用ではなかろうと、見る人を混乱させる可能性が高いシロモノです。<br />
　<br />
うっかりそれを「本物」だと信じてしまうと、痛い目に遭いかねないのです。<br />
　<br />
（ＡＩで「盛りに盛った」人物画像や商品画像を「リアル」と勘違いした後、本物を見てガッカリ&hellip;というパターンは出てくるでしょうし&hellip;。上でも書いたように「勝手にＵＰされた有名人の画像」も加工できてしまうとなると、既に問題となっているような「有名人を使った詐欺広告」も簡単に作れてしまうわけです。）<br />
　<br />
今後、Ｘ上に上がっている画像はとりあえず、一旦全て疑ってかからなければならないのかも知れません。<br />
　<br />
&hellip;これも事業者がユーザーに押しつけている「責任」なのかも知れませんね。<br />
　<br />
正直、こんな企業姿勢という時点で、見限る理由が山ほどあるのですが&hellip;<br />
　<br />
そろそろ本気でＸ離れを考えてみる時期なのでしょうか&hellip;？<br />
　</dd></dl>]]> 
    </content>
    <author>
            <name>津籠睦月</name>
        </author>
  </entry>
  <entry>
    <id>brainmemorandum.blog.shinobi.jp://entry/109</id>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://brainmemorandum.blog.shinobi.jp/private-view-the-world/cause-of-ai-stagnation" />
    <published>2025-12-18T00:40:43+09:00</published> 
    <updated>2025-12-18T00:40:43+09:00</updated> 
    <category term="世の中いろいろ私的分析" label="世の中いろいろ私的分析" />
    <title>「囲い込み型」ＡＩは、ＡＩの未来さえ閉ざす（持続可能性の無いＡＩシステム）</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<div>このまま行くと、<span style="color: #008080;"><strong>ＡＩの進化</strong></span>は確実に止まる――自分がそう危惧しているのには、理由があります。<br />
　<br />
それは、多くのＡＩ事業者が利用者を「囲い込む」ことに夢中になり、ＡＩの「外」に人を送り出していないからです。<br />
　<br />
&hellip;と、ここまで言っても、多くの人々は「それで何故ＡＩの進化が止まるのか」ピンと来ないことでしょう。<br />
　<br />
下手をするとＡＩを運営する「事業者」ですら、そこへの想像が働いていないのかも知れません。<br />
　<br />
&hellip;だって、そこの想像力が真っ当に働くなら、こんなあからさまな「自滅行動（消極的な自殺行為）」を取っているはずがありませんので&hellip;。　</div><dl><dt><span style="font-size: large;">どんなにＡＩ精度が進化しても、学ぶべき情報が無ければ意味が無い</span></dt><dd><br />
どうにも皆さん「ＡＩ」と言うと「半導体」ですとか「データセンター」ですとか「ＡＩモデル」ですとか、ハード面やシステム面の進化や精度ばかり気にしているようですが&hellip;<br />
　<br />
そもそもＡＩって「情報」を「深層学習」することによって進化しているものですよね？<br />
　<br />
ＡＩそのものの精度をどれほど上げたところで、学ぶべき「情報」が存在しないなら、まるで意味が無いはずなのですが&hellip;<br />
　<br />
なぜか昨今のＡＩ事業者たちは、その情報源を「減滅させる」方向に動いています。<br />
　<br />
皆さんもご存知の通り、昨今の大手ＡＩ事業者は「ネット上の情報」を学習させることでＡＩの開発コストを抑えているのですが&hellip;<br />
　<br />
そうやって出来上がったＡＩは、情報源から得た情報を「要約」して出しはするものの、情報源へのリンクを出さなかったり、出しても目立たせなかったりして、利用者をＡＩの「外」へ出さないように「囲い込んで」います。<br />
　<br />
（なお、ＡＩ事業者は情報源への正当な対価を支払っていないことでも度々問題（訴訟）になっています。某検索サイトＧのＡＩモードがＥＵから競争法違反の疑いで調査されていたり&hellip;。）<br />
　<br />
実際、国内での某検索サイトＧ経由のサイト訪問は、ここ２年で３３％も減少しています。<br />
　<br />
実はこれ、ＡＩ学習の「情報源の崩壊」の一歩手前な状況なのですが&hellip;<br />
　<br />
このまま行くと数年後にはＡＩの学習すべき情報が枯渇するか、あったとしても相当に質の低いものばかりになり、ＡＩの存在意義自体が危ぶまれることになりかねないのですが&hellip;<br />
　<br />
皆さん、本気でこの状況の意味するものに気づいていないのでしょうか？？？<br />
　</dd><dt><span style="font-size: large;">サイトやブログは訪問者あってのもの</span></dt><dd><br />
日本には質の高い情報を提供してくれるサイトやブログがたくさんあります。<br />
　<br />
それは決して「大手」のマスコミや企業のものばかりでなく、中小企業や個人のものでさえ、きめ細やかな「お役立ち情報」を出してくれています。<br />
　<br />
実際自分も、冠婚葬祭の折、ブライダル事業者や葬儀社のサイトにどれだけ助けてもらったか知れません。<br />
　<br />
でも、この種の「お役立ち情報」&hellip;べつに「ボランティア」で提供されているわけではないのです。<br />
　<br />
もちろん「世の役に立とう」という意識はあるでしょうが、その最大の目的は「その情報によって人を呼ぶこと」。<br />
　<br />
サイトやブログに人を集めることが目的なのです。<br />
　<br />
たとえ受注につながらない遠い地方からの閲覧だとしても、訪問者数が増えれば評価が上がり、検索上位表示される可能性が上がります。<br />
　<br />
そうやって利用者と情報提供者のWin-Winの相互利益関係で回っていたのが、今までのネットの世界だったのです。<br />
　<br />
ですがＡＩの登場は、この関係性を崩します。<br />
　<br />
皆が皆ＡＩ回答やＡＩ要約だけで満足して、サイトやブログに行かなくなってしまったら&hellip;<br />
　<br />
わざわざ時間と手間をかけてネットに情報提供しても、何の意味もなくなってしまいますよね？<br />
　<br />
ビジネス系サイトのみならず、個人の趣味のサイトも同様です。<br />
　<br />
ＨＰやブログ、動画サイトなどで様々な趣味のノウハウを紹介してくれている方は多いですが&hellip;<br />
　<br />
どれもこれも「見てくれる人がいるから続けていられる」のではないでしょうか？<br />
　<br />
苦労して記事や動画をまとめてＵＰしても、見てくれる人もなく、反応も無い&hellip;そんな状況が続けば、心が折れてやめてしまう人も多く出て来るのではないでしょうか？<br />
　<br />
（さらには自分のＵＰした「人のためになる情報」をＡＩに「横取り」されて、得られるはずだった「反応」も「報い」も全て持って行かれていると知ってしまったら、絶望以外の何ものでもありませんよね？）<br />
　<br />
ＡＩがユーザーを囲い込んでネットへの流入を阻めば阻むほど、ネットは不活性化し、有益な情報がどんどん消えていきます。<br />
　<br />
いわばＡＩ事業者がやっていることは「立派なダムを作って水を貯めたけれど、水源を枯らそうとしている」行為なわけですが&hellip;<br />
　<br />
&hellip;本当に何故、こんな自滅行動に走っているのでしょう？<br />
　<br />
<table border="1"><tbody><tr><td align="left" style="font-size: 12px; font-family: 'ＭＳ 明朝'; line-height: 1.5em; color: #000024; background-color: #e8e8e8; padding: 7px;">そもそもＡＩユーザーの何割かは「ネットで集客するためのコンテンツをＡＩで作りたい」という人々でしょうが&hellip;<br />
<br />
ＡＩで優れたコンテンツを作れたところで、そのコンテンツへの集客自体をＡＩによって阻まれてしまうなら、何の意味もないですよね？<br />
むしろ、ただ無駄にＡＩに時間（あるいは利用料も）を取られただけになってしまいますよね？<br />
<br />
広告主に「ＡＩモードができてもサイトへのトラフィックは減りませんから大丈夫ですよ」的なことを言っておきながら、実際ガッツリ流入を減らしている某検索サイトといい、どうしてＡＩ事業者って、そういうことをするんでしょうね？</td></tr></tbody></table>　</dd><dt><span style="font-size: large;">真っ当な事業者は「持続可能性」を求める</span></dt><dd><br />
もしかしたらＡＩ事業者は「ＡＩに必要な情報は既に得た。あとは用済みだ」とでも言うつもりなのかも知れませんが&hellip;<br />
　<br />
それだとＡＩ開発当時のネット情報を永遠に擦り続けるばかりで、時代に合わせたバージョンアップもできません。<br />
　<br />
（世の常識やマナーは時代によって変化していくものです。新しい情報が得られなければ、ＡＩ回答は古い情報のままで「いつの時代の話？」ということになってしまいます。）<br />
　<br />
あるいはＡＩ事業者は「どれだけ水源を荒らそうと、どこからか水は湧き出るものさ」と楽天的な考えでいるのかも知れませんが&hellip;<br />
　<br />
その「水」が「以前と同じ質」とは限りません。<br />
　<br />
むしろ「ＡＩ生成コンテンツ」ばかり増えて「既にＡＩが知っている情報」をＡＩが「再学習」するという、新たなフェーズの「<a href="http://kotonohano25mori.web.fc2.com/gendaiyougo/model-autophagy-disorder.html" target="_blank">ＡＩ狂牛病（モデル自食症：Model Autophagy Disorder）</a>」が発生するだけかも知れません。<br />
　<br />
今ならまだ、確実に質が高いと分かっている情報源を、確実に守ることができるのに&hellip;<br />
　<br />
わざわざそれを潰して、質がどうかも分からない、湧き出るかも分からない「次」に期待するなんて、あまりにも非合理的です。<br />
　<br />
&hellip;この非合理的な企業姿勢を見てふと思ったのが「もしかして、海外に寿命の長い企業が少ないのは、そういうことだったのか？」ということでした。<br />
　<br />
たとえば日本の企業は、山から木を伐採した分、また新たな苗木を植えて森を育てたりしますよね？<br />
　<br />
木を伐るだけ伐ってそこで「おしまい」ではなく、この先もずっとそれを続けられるよう、持続可能なサイクルを作っているのです。<br />
　<br />
海外のビジネス事情には詳しくありませんが、そういう考えを持っている企業って、海外では少ないのでしょうか？<br />
　　<br />
目先の利益を取るだけ取って、数年後の自分たちの首を自分で締めて破滅しても「時代の流れが悪かった」で終わりなのでしょうか？<br />
　<br />
その数年後の破滅を回避するために「今」できることがあるのに&hellip;<br />
　<br />
そこに想像を働かせ行動しようという意識を、まるで持っていないのでしょうか？<br />
　</dd><dt><span style="font-size: large;">ＡＩとネット文化が「共存」する道は普通にある</span></dt><dd><br />
ＡＩの進化を止めず、ネット文化の衰退も防ぐ&hellip;その方法は、普通に存在します。<br />
　<br />
言うまでもないことですが&hellip;ＡＩがむしろ積極的に、ネットの各サイト・ブログへの人の流出を推し進めれば良いのです。<br />
　<br />
いわば、これまでの検索サイトの「上位互換」になれば良いわけですが&hellip;<br />
　<br />
これが出来ていないのって、ＡＩ事業者が「そんなことをしたらＡＩの利用時間が減るじゃないか！」「ＡＩに人が戻って来なくなったらどうする！？」と過剰に身構えてしまっているからなのでしょうか？<br />
　<br />
&hellip;それでＡＩの進化が止まって使い物にならなくなったら本末転倒なのですが&hellip;<br />
　<br />
人ってそこまでして、他者に利益を持たせたがらないものなんですかね？？<br />
　<br />
自分だけが利益を独占して、結果それで首が回らなくなっても良いのでしょうか？？<br />
　<br />
むしろ、ＡＩとネットの各サイト・ブログとの間にWin-Winな相互利益関係が生まれれば、どちらも共に寿命を延ばしていけるはずなのですが&hellip;。<br />
　<br />
ＡＩ事業者が閉ざそうとしているものは、もしかしたらＡＩの未来のみならず、人類そのものの未来なのかも知れませんよね&hellip;。<br />
　<br />
<table border="1"><tbody><tr><td align="left" style="font-size: 12px; font-family: 'ＭＳ 明朝'; line-height: 1.5em; color: #000024; background-color: #e8e8e8; padding: 7px;">ちなみに、ＡＩ事業者によるコンテンツの無断学習＆利用問題については、最近ニュース記事で見たＫＤＤＩとGoogle Cloudの戦略提携の話が、個人的に気になっています。<br />
予め許諾を得たコンテンツを生成ＡＩへ提供し、それをユーザーが使えば収益が分配される仕組みを想定しているようですが&hellip;。<br />
記事の内容だけでは、その仕組みで「どこまで」のコンテンツ提供者をカバーできるのかは分かりませんでしたが&hellip;。</td></tr></tbody></table></dd></dl>]]> 
    </content>
    <author>
            <name>津籠睦月</name>
        </author>
  </entry>
  <entry>
    <id>brainmemorandum.blog.shinobi.jp://entry/108</id>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://brainmemorandum.blog.shinobi.jp/private-view-the-world/ai-choise-future-choise" />
    <published>2025-12-06T22:25:07+09:00</published> 
    <updated>2025-12-06T22:25:07+09:00</updated> 
    <category term="世の中いろいろ私的分析" label="世の中いろいろ私的分析" />
    <title>良識の無いＡＩ事業者を選ぶと、未来が破壊される</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[「ＡＩ生成物」と「そうでないもの」を<span style="color: #008080;"><strong>見分ける</strong></span>ために、ＡＩ生成物には特定の「印（マーク）」を付けるべき&hellip;<br />
　<br />
今さらここで言わずとも、<span style="font-size: large;">既に有識者によって散々言われてきたこと</span>なのですが&hellip;<br />
　<br />
<span style="font-size: large;">なぜそれが必要なのか</span>、少し考えれば分かりますよね？<br />
　<br />
&hellip;そうしないと、<span style="color: #008080;"><strong>フェイク</strong></span>をうっかり信じてしまう人が多発して、<span style="color: #008080;"><strong>世の中が大混乱</strong></span>するからです。<br />
　<br />
生成ＡＩの精度が向上すれば、もはやＡＩ生成画像（動画）と「そうでないもの（オリジナル）」を区別するのは不可能とさえ言われていますが&hellip;<br />
　<br />
それ、普通に困りますよね？<br />
　<br />
日常で当たり前に目にする画像や動画を、いちいち「これは本物、これは実在しないフェイク」と判断していかなければならないって&hellip;<br />
　<br />
普通に「生活が困難になる」レベルじゃないですか。<br />
　<br />
しかもフェイクは「熊が出た」「政治家がこんな発言をした」という、生命の危機に関するものや、政治判断を左右するものにまで及んでいます。<br />
　<br />
（あるいは「この動物は人が平気で触れるほど安全な生き物」という誤解を生んでしまう「間接的に人の命を脅かす」動画など。）<br />
　<br />
昨今「本物と見分けがつかないフィッシングサイト」や「より巧妙な迷惑メール」が急増しているのも、生成ＡＩの精度向上と無関係とは思えません。<br />
　<br />
（ロマンス詐欺や「なりすまし」にもＡＩのディープフェイクが使われたりしていますし&hellip;。）<br />
　<br />
ＡＩで造られたものが「本物と区別できない状態」は、<span style="color: #008080;"><strong>社会の混乱</strong></span>や<span style="color: #008080;"><strong>犯罪</strong></span>を招くのです。<br />
　<br />
さらに言えば、大人でも混乱するこの状況&hellip;<br />
　<br />
まだ現実とフィクションの区別もつかない<span style="color: #008080;"><strong>幼い子ども</strong></span>には、なおさら「<span style="color: #008080;"><strong>悪影響</strong></span>」を及ぼすリスクがあります。<br />
　<br />
（実際、スペインの大学では動物動画のフェイクが子どもに及ぼす影響の研究が行われています。）<br />
　<br />
&hellip;これ、一定以上の知能がある方なら、誰でも気づくことかと思うのですが（さらに言えば、既に世の中がこの状態で、気づかない人がいるとも思えないのですが）&hellip;<br />
　<br />
何故ＡＩ事業者は、未だにＡＩ生成物に「そうと分かる印」を入れないのでしょう？<br />
　<br />
「たとえ入れたところで、その印を加工で消されてしまえばそれまでだ」という考えもあるかと思いますが&hellip;<br />
　<br />
その「加工して消さなければ使えない」という「一手間」が加わるだけでも、悪戯や犯罪の何％かは低減させられるはずなのです。<br />
　<br />
（<span style="color: #008080;"><strong>犯罪予防のポイント</strong></span>の１つは、<span style="color: #008080;"><strong>相手に「面倒くさい」と思わせること</strong></span>ですので。「生成ＡＩに頼めば、その印も一瞬で消されてしまう」という懸念もありますが、ＡＩ事業者なら「どんなプロンプトを与えられても消せない印」をＡＩに仕込むことも可能なのでは？）<br />
　<br />
実を言うと、最近出た某Ｏ社の生成動画アプリ「Ｓｏｒａ（2）」では、生成した動画にロゴが埋め込まれるようになりました。<br />
　<br />
最初にネットニュースの記事でこれを読んだ時は個人的に「やっとか&hellip;」と思い、多少はＡＩ事業者を「見直す」気になったのですが&hellip;&hellip;&hellip;&hellip;<br />
　<br />
<table border="1"><tbody><tr><td align="left" style="font-size: 12px; font-family: 'ＭＳ 明朝'; line-height: 1.5em; color: #000024; background-color: #e8e8e8; padding: 7px;">正直、ＡＩ事業者は安全問題やプライバシー問題や著作権問題等々、何かと後手に回っていて「何かあって余所から文句を言われないと動かない」イメージがあります。<br />
なので、個人的には信頼性など微塵も感じたことはありません。<br />
そこら辺の意識が「ちゃんとした」安心安全な国内企業が出て来て覇権を取ってくれないものかと、常日頃から思っているくらいです。<br />
&hellip;そもそも海外産のＡＩに依存すること自体、いろいろリスクがありますし&hellip;。</td></tr></tbody></table><br />
このロゴの出方、思ったのと違っていました。<br />
　<br />
てっきり画面のどこかに「ずっと」ロゴが出ているものだとばかり思っていたのですが&hellip;<br />
　<br />
このロゴ、一定時間で消えてしまう上、半透明なので動画によっては目立ちません。<br />
　<br />
最初から出ているわけでもありませんし、サムネイルにもロゴが載っていないことがあります。<br />
　<br />
&hellip;そもそも出ているロゴが「Ｓｏｒａ」というアプリの名前だけなんですよ&hellip;。<br />
　<br />
自分も実際にリリースされるまでは「アプリの名が入っていれば大丈夫だろう」と思っていたのですが、認識が低過ぎました&hellip;。<br />
　<br />
ＹｏｕＴｕｂｅなどのコメント欄を読んで初めて気づいたことなのですが&hellip;<br />
　<br />
「アプリの名」で「ＡＩか否か」を区別できるのは「そのアプリを認知している人だけ」なのです。<br />
　<br />
ＡＩにそれなりの興味を持って情報収集している人間なら「Ｓｏｒａ？ああ、あのＡＩ動画が作れるやつか」となるでしょうが&hellip;<br />
　<br />
そうでもない一般の人々にとって、その名は<span style="font-size: large;">まだそれほど認知度の高いものではない</span>のです。<br />
　<br />
なので、ロゴを入れるとしたら「ＡＩ Ｍｏｖｉｅ ○○」「ＡＩ Ｐｉｃｔｕｒｅ ○○」のように、アプリ名とともに「ＡＩであることが分かる文言」を入れるべきだったのでしょう。<br />
　<br />
（ついでに言うと、どうせ一定時間でロゴが変化するなら、ロゴの表示場所が何秒かごとに変わる<span style="font-size: small;">（そしてずっとどこかしらに出続けている）</span>とかだと、加工で印を消すのが面倒くさくなって良いのでは？）<br />
　<br />
&hellip;ただ、まぁ&hellip;&hellip;入れるようになっただけでもだいぶ「マシ」ではあるので、そこは大いに評価したい所ですが&hellip;<br />
　<br />
他の「何もしていない」ＡＩ事業者は、フェイクが世の中を害するこの状況を、どう思っているのでしょう？<br />
　<br />
「印を入れる」の他にも「ＡＩならではの特徴づけをする」など、対策の立てようはいくらでもあるはずです。<br />
　<br />
なのに、<span style="color: #008080;"><strong>利益</strong></span>を得るだけ得ておいて、社会に生まれる<span style="color: #008080;"><strong>損失</strong></span>は見て見ぬフリをする&hellip;それって、許されることなのでしょうか？<br />
　<br />
「悪用する側が悪い」という理屈はあるとしても、事業者がその悪用に何の「予防策」も打たない理由にはならないじゃないですか。<br />
　<br />
この問題を思うたびに「あれ？ＰＬ法ってアメリカ発祥じゃなかったんだっけ？アメリカって『それを作った者にはそれなりの責任がある』っていう考えの国じゃなかったんだっけ？」と不思議に思うのですが&hellip;<br />
　<br />
（現在ＡＩ事業者の有名どころは、大体アメリカの企業なんですよね&hellip;。）<br />
　　<br />
&hellip;まぁ、アメリカも最近いろいろ変わってきていますからね&hellip;。<br />
　<br />
利益は巻き上げられるだけ巻き上げておいて、まき散らされる混乱は「知らんぷり」っていうのが、最近のスタンスなんですかね&hellip;？？<br />
　<br />
さらに不思議なのは、この事態に対して一般企業および一般の人々がほとんど声を上げていないことなのですが&hellip;<br />
　<br />
（ＡＩ生成の詐欺メールや偽サイト、フェイク情報によるデマで迷惑している企業さんも相当数いらっしゃるでしょうに&hellip;。）<br />
　<br />
皆さん、この事態を放置しているＡＩ事業者に対して、何も思うところは無いのでしょうか？<br />
　<br />
自分は正直、不信感を持っていますし「社会的責任に対する意識が低いのでは？」と思っています。<br />
　<br />
&hellip;あるいは低いのは、「自社サービスが世の中に与える影響」に対する「想像力」の方なのかも知れませんが&hellip;<br />
　<br />
どちらにせよ、こんな姿勢の事業者にＡＩ業界の覇権を取ってもらいたくはありません。<br />
　<br />
ユーザーには利用するＡＩを選択する自由があります。<br />
　<br />
あるいは「選択する余地も無い」ほど無責任なＡＩ事業者しかいなかったとしても&hellip;<br />
　<br />
そこに対して声を上げ、改善を求める（改善されない限りは利用しない）自由があります。<br />
　<br />
そしてそれは、<span style="color: #008080;"><strong>未来に対する「選択」</strong></span>でもあるのです。<br />
　<br />
フェイク含むＡＩの「悪用」に対し何の対策も取らない事業者と、ちゃんと取り組む事業者&hellip;<br />
　<br />
<span style="font-size: large;">「どちらを選ぶかで、人類の未来は変わってくる」と言っても過言ではない</span>のです。<br />
　<br />
皆さん、無料だとか利便性だとか、そんな部分ばかりでＡＩを選んでいるかも知れませんが&hellip;<br />
　<br />
ぶっちゃけ、そんなものより「<span style="font-size: large;">もっと重要なもの</span>」があるのです。<br />
　<br />
目先の安さや便利さと引き換えに、平穏に暮らせるはずだった未来を永遠に喪う（ＡＩ犯罪だらけの未来を生んでしまう）とか&hellip;割に合わないにもほどがあるじゃないですか。]]> 
    </content>
    <author>
            <name>津籠睦月</name>
        </author>
  </entry>
  <entry>
    <id>brainmemorandum.blog.shinobi.jp://entry/107</id>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://brainmemorandum.blog.shinobi.jp/private-view-the-world/crazyopinion-sanity-or-not" />
    <published>2025-11-29T11:24:52+09:00</published> 
    <updated>2025-11-29T11:24:52+09:00</updated> 
    <category term="世の中いろいろ私的分析" label="世の中いろいろ私的分析" />
    <title>ネタなのかガチなのか分からない、そこが問題なのだ。</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<span style="color: #008080;"><strong>文字だけのメディア</strong></span>は「<span style="color: #008080;"><strong>感情</strong></span>」が伝わらない・分からない（なので誤解を生む）&hellip;これって、よく言われることですよね？<br />
　<br />
だからメールに<span style="color: #008080;"><strong>絵文字</strong></span>があったり、Ｌ○ＮＥに<span style="color: #008080;"><strong>スタンプ</strong></span>があったりして、感情を「補完」するのでしょうけど&hellip;<br />
　<br />
そういう「補完」の一切無い文章って「感情が分からない」どころか「ネタなのかガチなのか？」すら区別できない時がありませんか？<br />
　<br />
特にX（旧Twitter）などの短い文章だと、内容も端的過ぎて「え？これ、ネタで言ってるだけだよね？<ruby><rb>本気</rb><rp>(</rp><rt>ガチ</rt><rp>)</rp></ruby>でそう思ってるわけじゃないよね？」というものが多々あります。<br />
　<br />
ネタで「おかしなこと」を言っている分には、おもしろがるなり、「ネタとしてはサムいな&hellip;」とビミョウな気持ちになるなりすればいい話なのですが&hellip;<br />
　<br />
ガチだとしたら「笑えない」&hellip;そんな投稿が、最近はよく目につく気がします&hellip;。<br />
　<br />
最近は「<span style="color: #008080;"><strong>読書離れ</strong></span>」「<span style="color: #008080;"><strong>活字離れ</strong></span>」が深刻ですが&hellip;<br />
　<br />
「本」というのは、単に「知識」を得るためのものではなく「他者の気持ちや視点を学ぶ機会」でもあるんですよね&hellip;。<br />
　<br />
それを失った人々の「精神的視野」が狭くなり、短絡的な物の見方しかできなくなっている&hellip;というのは、普通にあり得そうな話です。<br />
　<br />
さらに言うと、その肝心な「本」を含む「<span style="color: #008080;"><strong>コンテンツ</strong></span>」も、どんどん単純化・エンタメ至上主義化し、いわゆる「考えさせ系」が減っているような気がします。<br />
　<br />
そんな現代事情を考えれば、本当に「ガチでおかしなことを言っている」人が増えても、不思議ではないのかも知れません。<br />
　<br />
&hellip;「ガチでおかしなことを言っている人」の何が怖いかって&hellip;普通に社会を悪化させそうな所なんですよね&hellip;。<br />
　<br />
「自分さえ良ければ他人がどうなっても構わない」という、極度の「自己中心的」思考&hellip;<br />
　<br />
「バレなければ犯罪を犯しても良い」とすら思っている「反社会的」思考&hellip;<br />
　<br />
「自分の言動がどんな結果をもたらすのか」まるで考えない「無責任」思考&hellip;<br />
　<br />
そんな人々が人類の「多数派」になってしまったら、普通に社会秩序が崩壊しますよね？？<br />
　<br />
そもそも「おかしい」のが、それを「心の中だけに収めておく」こともせず、「堂々と公言」しているところなのです。<br />
　<br />
現代ではもはや「悪いことは隠れてやる」すら通用していないのか&hellip;と、世の人々の正気を疑ってしまうのですが&hellip;。<br />
　<br />
（そもそも「悪いことを悪いことと認識する能力」すら失われているのか&hellip;。それはそれで恐ろし過ぎるのですが&hellip;。）<br />
　<br />
ひょっとしたら「こんな悪いことを考えてるのは自分一人だけじゃないはずだ。お前らだって考えたことあるだろう」みたいな感じで「仲間集め」をしたいのかも知れませんが&hellip;<br />
　<br />
そんな感じで「悪い仲間」がどんどん増えていったら、やっぱり社会秩序崩壊じゃないですか。<br />
　<br />
イメージで言うと、どこぞの終末世界のように、文明の崩壊した荒野で悪者たちが「ヒャッハー！」する世界になってしまうじゃないですか。<br />
　<br />
そんな世界で、どれだけの人間が生き残っていけると思うのでしょう？？？<br />
　<br />
今はネットの中で「他人を足蹴にしてでも成り上がってやんぜ」とイキっている人たちだって、本当の崩壊社会に放り込まれたら、もっと悪くて暴力的な輩に一瞬でプチッと潰されて終わりじゃないですか？？<br />
　<br />
自分は平穏な世界で幸せに暮らしていきたい人間ですので、わざわざ「悪い思考」「自分がカモにされるための思考」を世に拡散させたいとは思わないのですが&hellip;<br />
　<br />
&hellip;ひょっとして、そんなこと（自分の吐いた毒が、巡り巡って自分自身を蝕む）にすら気づいていないアレな人々が、今の時代は多いのでしょうか？<br />
　<br />
「これをガチで言っているのだとしたら、今の時代の人間って、どうなってしまっているのだろう？」――そんな不安に押し潰されそうになっているのは、きっと自分だけではないのでしょう。<br />
　<br />
昨今ネットでの「<span style="color: #008080;"><strong>炎上</strong></span>」や「<span style="color: #008080;"><strong>叩き</strong></span>」が過激化しがちなのは、おそらくはそんな「不安」や「恐怖」の裏返しなのではないでしょうか？<br />
　<br />
「この失言をガチで言っているのだとしたら、恐ろし過ぎる。今のうちに潰しておかなければ、我々の未来が脅かされる」――そんな神経過敏な不安感が、「やらかした人」への「叩き」をエスカレートさせてしまうのではないでしょうか？<br />
　<br />
&hellip;ただ、忘れてはいけないのは「その人の&ldquo;真意&rdquo;がどうなのかは、結局&ldquo;他人&rdquo;には分からない」ということです。<br />
　<br />
ほんの「ネタ」でつぶやかれたものを「ガチ」に受け取り過ぎて「炎上」するのは、双方ともに不幸なことです。<br />
　<br />
（&hellip;まぁ場合によっては、「それをネタにする時点で不謹慎」というケースもあったりするわけですが&hellip;。）<br />
　<br />
さらに言えば、ネットで発言しているのは、あくまで「ネットで発言できるだけの神経の持ち主」「ネットで発言できるだけの時間的余裕のある人」だけです。<br />
　<br />
それが人類の「全て」なわけではありません。<br />
　<br />
むしろ<ruby><rb>沈黙する多数派</rb><rp>(</rp><rt>サイレント・マジョリティー</rt><rp>)</rp></ruby>の逆のラウド・マイノリティー&hellip;「声がデカいだけの少数派」の可能性が高いのです。<br />
　<br />
（実際、芸能人の冤罪ねつ造事件の「元」を辿ったら、フェイク情報を流していたのはたった３人のユーザーだった&hellip;なんて事案もありましたよね。）<br />
　<br />
なので、ネットで「おかしな発言をしている人」がやたら目につくからと言って、そこまで過敏に怯える必要は無い&hellip;<br />
　<br />
&hellip;と、言いたいところなのですが&hellip;<br />
　<br />
問題は、そんな「おかしな発言」に悪い意味で影響されてしまう人間もいる、ということなんですよね&hellip;。<br />
　<br />
昨今「<span style="color: #008080;"><strong>陰謀論</strong></span>を信じる人」が増えている、という社会問題がありますが&hellip;<br />
　<br />
客観的に見れば「どう考えてもおかしいだろう」ということを、なぜかネットの動画や記事だけで信じ込んでしまう人が、現実に増えているのです。<br />
　<br />
それを考えると、ネットの中に漂う「おかしな発言」を、ただ放置するのもどうか、というのはあります&hellip;。<br />
　<br />
&hellip;ただ「おかしなことを言う奴は喋るな」というのだと「言論の自由」の侵害や、人間の尊厳の問題にも関わってきてしまいます。<br />
　<br />
「おかしなことを言う人」がなぜ「おかしなことを言う」のかと言うと、そこには大概の場合「<span style="color: #008080;"><strong>認知の歪み</strong></span>」があります。<br />
　<br />
大人になるまでに学んでおくべきだった「ものの考え方」や「ものの見方」を習得できていないので、変な方向に物事を考えてしまうのです。<br />
　<br />
なので、必要なのは「今まで見て来た<span style="color: #008080;"><strong>狭い世界の殻をブチ破る</strong></span>ための<span style="color: #008080;"><strong>新しい視点</strong></span>」に気づいてもらうこと。<br />
　<br />
その人たちの知らない「別の視点」「別の考え方」を、様々な形で提示していくことなのではないかと&hellip;。<br />
　<br />
&hellip;もっとも「おかしなことを言う人」は精神的視野が凝り固まっていて、別の視点など「受け入れる気すら無い」ことも多いかと思われます。<br />
　<br />
なので、まずはその「別の視点」「新しい視点」に興味を持ってもらうことから始めなければいけないのですが&hellip;<br />
　<br />
&hellip;まず、ここからして難し過ぎて「そんなこと出来る人いるの？」ってレベルですよね&hellip;。<br />
　<br />
それでも「頭ごなしに相手を否定する」だけでは「意見を受け入れてもらう」どころではないので、何とかそういう方向でやっていくしかないわけですが&hellip;。]]> 
    </content>
    <author>
            <name>津籠睦月</name>
        </author>
  </entry>
  <entry>
    <id>brainmemorandum.blog.shinobi.jp://entry/106</id>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://brainmemorandum.blog.shinobi.jp/life-mental-philosophy/what-is-true-wisdom" />
    <published>2025-11-23T11:17:24+09:00</published> 
    <updated>2025-11-23T11:17:24+09:00</updated> 
    <category term="心の持ちよう・人生の歩み方" label="心の持ちよう・人生の歩み方" />
    <title>本当に賢い人間は、知識ではなく○○を学ぶ</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[皆さん、<span style="font-size: large;">一見</span>「頭が良さ<span style="font-size: large;">そう</span>」な人のことを「何でこんなことも分からないんだろう」「何でこんなに愚かなことを言うんだろう」と思ってしまったことって、ありませんか？<br />
<br />
世の中、未だに学歴や知識量で<span style="font-size: large;">マウントを取ってくる</span>人は多いですが&hellip;<br />
<br />
学歴や知識があるにも関わらず「どうしてこんなに愚かなんだろう」という人って、いるんですよね。<br />
<br />
でもソレ、実は<span style="font-size: large;">何の不思議も無いこと</span>なのです。<br />
<br />
そもそも賢さを「どの大学に行ったか」や「知識の量」で測ること自体が間違いなのですから。<br />
<br />
「真に賢い人間」が学校や本で学ぶのは、「知識」<span style="font-size: large;">ではありません</span>。<br />
<br />
「それほど賢くもない人間」ほど、知識の量を誇って喜びますが&hellip;<br />
<br />
知識がどれほどあったところで、それ<span style="font-size: large;">だけ</span>では意味はありません。<br />
<br />
必要なのは、<span style="font-size: large;">その知識を上手く活用するためのスキル</span>です。<br />
<br />
すなわち、本当に賢い人間が学ぶのは、「<span style="color: #008080;"><strong>視点</strong></span>」。<br />
<br />
「ものの見方」や「考え方」を学ぶのです。<br />
<br />
視点を学べば、周りと「同じもの」を見ても「見え方」が変わってきます。<br />
<br />
例えば&hellip;「<span style="color: #008080;"><strong>ルビンの壺</strong></span>」って、白い部分に注目するか、黒い部分に注目するかで「見え方」がまるで違ってきますよね？<br />
　<br />
<img src="//brainmemorandum.blog.shinobi.jp/File/vase-of-rubin.jpg" alt="" /> <br />
<center><br />
<br />
</center>白い部分に注目すれば「壺（杯）」に、黒い部分に注目すれば「向かい合う２人の人物」に見えます。<br />
<br />
しかし、<span style="color: #008080;"><strong>２つの見方がある</strong></span>ことに気づかず、あくまで白い部分にしか注目しない人がいたとしたら、どうでしょう？<br />
<br />
他の人がどんなに「２人の人物」について話をしても「人？そんなのいないじゃん。何言ってんだ？」ということになるのではないでしょうか？<br />
<br />
<span style="color: #008080;"><strong>精神的な視野が狭い人</strong></span>というのは、そういうものです。<br />
<br />
そこに「ある」ものが「まるで見えていない」のです。<br />
<br />
「見えない」ものに、いくら知識を使おうとしても無駄なこと。<br />
<br />
そもそも「見えない」ので、そこに「知識を使おう」という気すら起きないことでしょう。<br />
<br />
「一見賢く見える」のに「なぜか話が通じない人」というのは、そういう人たちなのです。<br />
<br />
知識自慢をする人々は、「知識の量」ばかりを気にして「精神的視野の狭さ（持っている視点の少なさ）」に気づきません。<br />
<br />
たまに自分が持っていない視点の話をされても「それは間違っている」とさえ言ってきます。<br />
<br />
「自分には知らないことはない」と過信する人々は、「自分が知っていることが全て」と思い込み、それ以外は「間違い」として切り捨ててしまうのです。<br />
<br />
一方、真に賢い人々は、自分が「世の中の全てを知り尽くすことはできない」ことを知っています。<br />
<br />
（それはＡＩでさえ不可能なことです。そもそもＡＩには「データ化されていない<span style="font-size: small;">（データ化できない）</span>情報は学べない」という致命的弱点がありますので。）<br />
<br />
なので常に謙虚に、新しい知識、新しい視点を学ぼうとするのです。<br />
<br />
実に古代ギリシア・ソクラテスの時代から言われてきたこの考え方――「<span style="color: #008080;"><strong>無知の知</strong></span>」と言うのですが、皆さんコレ、ちゃんと出来ているでしょうか？<br />
<br />
あんなに古い時代から言われてきたことが、未だに達成できていないとしたら&hellip;人類の進歩って、一体どれほどのものなんでしょうね&hellip;？]]> 
    </content>
    <author>
            <name>津籠睦月</name>
        </author>
  </entry>
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    <id>brainmemorandum.blog.shinobi.jp://entry/105</id>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://brainmemorandum.blog.shinobi.jp/private-view-the-world/difference-ai-image-fanart" />
    <published>2025-11-08T20:42:16+09:00</published> 
    <updated>2025-11-08T20:42:16+09:00</updated> 
    <category term="世の中いろいろ私的分析" label="世の中いろいろ私的分析" />
    <title>「ＡＩ生成画像とファンアートの違いが分からない」という人に欠けている「人として大切なもの」</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<div><span style="color: #008080;"><strong>生成ＡＩ</strong></span>をめぐる問題で最近気になっているのが「生成ＡＩで二次創作画を作ることの何が悪いの？ファンアートと同じじゃないの？」という論調です。<br />
　<br />
最初にこの意見を見かけた時「この違いが分からない人がいるんだ！？」と逆に衝撃を受けたのですが&hellip;<br />
　<br />
この２つの何が違うのか&hellip;分かっている方には、あまりにも「当たり前のこと」でしょうから、今さら説明することも憚られるのですが&hellip;<br />
　<br />
それって、ズバリ「情状酌量の余地」ですよね？<br />
　<br />
そもそも勘違いされている方が多いようですが&hellip;<br />
　<br />
「<span style="color: #008080;"><strong>二次創作</strong></span>」というのは元々「著作権者の<span style="color: #000000; font-size: large;">温情</span>により<span style="color: #000000; font-size: large;">見逃されている</span>グレーゾーン」。<br />
　<br />
べつに「やってもＯＫ！」と許されている<span style="color: #000000; font-size: large;">ホワイトゾーンでも何でもない</span>のです。<br />
　<br />
古参の二次創作クリエイターさんたちはよく「二次創作者はなるべく日蔭者であれ」「権利者とは距離を取れ（間違っても凸するな）」などと言いますが&hellip;<br />
　<br />
それは「著作権者の<span style="color: #000000; font-size: large;">堪忍袋の緒を切ってしまう</span>と大変なことになる」と知っているからなのです。<br />
　<br />
&hellip;で、話を戻して生成ＡＩ画とファンアートの違いですが&hellip;<br />
　<br />
例えば皆さん「幼稚園児がクレヨンで一生懸命描いたプリキュアの絵」を「版権モノだからダメ！」なんて、冷たいことを言えますか？<br />
　<br />
&hellip;それ、普通に<span style="color: #000000; font-size: large;">鬼</span>じゃないですか。<br />
　<br />
ファンアートが黙認されている理由のひとつは「<span style="font-size: large;">ファンが愛情を持って一生懸命描いてくれたものだから</span>」なのです。<br />
　<br />
幼稚園児でなく大人だったとしても&hellip;<br />
　<br />
手間と時間をかけて描き上げられたファンアートは、時に作者でさえ敬意を覚えてしまうものなのではないでしょうか？<br />
　<br />
一方で「こんな絵を描いて」という命令文ひとつで<span style="color: #000000; font-size: small;">（まぁプロンプトは１文とは限りませんが）</span>ちょろっと出来上がってしまう生成ＡＩ画&hellip;<br />
　<br />
著作権者の<span style="color: #000000; font-size: large;">心証</span>が同じだと思いますか？<br />
　<br />
現代の一部のネット民は、何かと「感情論を排除」して「合法か違法か」だけで物事を見ようとしますが&hellip;<br />
　<br />
著作権法は「親告罪」――すなわち、<span style="color: #000000; font-size: large;">著作権者が相手を訴えるか否か</span>が、そもそもの罪の分かれ目なのです。<br />
　<br />
二次創作やＳＮＳでのちょっとした「お遊び」が許されている背景には「これくらいなら、まぁいいだろう」「話題になって盛り上がってくれる分には有難い」という、著作権者の暗黙の「お目こぼし」があります。<br />
　<br />
一方で、<span style="color: #000000; font-size: large;">作品の権利を侵害しかねないもの</span>や、<span style="color: #000000; font-size: large;">作品の品格を落としかねないもの</span>は、普通に<span style="color: #000000; font-size: large;">訴えられるリスク「大」</span>なのです。<br />
　<br />
生成ＡＩ画のマズい所は、版権モノのオリジナル画と「区別がつかないレベル」の画像を生成できてしまうことにあります。<br />
　<br />
オリジナルそっくりのタッチで「原作にはあり得ないシーン」を描き出すこともできますし&hellip;<br />
　<br />
何も知らない視聴者が見たら「これって公式の画像（動画）？」という<span style="font-size: large;">誤解</span>もされかねません。<br />
　<br />
<table border="1"><tbody><tr><td align="left" style="font-size: 12px; font-family: 'ＭＳ 明朝'; line-height: 1.5em; color: #000024; background-color: #e8e8e8; padding: 7px;">動画サイトのコメント欄など見ていると、生成ＡＩ動画に気づいていない人って、結構いるんですよ&hellip;。<br />
<br />
一瞬とは言え、動画生成ＡＩのロゴが出ているにも関わらず（個人的には、見づらい・分かりづらいロゴの出し方をしているＡＩ事業者もだいぶ「思慮が足りない」とは思っていますが&hellip;（出すようになっただけ、まだマシではありますが））&hellip;。</td></tr></tbody></table><br />
　　　<br />
実際「権利者」は生成ＡＩに対してかなりの危機感を抱いていますし、ＡＩ事業者を相手どった訴訟も国内外問わず頻発しています。<br />
　<br />
<table border="1"><tbody><tr><td align="left" style="font-size: 12px; font-family: 'ＭＳ 明朝'; line-height: 1.5em; color: #000024; background-color: #e8e8e8; padding: 7px;"><br />
訴訟だけでなく、１０月末には日本漫画家協会とアニメ・出版業界団体による「生成ＡＩ時代の創作と権利のあり方に関する共同声明」というものも出されています。）</td></tr></tbody></table><br />
<br />
個人の生成ＡＩ利用者で言うと、2025年１月の「エヴァンゲリヲン」の「アスカ」の（性的な）ＡＩ生成ポスター販売や、６月のゴジラ海賊版ＤＶＤ販売（生成ＡＩでモノクロ映画をカラー化したとみられる）など、国内での逮捕者も出始めています。<br />
　<br />
全ての生成ＡＩ利用者がそうだとは思いませんが&hellip;<br />
　<br />
生成ＡＩ利用者の中には、明らかに「やって良いことと悪いことの境界線」が見えていない人がいます。<br />
　<br />
<table border="1"><tbody><tr><td align="left" style="font-size: 12px; font-family: 'ＭＳ 明朝'; line-height: 1.5em; color: #000024; background-color: #e8e8e8; padding: 7px;">&hellip;と言うより、悪いことと分かった上で「匿名だし、捕まったりしないだろう」と高をくくって「やらかしている」気もしますが（実際に逮捕者は出ているのに&hellip;ニュースとか見ないんでしょうか？）&hellip;。</td></tr></tbody></table><span style="color: #008080;">　</span><br />
<br />
<br />
自分もＸ（旧Ｔｗｉｔｔｅｒ）上で見かけたことがありますが&hellip;<br />
　<br />
当時放映中のアニメ（お子様も観る全年齢対象）キャラクターの卑猥な生成ＡＩ画像を、作品名・キャラ名（さらには生成ＡＩ画であること）を堂々と表記してＵＰしているもの等&hellip;<br />
　<br />
何重もの意味でアウトです（そもそもＳＮＳの誰でも見られる場所に卑猥な画像をＵＰしているだけで相当なアウト行為&hellip;）。<br />
　<br />
「ファンが作品愛ゆえに描いたもの」なら許してくれる著作権者でも、「ファンかどうかも分からない人間がインプレッション稼ぎのためにチョロッと生成したもの（しかも卑猥）」に怒りや苛立ちを覚えないわけないじゃないですか。<br />
　<br />
思うに「ＡＩ生成画とファンアートの違いが分からない」という意見の中には「生成ＡＩを使って版権モノでボロ稼ぎしたい&rarr;そのためには生成ＡＩ画を規制したがる風潮が邪魔だ&rarr;人の手による二次創作が許されているなら生成ＡＩも許可しろ」という「さもしい本音」があるのではないでしょうか？<br />
　<br />
&hellip;ですが実際には、そうした一部の生成ＡＩ利用者の「暴走」が、かえって生成ＡＩの「規制」を招くことになるのではないでしょうか？<br />
　<br />
<table border="1"><tbody><tr><td align="left" style="font-size: 12px; font-family: 'ＭＳ 明朝'; line-height: 1.5em; color: #000024; background-color: #e8e8e8; padding: 7px;">一部の利用者が生成ＡＩで著作権を侵したり、モラルに反したＡＩ生成を行うたびに、「そういうことをしていない利用者」まで含めた「生成ＡＩ全体のイメージ」が暴落します（現代人は「分けて考えることをせず、属性で物事を決めつけたがる」人が多いので）。<br />
<br />
なので「真っ当にＡＩ利用をしている人」も、この問題を「他人事扱い」すべきではないのです。</td></tr></tbody></table>　<br />
<br />
<br />
そもそも二次創作界隈って元々「稼ごう」「儲けよう」という世界ではないんですよね&hellip;。<br />
　<br />
儲けは「元が取れれば万々歳」くらいな感じで「とにかく、この作品への愛を表現したい」というのが活動の源のはずなのです。<br />
　<br />
「稼ごう」「儲けよう」が<span style="font-size: large;">目的</span>になってしまったら、それは「商売」になってしまい「版権モノで許可無くビジネスしている」ことになってしまうのです。<br />
　<br />
「稼ぐ」「儲ける」が「お金」でなく「インプレッション」や「表示回数」「再生回数」でも同じこと。<br />
　<br />
（プラットフォームによっては、それで収益が出るものもあるわけですから。）<br />
　<br />
生成ＡＩ画像（動画）に「この作品への愛を自分の手で表現したい」という、一番肝心な「動機」はあるのでしょうか？<br />
　<br />
作品への愛が分かれば、たとえ絵が拙くとも、褒めてくれる同志はいますし、ファンになってくれる人もいます。<br />
　<br />
（実際自分も、一次・二次創作物問わず重視するのは、画力よりもネタの面白さです。）<br />
　<br />
むしろ「拙くても、一生懸命に愛を表現している」ところにアツさを感じて感動するのですが&hellip;<br />
　<br />
「生成ＡＩ画とファンアートの違いが分からない」という人は、そういう「人が情熱を傾けることの価値」が分からないのでしょうか？<br />
　<br />
どうにも昨今、「合理性」「コスパ」ばかりが重視されて「人の心」を見失ってしまっている人が増えていないでしょうか？<br />
　<br />
&hellip;と言うより、どうにも最近「手抜き」や「怠惰」や「雑な仕事」を「合理的」「コスパ」と言い訳している人が多くないですか？<br />
　<br />
どんなに「現代的な言い訳」で繕おうと、その裏にある「手抜き感」に、人は本能で気づくものなのではないでしょうか？<br />
　<br />
根性論や精神論を推すわけではありませんが&hellip;<br />
　<br />
「労を惜しんで結果や名声だけ得ようという人」を「全力で自作品への愛を表現してくれるファン」と同等に扱う気になれる人って、いるのでしょうか？<br />
　<br />
&hellip;これが分からない人は、人間として大切な何かを、既に見失ってしまっているのかも知れませんね。<br />
　<br />
人間が「人の心」を忘れて「人の労に価値を置かない」「人を大切にしない」社会&hellip;<br />
　<br />
それって、人間が幸せになれる社会なのでしょうか？</div>]]> 
    </content>
    <author>
            <name>津籠睦月</name>
        </author>
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    <id>brainmemorandum.blog.shinobi.jp://entry/104</id>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://brainmemorandum.blog.shinobi.jp/private-view-the-world/reason-for-world-division" />
    <published>2025-10-26T23:22:38+09:00</published> 
    <updated>2025-10-26T23:22:38+09:00</updated> 
    <category term="世の中いろいろ私的分析" label="世の中いろいろ私的分析" />
    <title>「他層ディス」が心の分断を招く</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<div>最近、世の中がやけに<span style="color: #008080;"><strong>ギスギス</strong></span>してきたと思いませんか？<br />
　<br />
他者の言動に過敏に反応する人、やたらと攻撃的な言動をする人が増えたと思いませんか？<br />
　<br />
自分はその原因が、SNSでの「他層ディス」にあるような気がしてなりません。<br />
　<br />
「自分と異なる性別、自分と異なる年代、自分と異なる生き方をする層」を、ディスって、嫌って、攻撃する言動が、昨今増えていませんか？<br />
　<br />
ネットの海を彷徨っていれば、一度や二度どころでなく目にしたはずです。<br />
　<br />
特定の性別、特定の年代、特定の生き方を、醜悪な言葉で否定する投稿を&hellip;。<br />
　<br />
時にそれらの&ldquo;口撃&rdquo;は「自分の属する層」を直撃することもあります。<br />
　<br />
そんな時、見知らぬ誰かに「自分」を否定されたようで、傷ついたり、反発したり、不快感を覚えたりしませんでしたか？<br />
　<br />
この世界には「自分たち」を攻撃する「敵」がいる&hellip;そんな風に心が波立ったりしませんでしたか？<br />
　<br />
この世界のどこかに、自分を敵視する何者かがいる――それを知ってしまったら、自然と皆「<span style="color: #008080;"><strong>警戒</strong></span>」するのではないでしょうか？<br />
　<br />
「<span style="color: #008080;"><strong>北風と太陽</strong></span>」の寓話のように、厳しい北風が吹き荒れる場所では、皆ガチガチに外套を押さえて、自分をガードするものです。<br />
　<br />
しかも問題は、自分たちを攻撃するその相手が「何者なのか見えない」ことです。<br />
　<br />
敵の正体が見えないなら、どこにいても、誰に対しても警戒を解くことができません。<br />
　<br />
いつ、どこから飛んでくるか分からない攻撃に備え、四六時中ピリピリ警戒してしまう&hellip;<br />
　<br />
誰かのちょっとした言葉を「攻撃」と勘違いし、過剰に反発してしまう&hellip;<br />
　<br />
「自分と同じ層」とは安心してつき合えるが、「自分と異なる層」は「敵なのでは？」と疑ってしまう&hellip;<br />
　<br />
その状態が、現代の「<span style="color: #008080;"><strong>心の分断</strong></span>」や「<span style="color: #008080;"><strong>寛容でない世界</strong></span>」を生んでしまっているのではないでしょうか？<br />
　<br />
&hellip;おそらく、ＳＮＳ上の「他層へのディスり」も、全てが全て「攻撃」<span style="font-size: large;">というわけではない</span>と思われます。<br />
　<br />
「他者への配慮」や「無為に傷つけないための婉曲な言葉遣い」を<span style="font-size: large;">知らない</span>人が、何も考えずに発言してしまった結果が「ディスり」と受け取られてしまう例もあるのではないかと&hellip;。<br />
　<br />
思慮深く慎重な人間は、発信の前に<span style="font-size: large;">言葉を吟味</span>します。<br />
　<br />
それゆえに１回の発信にも時間がかかり、発言数も比較的少なくなります。<br />
　<br />
思慮深くなく、慎重でもない人間は、その真逆。<br />
　<br />
「他者を傷つける心配」など考えもせず、ポンポン言いたいことを発信してしまうなら、発言数が多くなるのも当然です。<br />
　<br />
つまりＳＮＳなどの発言の場は、自然と「そういう意見」の方が数多く出てしまうものなのです。<br />
　<br />
浅慮で無神経な発言ばかりが多く出回るＳＮＳで、心傷つけられるような酷い意見が多く目につくのは、ある意味「必然」。<br />
　<br />
我々はその「ひどい発言」が「人間の全てではない」ことを、ちゃんと心得ておかないといけないのです。<br />
　<br />
（&hellip;でないと、普通に心が死にますから。）</div>]]> 
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            <name>津籠睦月</name>
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